心理的親殺しが出来ないままに大人になった人々が感情的に反権力、反国家に走ると前の記事で書いた。
理由は、
1. 今YouTubeで見られる山口二郎とか言う人物の顔が物凄い鬼のような形相でとても学者を自認自称する人物とは思えない、つまり理性の壁を突き破って感情が噴出するのだ。その感情を正当化する方便に知識人はその学識や饒舌を使う。凡人は騙される。
2. この類の人々の言う言葉やデモでのスローガンめいた文言を見ると【安倍やめろ】とかアベノミクスじゃなくて【アホノミクスだ】とか【安倍独裁】とか【たたっ切ってやる】などと理性も冷静もかなぐり捨ててなりふり構わぬ【父親憎し】の感情丸出し爆発暴走火砕流に見える。
多分、国権の元締めである総理に【憎い父親或は母親】を投影しているのだ。
学生時代、全学連運動に熱中する連中が二言目には【国家権力】と言っていたのを思い出す。また同窓先輩で職場の上司だった高学歴、会社でも高位管理職だった人が皇室や安倍総理の話題になると【大政翼賛会】は嫌いだと、理性も冷静もかなぐり捨てたばね仕掛けの反応をするのを不思議の思いで見た事が何度もある。・・・ガキの頃の何かしら抑えつけられた憤怒の感情を処理できぬままに大人になったのだろう。
際どい言い方だが言ってしまおう・・・頭が悪ければそういう鬱屈した感情は例えば暴走族、例えば粗暴な行い、などで解消されて長じては普通の大人になる。なまじっか頭が良かったり優等生だったりすると発散させずに内向する。
戦前はこの内向したエネルギーが映画【弟】で見られるような【不良】で発散されたり軍人になって発散したり、場合によっては梶井基次郎のような優れた文学に昇華された。大陸浪人と言うのも満州移住もその一群だろう。
戦後は少年が【自分でも気が着かない怒り】を発散昇華する機会や場がなくなった。薩摩藩には長く【郷中教育】と言って大人が介入しない少年達の少年達による鍛錬や冒険の時代と場があった。少年たちはこの場で得体の知れぬ心的エネルギーを発散出来て一人前の男になって行った。西部開拓時代のアメリカでもそれはあった。ジョン・ウェインの【黄色いリボン】だったかに素手で殴り合う息子を傍で見ている父親の姿がある。今はそれもなくなった。キリスト教由来のなあなあなめなめねこなで平和一択女性原理バカ言論のせいだ。
要するに【男性原理】が失われたのが戦後日本でありその弊害がこう言った【感情的反日】や【ひきこもり】だと思う。