先ごろ麻生大臣が老後の生活資金の話をなさってそれについて侃々諤々あったようだが・・・・
単に【生存】するだけだったら【年金】で事足りるのかもしれない。しかし例えば私の場合、
1. 若い頃建てた家がそこここ手を入れなければならない状態になっている。
・・・ あの当時の建築資材、方式の弱みが出始めている、具体的には床のベニヤ板が床下からの湿気で割れ始めている。ベランダのコンクリートが沈み始めている。
日本古来の建築法ならば、床下を風が通り、ベニヤ板ではなく松材バラ打ちにタタミだったからこういう事は起らなかったはずだ。また、ベランダなるものは日本建築にはもともとなかった、納屋があった。
こう言った状態を放置すれば私たちが居なくなった後、息子達が迷惑する。だから何とかしなければならない。
2. 少なからず親戚、姻戚が居る。或はご近所がある。これらの人々と全くお付き合いしない、では社会と言うものが成り立たない。この関係にあっては貨幣のやりとりは無いが贈答経済がある。それを支えるのはやはりお金である。親戚には貧乏人も居ればかなり裕福な人も居る。【等価】を考慮すると処理はなかなか難しい。
3. 人は単に生存するだけでは終われない、少なくとも私共夫婦は夫々に【自分を磨く】何がしかがあってそちらにも出費がある。
思うに、【田舎】に住んでいるからこんな呑気な事が言える・・・本当は呑気ではないが大都会に住む人々に較べれば多分呑気な生活だろう。昔の自給自足、近所との分け合い、の名残が随分助けになっているから。
現在のところ出費の大きな部分が2である。次いで1.それから3。額として大きいのが1だろう、それが頭が痛い。そういうわけで未だ稼いでいる。だがそろそろ【全ての義務・責任】から解放されたくなった。そこでそういうことが出来る仕事はないか・・・まあムシのいいハナシなんだろうが・・・と探すが流石に見つからない。いや、私はベテランの造船設計技術者でCAD使いも大抵の人々より長けているから話をすれば仕事はあると思うが泥沼にはまりたくないのだ。
便利屋にはされたくない。実は今現在、便利屋にされつつある。
若い技術者が【自らの手で】仕事をしたがらない、【口で、電話で】仕事をする。その使い走り!アアいやだ!