つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

日本と諸外国との違い

2020-08-18 | Weblog

 また、ネットの情報です。以下は北野幸伯氏のレポート自虐的な考えは止めて欲しいと常に訴えられています。特に青少年たちに・・・これは一部。

「戦争の歴史を見ると、
敗戦国の元首・国王は
廃位に追い込まれるのが通例。

ローマ大帝国もナポレオンの国でさえも、
一度戦いに負ければ滅び...

第二次大戦で神の如く慕われていた
ヒトラーやムッソリーニも
国民から憎まれ生き場所を失い

殺されるか、海外に逃亡し
淋しく死んでいる。

そのため、
昭和天皇による全国巡行が始まっても
国民による暴動が起き、

のちに海外に逃亡するだろう
と思われていた。

「皇室の運命も風前の灯火だな」
日本を占領していた欧米人はそう考えていた。

しかし、、、

彼らの期待は大きく
裏切られることとなる...

知られているように昭和天皇はヒトラーやムッソリーニのように憎まれることなく、国民から大歓迎されました。欧米人は決してこれは理解できなかったでしょう。

わたしは失意と虚脱にあえぐ国民を慰め励ましたいので、 

日本全国を回りたい…」

終戦から1ヶ月余り経ったある日、、、

昭和天皇は、GHQ最高司令官マッカーサーのもとを訪れ、このように発言された。

「戦争責任はすべて私にある。

私の一身はどうなろうと構わないが、国民には責任がない。

どうか国民が生活に困らぬよう、援助をお願いしたい」

自らの身を顧みず国民の命を第一に考えられたお言葉…さらに続けて国民を励ますため、自らが全国巡礼をするための許可を申し出られた。

マッカーサーはこれを了承。全国巡幸が決まった瞬間だった。

Wさんからの頂き物 古文書解読のことで・・・

今年も咲きました

コメント (6)
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