つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

西教寺

2007-11-28 | 国内旅行
 大津市坂本の西教寺の境内には、明智光秀のお墓があります。この墓石には、秀吉などの迫害を恐れ、光秀の名は彫られていません。後世作られたもう1つの光秀一族の墓には刻まれています。小さい五輪塔のお墓は光秀の正妻ひろ子夫人のもの。夫人は顔半分にに黒あざがあった人ですが、光秀は側室は持ちませんでした。細川ガラシャ夫人は光秀の娘。その末裔が細川総理となり、子孫が国を治めることになりました。
 聖徳太子創建と伝えられていますが、信長の比叡山焼き討ちの際、ここも焼き討ちにされました。その後、近江国滋賀郡は光秀に与えられ、光秀はこの地に坂本城を築城。光秀は坂本城と地理的にも近かった西教寺との関係が深く、寺の復興にも光秀の援助があったようです。下の写真は小堀遠州作の客殿庭園。

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8 コメント

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平島人様 (matsubara)
2007-11-29 23:04:34
さすがに建築屋さんなので庭園にもお詳しいですね。
私はまだ朝倉氏遺跡を知りません。
我家の庭園は世話を怠っているのにも拘わらず夫が植えすぎて込み合ってきました。庭師の帰った後が大変です。
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okoさま (matsubara)
2007-11-29 22:58:51
書道も短歌も平行して継続され、頭が下がります。書道は私はやめて15年にもなってしまいました。
軽雪は短歌のほうでしたね。
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ちゃこママさま (matsubara)
2007-11-29 22:55:34
季節が変わればきっとイメージも違うでしょうね。でもなかなかシーズンごとには行けませんね。
私も大津は近いのにまだよく知りません。
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Unknown (平島人)
2007-11-29 17:31:09
この庭園を見ますと、小京都といわれた一乗谷で京都の影響を受け、林泉庭園に類する多くの庭園を思い出します。
特に朝倉氏遺跡の場合は後世の手が加えられておらず、中世日本庭園の実像だけでなく、庭園史に占める位置も大きいとされていますが、客殿庭園もその流れを組んだ庭園かも?
しかし、全てに手間がかかり近年は日本庭園をつくる人は少なくなりましたが、松原様の庭園は少し心が落ち着きます。
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毎日楽しみに致しております。 (oko)
2007-11-29 12:13:45
まだ伺っていないところが多くとても興味深く拝見させて頂いております。

「軽雪」掲載の作品提出に追われております。
いつもながら準備が整わずに四苦八苦してしまいます。
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Unknown (ちゃこママ)
2007-11-29 00:25:21
小堀遠州作の宮殿庭園の木は
丸く小さく刈られてて観賞用の庭ですね
紅葉と皐月のころが綺麗なんでしょうね
大津もイッパイ見てみたいところがありますね (*^。^*)
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コスモスさま (matsubara)
2007-11-28 18:10:58
いつも早々のコメントありがとうございます。
ご両親様と細川総理の祖先と同じ墓所とは凄いですね。由緒がおありになるのですね。
西教寺ははじめてです。滋賀県もまだ知らないところが多いです。
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Unknown (コスモス)
2007-11-28 13:07:28
 西教寺は私も好きな場所で、比較的何回も行っています。明智光秀のお墓にもお参りしています。
友人で歴史がとても好きで詳しい人が居りまして。
教えてもらいました。客殿の庭園の写真は始めて拝見しました。
ここは、又、紅葉も美しいですね。
 
 名前は忘れましたが、細川総理の祖先の方のお墓は南禅寺の天授庵に有ります。古いですが、とても立派なお墓です。
私の両親も眠っているのですが。
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