つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

水崎林太郎翁を顕彰する会

2022-05-02 | 岐阜県

 昨日は雨の中、誘われて水崎林太郎翁を顕彰する会に参加しました。岐阜県出身の偉人ですが、知名度は低いです。私はたまたま10年前、JR岐阜駅南側を流れる川沿いの桜を撮影していて、顕彰碑を見つけました。

 水崎氏は、明治元年生まれ。31歳で岐阜加納町長。その後47歳(1915年) で、開拓民として渡韓。水不足に悩む大邱の住民のために、灌漑用の貯水池を作りました。寿城池(スソンモ) と言います。大邱は人口250万。韓国第三の都市。池を作るためには、十数億という大金を要します。朝鮮総督府に助成金を嘆願するときは、胸に短刀をひそませ、断られたら自決の覚悟でした。その気迫に押され、承認されました。

 灌漑池は昭和2年(1927年) 完成。規模は20ヘクタール。1000ヘクタールの田畑を潤すことができました。この韓国一の灌漑池は、農業用のほかに今は観光地にもなっています。小学生向きの絵本も出ています。池のほとりで12年寝泊まりし、その間奥さんは岐阜におられ、72歳で亡くなられ、程なく水崎氏も大邱で亡くなられ、遺言では、池のほとりに韓国式のお墓を作ることを依頼されました。

 2000年から岐阜市長などが渡韓。寿城池のほとりの水崎氏の墓前で、日韓合同の慰霊祭もされています。(沈壽官ブログにも掲載・確認しますと確かに2008.5.30に記録されていますが、名前が誤記されていますので、訂正をブロガーにお願いしています)

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 40年前に制作した仏頭 | トップ | 国際ソロプチミスト岐阜のチ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

岐阜県」カテゴリの最新記事