昨日は雨の中、誘われて水崎林太郎翁を顕彰する会に参加しました。岐阜県出身の偉人ですが、知名度は低いです。私はたまたま10年前、JR岐阜駅南側を流れる川沿いの桜を撮影していて、顕彰碑を見つけました。
水崎氏は、明治元年生まれ。31歳で岐阜加納町長。その後47歳(1915年) で、開拓民として渡韓。水不足に悩む大邱の住民のために、灌漑用の貯水池を作りました。寿城池(スソンモ) と言います。大邱は人口250万。韓国第三の都市。池を作るためには、十数億という大金を要します。朝鮮総督府に助成金を嘆願するときは、胸に短刀をひそませ、断られたら自決の覚悟でした。その気迫に押され、承認されました。
灌漑池は昭和2年(1927年) 完成。規模は20ヘクタール。1000ヘクタールの田畑を潤すことができました。この韓国一の灌漑池は、農業用のほかに今は観光地にもなっています。小学生向きの絵本も出ています。池のほとりで12年寝泊まりし、その間奥さんは岐阜におられ、72歳で亡くなられ、程なく水崎氏も大邱で亡くなられ、遺言では、池のほとりに韓国式のお墓を作ることを依頼されました。
2000年から岐阜市長などが渡韓。寿城池のほとりの水崎氏の墓前で、日韓合同の慰霊祭もされています。(沈壽官ブログにも掲載・確認しますと確かに2008.5.30に記録されていますが、名前が誤記されていますので、訂正をブロガーにお願いしています)
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