福山隆さんのメルマガより
農業分野における主体思想
――金日成の“主体農法”が飢饉の原因
〇 農業分野にまで適用された主体思想
――〝主体農法〟
〝主体農法〟とは、
北朝鮮で行われた主体思想に基づいて
食糧自給を目指す農法である。
朝鮮半島北部(北朝鮮)は、
日本統治下では主として
鉱工業地域として
開発が進められていた。
そのため、
同地に建国された北朝鮮では
食糧自給と
そのための農業振興が課題となり、
農業については素人同然の
金日成・金正日父子の指導によって
進められた。
それは主体思想というイデオロギー
――外国の干渉を排撃する
強烈なナショナリズム
(「ウリ(我々)式社会主義」)――
に無理矢理に整合する
〝主体農法〟に基づき行われた。
〝主体農法〟とは、
ありていに言えば
農業には素人の
金日成の指導・思い付きを
絶対視する農法である。
農業技術など全く無視した
素人の思い付きで
北朝鮮の農業は
コントロールされたのだ。
〝主体農法〟の実態は、
農民たちに対して、
神格化された
金日成の観念的スローガン(思い付き)に
何ら疑念を持たずに、
金日成のロボット同然の
朝鮮労働党の指導に服従し、
精神論のみでやり抜くことを
要求するものに近かった。
この農法は、
経験知にもとづく伝統農法も
科学的知識にもとづく近代農法も
まったく無視していたため
失敗するのは必至だった。
その結果、
北朝鮮の農地と
それを背後で支える自然環境が破壊され、
かえって食糧難をもたらした。
北朝鮮に先んじて
ソビエト連邦や中華人民共和国で
似たような政策を推進し、
失敗している。
しかし、
両国の農業政策は対外的には
「大成功だった」と
喧伝されたため、
北朝鮮も
中ソの過ちから学ぶことはなく、
同様の間違いを繰り返すこととなった。
金日成の
〝主体農法〟の失敗例の第一は、
金日成が指導(命令)した
段々畑の造成である。
金日成は
「食料が足りないなら
山林を農地に変えればよい」とする
単純な発想から山林を切り開いて
山頂まで棚田や段々畑を造るモデルを
北朝鮮全土に広めた。
段々畑化は、1970年代初めから、
全国で一斉に開始された。
山を段々畑
――全耕地の7割が
傾斜15度以上の山の斜面を利用したもの――
にしたので、
北朝鮮全土の山々が
ハゲ山になってしまった。
段々畑に適しているのは、
土壌をしっかり保持する
(土留め効果のある)、
茶やミカンなどの
多年生植物(作物)で
なければならない。
すなわち、段々畑には
土留め効果のある
果樹や茶などの
多年生植物(作物)を
栽培するべきであったが、
金日成は
「トウモロコシ(土留め効果のない一年生植物)
を植えろ」と指導した。
金日成が
土留め効果のない段々畑(トウモロコシ栽培)
を造ることを指示したため、
少し雨が降っただけで
その段々畑は崩壊してしまった。
段々畑の崩壊が
引き金となり、
禿山となって
保水力を失った山全体の土砂が
河川に流れ込んで水位が上がり、
河川が容易に氾濫し、
洪水が多発する原因となった。
1990年代、北朝鮮は
大雨による水害に見舞われたが、
被害を激甚なものとした原因に
〝主体農法〟があることは間違いなく、
まさに人災である。
さらに、洪水の影響で
大量の土砂が海に流れ込み、
海底の海草が
全滅するなどにより
沿岸の生態系が
破壊されてしまったため、
農業のみならず
漁業までもが不振に陥った。
金日成の
〝主体農法〟の失敗例の第二は、
トウモロコシ栽培の
奨励である。
金日成が
トウモロコシ栽培を奨励したために
連作障害を引き起こし、
増産どころか、
不作を招き、
ひいては食糧難に繋がった。
金日成の
〝主体農法〟の失敗例の第三は、
稲やトウモロコシの
密植である。
金日成は
中国の毛沢東を模倣して、
コメやトウモロコシを
常識外れの密度で植える
密植を奨励した。
密植について、
コトバンクには次のような説明がある。
〈密植とは一定面積に
多くの作物個体を植え込むこと。
この逆が疎植である。
植物生態学の研究によれば,
栽植密度と単位面積当りの収量との間には
〈最終収量一定の法則〉があり、
ある密度までは、
密度の上昇に伴って
収量が向上していくが、
ある密度以上では
収量は頭打ちとなり、
それ以上増加しないといわれている。
したがって、
密植は作物の収量を上げるための
一つの方法であるが、
(1)作業により多くの労力を必要とする、
(2)個体間の光や養分の奪い合いが
起こりやすく、各個体が貧弱となる、
(3)過繁茂による光不足と
多湿条件が病害虫の発生しやすい
状態を作り出す、
などのマイナス面が生ずる〉
北朝鮮の稲作の現場では、
密植することによって、
稲やトウモロコシに注ぐ
日照が不足し
風も通らない上に、
化学肥料を機械的に
大量に投与したため、
ヒョロヒョロになって、
収穫量は激減したという。
また、密植では
土壌の消耗(地力低下)が著しく、
農地の生産力が崩壊した。
地力低下のために、
ソ連をはじめとする東欧共産圏の
北朝鮮への援助による
化学肥料の供与が途絶えると、
多くの農地が「砂漠化」と称して
差し支えないほどの
惨状(不作)を呈した。
土留めのない
段々畑造成も密植も、
金日成が現地指導した際に発した
「教示(指導)」(マルスム=お言葉)に
基づいており、
伝統的な農法からも逸脱し、
科学としての農業という観点からも
不合理きわまりないものであった。
生産者側が勝手に
植栽方法を改善すれば、
「教示」に従わなかったという理由で
処罰される可能性が大きく、
最高指導者に対しては
意見を述べることもできない。
北朝鮮では、憲法よりも
最高指導者による「教示」の方が
優先されるからである。
農業の専門家といえども
「教示」に逆らうことは
できなかった。
在日本朝鮮人総聯合会
(朝鮮総連)の重鎮であった
李佑泓は、
1989年、
祖国の農業発展に尽力したものの
頓挫した経緯を
『どん底の共和国
―北朝鮮不作の構造』
(亜紀書房(1989/8/1))で著したが、
北朝鮮における
不作の理由のひとつとして、
この〝主体農法〟を挙げている。
農業技術者の
李佑泓(在日朝鮮人)は
祖国北朝鮮の農業発展に
寄与すべく、
一年半にわたって尽力したが、
あまりにも悲惨な
北朝鮮の現状に絶望したという。
李佑泓は
金日成親子指導の不合理極まる
〝主体農法〟の構造と、
苛酷な労働条件下で
疲労困憊の極に達した
農民たちの惨状を暴露した。
同著は
「同胞愛と科学精神が生んだ
衝撃のレポート」と紹介されている。
1995年7月30日から
8月18日にかけて、
北朝鮮では
歴史的な大洪水に見舞われ、
多くの田畑とともに
備蓄食糧も流されて
農業は大打撃を受けたが、
重村智計は、
農業生産の低下と
食糧難の真の原因は水害ではなく、
農業政策の失敗と
〝主体農法〟であると
述べている。
1995年の大水害ののち、
世界食糧計画(WFP)や
世界食糧理事会(WFC)などが
北朝鮮農業の実態を
調査した結果、
北朝鮮では
主食の農作物としては
コメとトウモロコシしか
栽培していない実態が
明らかとなった。
専門家らは
冬場のムギの耕作を提案したが、
金日成の「教示」にない作物を
植えてよいのかという異論があり、
そのために1年以上におよぶ
長い議論の結果、
ようやくムギ栽培が認められた。
「苦難の行軍」と呼ばれる
1990年代後半の
北朝鮮大飢饉の原因は、
〝主体農法〟に
あったのである。
北朝鮮における
コメとトウモロコシの生産量(1989-1997)の推移は
以下のとおりである。
なお、北朝鮮で
飢饉が発生した年は
1994年から1998年であった。
〇 〝主体農法〟の軌道修正
「苦難の行軍」期にあたる
1996年、
のちに脱北することとなる人物が
酒の密造で警察に摘発された
老夫婦を助けた際、
老婆が
「日本の統治時代より
生活が厳しい。
日本時代には少なくとも
食べ物がなくて死んだ人は
いなかった。
配給もきちんとしていたし」と
話しているのを聞いている。
北朝鮮では
1957年11月から、
協同農場の農民を除く
全国民に食糧配給制度が
実施され、
一般労働者は1日あたり700グラム、
軍人は800グラム、
15歳以下の子供や老人は
100グラムから500グラムまで、と
職業や年齢に応じて
配給されることになっており、
1990年代初頭には
平均450グラム程度の
配給量となったが、
1995年の水害で
その半分に減量され、
それから数年でさらに減少させられた。
食糧不足が
北朝鮮国民に与えたダメージは
深刻だった。
2001年5月に北京で開かれた
第5回東アジア太平洋地域閣僚等会合に
北朝鮮当局が
提出した資料によれば、
1993年に
73.2歳だった平均寿命は
1999年には66.8歳と短命になった。
また、
5歳以下の乳幼児死亡率はこの間、
1000人あたり
27人から48人へと激増している。
生存しても
乳幼児期の栄養失調は
発達障害や認識障害などの
後遺症として残り、
食糧難の時期に
生まれた子どもたちが
徴兵年齢に達した
2009年から2013年にかけては、
17パーセントから29パーセントの若者が
アメリカの基準では
認識障害と診断されて
兵役不可となるレベルにあると
推計された。
1994年から1998年までの
「苦難の行軍」の時期に
北朝鮮領内で餓死した人は
300万人に達したという
推計もある。
農業不振と
食糧難を改善するため、
金日成死去後の1997年には
「農民の志向と実情に
合わせて農業を行う」として
〝主体農法〟の
実質的修正がなされ、
家族経営・親族経営を
可能にした他、
農民が自由に作物を処分できる
自留地を拡大するとの
施策がなされた。
自留地(農家の前庭)は
猫の額ほど狭いものの、
そこだけは土地が肥え、
農作物がよく稔っていたと
いわれる。
すなわち、皮肉にも
自留地の拡大は
食糧増産に繋がるのだ。
しかし、
この〝主体農法〟の
実質的政策修正にあたっては
「金日成主席が
現地指導した農場での指示を、
そのまま全土に適用したことに
間違いがあった」とされた。
すなわち、
金日成の「教示」そのものには
何ら間違いはなかったとされたのであった。
独裁国家における驚くべき
「言い訳・詭弁による
独裁者の無謬性の堅持」に他ならない。
写真は毎年咲く朝顔
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