
先週開いた短歌会のupが遅れました。この日も万葉集の講話の後は、百人一首解読。
陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑにみだれそめにし我ならなくに 源 融
一般には宇治平等院は、関白藤原道長が左大臣源重信の婦人から譲り受け、その子頼通が、永承7年(1052)にこれを仏寺に改めたと言われています。しかし、最初創立したのは、源融です。
源融は、嵯峨天皇の子で、源氏の姓を受け、豪奢な邸宅に住み、宇治に別荘を建立。これが後に平等院になりました。京六条の邸宅河原院にちなみ、河原左大臣とも言われました。(写真は陸奥秋田で撮ったおだまき)
今日の一首
うるはしき少年の如阿修羅像そのお姿にて何を悩める Hさん
陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑにみだれそめにし我ならなくに 源 融
一般には宇治平等院は、関白藤原道長が左大臣源重信の婦人から譲り受け、その子頼通が、永承7年(1052)にこれを仏寺に改めたと言われています。しかし、最初創立したのは、源融です。
源融は、嵯峨天皇の子で、源氏の姓を受け、豪奢な邸宅に住み、宇治に別荘を建立。これが後に平等院になりました。京六条の邸宅河原院にちなみ、河原左大臣とも言われました。(写真は陸奥秋田で撮ったおだまき)
今日の一首
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