
岐阜県美術館開館25周年記念展「人間国宝荒川豊蔵」ー緋色を求めてー志野にかけた半生ーを夫の勧めで見に行きました。岐阜県多治見市生まれの豊蔵は、36歳の時筍の絵つけの志野焼の茶碗を名古屋の関戸家で見て、同じ年に岐阜県可児市の古窯跡で、同じ筍の絵の志野焼の破片(桃山時代)を発見しました。彼はその奇遇を喜び、その場所に竹の苗を植え、今は大きな藪になっています。そこが豊蔵の作品の出発点になっています。自身で焼いた筍の絵の茶碗は奥様に贈呈されました。(写真)
作品の素晴らしさもさることながら、交友の幅広さにも驚きます。陶芸に入るきっかけは、北大路魯山人の窯のある鎌倉に誘われたことのようです。しかし、その発見により、美濃に戻りました。ある時は、奥村土牛とともに薄墨桜のスケッチしたり・・・彼は絵が得意で好きだったのです。前田青邨、熊谷守一、小山富士夫、奥村土牛とも茶碗の合作をしています。なお、彼は人間国宝第一回認定者です。11/4まで。
作品の素晴らしさもさることながら、交友の幅広さにも驚きます。陶芸に入るきっかけは、北大路魯山人の窯のある鎌倉に誘われたことのようです。しかし、その発見により、美濃に戻りました。ある時は、奥村土牛とともに薄墨桜のスケッチしたり・・・彼は絵が得意で好きだったのです。前田青邨、熊谷守一、小山富士夫、奥村土牛とも茶碗の合作をしています。なお、彼は人間国宝第一回認定者です。11/4まで。
今日の「人間国宝荒川豊蔵」の陶芸作品を拝見した事は有りません。
私は自分が陶芸を学ぶ(とは、申しましてもマダマダ習いたての西も東も解らない状態ですが)まで、殆ど興味が有りませんでした。
今、記事を拝見していまして、とても立派な方なのに驚いています。その道を極める方はやはり違いますね。
次は、お断りです。明日、五行歌を載せますが、どうしても啄木の詩が三行になってしまいました。
「三行」間違いです。
「二行」になりました。
啄木のあの歌の原作は三行ですが、ああして取り入れる場合はあれでよろしいと思いますよ。スペースがない時など都合で一行にする場合もありますし・・・
しかし、備前の作家ものの壺がりましたのに、玄関から泥棒が入りとられてしまいました。今は箱だけ残っています。警察に被害届けを出して3年、もう出てきません。作家ものは玄関に置かないように叱られてしまいました。
備前よりこちらの志野の方がいいですね。
人間国宝の荒川豊蔵は私も知りませんでした
でも志野焼きは大好きです
この筍の絵も見事です
何も解りませんが 感覚で好きです
matsubaraさんの玄関の備前は泥棒にあったんですか
ひどい事をする人もいるものですね
許せませんね
実はこの100年に5度泥棒に入られました。最初は深夜に日本刀を持った泥棒が入り、ほっぺたにぴたりと刀をつけて「金を出せ」。驚いた祖母は隣家に助けを求めました。ところが隣家は「怖いからいやだ、火事だと叫べ」というのです。そこでそれを実行し叫んだら泥棒は逃げたとか・・・