つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

悼・猿渡貞男先生

2005-10-20 | Weblog
 高校時代の恩師、猿渡貞男先生が8月にお亡くなりになられていたのに、ご親族で密葬され、秋になりようやくご息女のK子さんから知らせがありました。ご高齢で心配だったのですが・・・
 先生のことは一言では紹介しきれません。高校教師の後はドイツから哲学博士の学位を取られ、カリフォルニア大学客員教授でした。カントの研究者でもあり、心酔者でもあり、規則正しい生活を生涯守られていました。
 日本では哲学博士の称号はなく、文学博士に含まれます。有名な梅原猛氏も哲学者ですが、哲学博士ではありません。
 かって入院された時、お見舞いに行きましたが、枕もとには、ヘーゲルの著書が置かれてありました。(先生の戦時中の女学校教師時代のことは、5/18に書き込んでいます)     合掌
(写真は我が家の秋明菊、10/14は妻籠のものです)

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28 コメント

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興味深いです。 (西本正俊)
2005-10-21 09:45:19
つきみそう様、いつも楽しくそして興味深くブログを拝見いたしております。

何かしらこころが安らぐようなものが感じられ癒されます。今後もブログを楽しみに致しております。
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お励ましありがとうございます (matsubara)
2005-10-21 18:57:53
西本正俊様

お隣の福井県からコメントありがとうございます。

義兄が町長で地方自治と係わっていますので、身近に感じます。

小浜市は歌人、山川登美子の出身地ですので、歌に関わるものとしましては興味があります。親族に歌の後継者はありませんか。

福井県は水上勉の出身地でしたね。
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さすが良くご存知です (西本正俊)
2005-10-23 21:53:05
matsubaraさまありがとうございます。

義兄が町長をされているのですか。

小浜が世に出した歌人は山川登美子です。

親族に登美子の歌の後継者がいるか定かではありませんが、いないように思います。

しかし、市内などの有志が「若狭を謳う」という歌の催し物などの活動を続けていらっしゃいます。

また、水上勉はお隣の大飯町出身です。

水上さんは昨年お亡くなりになり、昨日大飯町岡田にある「若州一滴文庫」で追悼式典「帰雁忌」が営まれたと新聞に載っていました。

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尽くす人 (matsubara)
2005-10-24 19:41:32
西本様、またコメントありがとうございます。義兄は4期目だったと思います。

地方自治には舅も関わっておりまして、西本様と同じく、市会議員をしておりました。

人の為に尽くす人でした。



若狭には明通寺という素晴らしいお寺もありますね。25年ばかり前に行きました。
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故猿渡貞男先生 (川島彰夫)
2010-04-11 16:10:34
蔵書を整理していた時、猿渡先生の著書の
中道の倫理的価値が出てきたので、再度読み返し、他の全集物と一緒に関市の図書館へ寄贈しました。その後、インターネットで先生の名前を打ち込んで見たところ、先生の書かれた論文
の他につきみそうさんが、先生のことをブログに書いておられたのでコメントを書いてみました。私は岐阜北高で先生にお世話になった者です。
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川島彰夫様 (matsubara)
2010-04-11 19:53:54
5年前の記事にコメントありがとうございます。私よりお若い方ですね。
私は加納高校の時の教え子で、大学時代偶然ご長女の中学で教育実習を受け持ちました。
その後友人とご自宅に訪問したり、病院にお見舞いしたりしました。
同じご本を私も持っています。同窓会で分けてもらいました。
教え子とは加納高校以外おつきあいがないのでコメント嬉しく存じます。
先生の素晴らしさを話し合いたいですね。
卒業してから先生の凄さが分かりました。
高校の先生にしておくのは惜しい方でした。
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猿渡先生の授業 (川島彰夫)
2010-04-12 10:39:10
早速私のコメントを承認戴きありがとうございます。猿渡先生のお言葉の中で一番印象に残っているのが、あなた方のように若い方に私の考えをお話したほうが、大学生に講義をするよりも心に深く沁みこむと考えているとおっしゃり
サンスクリット語を黒板に大書され授業をして頂いたことです。化学、数学の授業の時は図書館に逃げていましたが、猿渡先生の授業だけは欠かさず聞いていたことを思い出しました。
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川島彰夫様 (matsubara)
2010-04-12 20:33:18
再びコメントありがとうございます。
先生はとても達筆で黒板の文字が正しい草書書きでしたので印象に残っています。
それに佐藤一斎という岐阜県の偉人についても教えて頂きました。
そうですね。後年サンスクリットを学びましたのでその価値を知ることが出来ました。
先生は写真の方もお得意で、県展に出されていましたので見に行きました。
高校の時も奥様やお嬢ちゃんの写真を見せて貰いました。モノクロ時代でしたのでご自分で現像されていました。
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佐藤一斎 (川島彰夫)
2010-04-13 19:37:39
佐藤一斎。最近娘婿の弟が一斎の重職心得箇条
を自分の政治活動の指針にしております。岩村町まで出かけ自分のブログにも書いておりました。私は同じ一斎でも古田一斎(昭和30年代中頃から47年頃まで関市の円空の彫刻をされていた方)のことをここ2年ほど調べて来ました。2月に関刃物会館に金山彦命の創作像を見つけました。
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川島彰夫様 (matsubara)
2010-04-13 20:40:51
関市にお住まいなのですね。
私は岐南町です。
義弟の方のブログを折がありましたら教えて下さい。岩村町には行きました。
図書券のカバーにも佐藤一斎の言葉が引用されていましたね。
東京にいたとき佐藤一斎の墓碑にお参りしました。遊楽街にありましたのでびっくりしました。
刃物会館にまたお訪ねしたいと思います。
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