つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

公民館短歌会 57

2010-09-18 | 短歌
 8月はお休みですので、昨日は二月ぶりの短歌会でした。もう来月は文化祭ですので提出歌も考えて頂くよう促しました。
 3枚の写真は、会員のHさんの博多みやげ。仁和加(にわか)煎餅です。二○加煎餅と書かれていて、箱の両面とも面白いのでupしました。江戸時代、お盆の夜に集まり、提灯の両縁を取ったものを頭から被り、目の部分だけを開けて、往来をそぞろ歩いたことに由来するそうです。人に会えば出まかせの軽口や謎の問題をしかけ、人々を笑わせる。それを仁和加と呼んでいたとか・・・

 Hさんの博多での高校時代、隣のクラスに金原くんという、とても活発で目立った子がいたそうです。後の「つかこうへい」です。7月に亡くなり、新聞には、韓国人差別に対して、「いつか公平」を願い、芸名もその「い」を外したものにしたと書いてありました。
 そんなに差別されていたの? と聞くと、「とんでもない、活動的で、話し声もよく響き、差別など考えられない・・・しかし、親は差別されていたかもしれないけど・・・」ということでした。福岡には韓国の人がとても多くて差別なんかしておれない、という状況だったそうです。

今月の作品

古希過ぎて再婚をせし友祝ふ独り身通しし母重ねつつ    Hさん

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ホテイアオイとメダカ

2010-09-16 | 動物
 Gさん宅で撮らせて頂いたホテイアオイとメダカです。9/8にupした奈良だより65では、ホテイアオイの群生の姿でしたが、一本だけでもきれいです。ミズアオイ科の水草。南アメリカ原産。花が美しい水草なので、日本には明治時代に観賞用に持ち込まれました。別名は、ホテイソウ、ウォーターヒヤシンス。

 魚飼育などの場合、夏の日陰を作るのによく、またその根が魚の産卵用に使えるので便利。下の写真は、青色のメダカ。卵をこのホテイアオイの根に産みつけ、増えるようです。孵化したばかりの小さいメダカは本当にかわいいです。しかし、親が口に入れてしまうため、親子別々に飼育。他の水槽では、黒色と赤色のメダカも育てておられます。お孫さんがエサ係りとか・・(赤色のメダカは、2005.12.29にup)
     
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国勢調査 3

2010-09-15 | 社会
 今年10月1日は、第19回国勢調査があります。5年前の平成17年9月と同じ日の13日に、説明会がありました。5年前調査員をしたことから、また指名されてしまいました。他の人のように辞退すれば楽だったのですが・・・もう4回目。(2005.9.14と10.4にup) 又頼まれた、という人が他にもありました。

 上の写真は私の担当地区の書類。5kgあります。前回と異なるのは、個人情報を守るということから、調査員も調査票は見ることはなく、封印されたものを集めることです。また、調査員に渡したくなかったら、郵送も認められます。説明会はビデオで訪問の仕方を学ぶことに始まり、書類の纏め方などで、二時間半もかかりました。前回より事務は多くなりました。9/20からの「お知らせ」配布がスタート。

 この調査で、町だけで800万円ほど使われます。全国の調査員・指導員は80万人ですから人件費も膨大です。平成22年度の調査の対象は1億2700万人、約5000万世帯。まず身分証に貼る写真の撮影から・・・帰りには出来上がり、貼り付け仕上がりです。
 下左の写真は袋の中身。防犯ブザーから、腕章までも・・・この他に、中国語の対訳の調査票も貰いました。担当のアパートに中国人がいると聞いているからです。下右は任命状。
 最下段は、通りすがりに撮ったムクゲ。


       
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奈良だより 66

2010-09-14 | 歴史
 奈良の前田さまから、牽牛子塚古墳の発掘調査報告がありました。以下はメールです。上の写真は、現地見学会案内標識。牽牛子塚古墳は有名で存じていたのですが、以前から朝顔とどういう関係があるのかと不審に思っていました。種と似ていることを初めて知りました。

 『明日香村にある「牽牛子(けんごし)塚古墳」の発掘調査によって、牽牛子塚古墳が7世紀後半に築造された八角形墳で有ることが判明し、日本書紀等の記述から斉明天皇とその娘、間人皇女の合葬陵であることが考古学的見地で確証レベルに達したと、多くの考古学者が述べています。
 今回の調査で、正八角形になる墳丘の裾と外周敷石の一部が見つかり、さらに石槨やその外側の構造も明らかになりました。石槨は南に開口する「刳り貫き式横口式」石槨で、東西5㍍南北3,5㍍高さ2,5㍍の推定約80トンの凝灰岩の巨石を中央に間仕切り壁を残し、東西二室に棺が並ぶように刳り抜かれ、床面には各々長さ1,9㍍幅80㎝高さ10㎝の棺台が設けられています。さらに今回の調査で石室の周囲を安山岩の柱状直方体(長辺2,7㍍短辺1,2㍍厚さ70㎝一本推定5トン)で取り囲んでいることが明らかになりました。石槨、柱状直方体、石敷きの石材、墳丘部の装飾用石材の推定総重量は540トンに達しますが、ほとんどは奈良・大阪府県境の二上山周辺から運ばれたようで、天皇家のような強い権力が無ければ困難でしょう。
 7世紀以前の大王古墳は前方後円墳か方墳がほとんどですが、八角墳は舒明天皇から文武天皇までの天皇陵の重要な条件とされていたようで、万葉集によく出てくる天皇の枕ことば「八隅知之(やすみしし)」を象徴しているのでしょう。
 「牽牛子」とは朝顔のタネのことで、間仕切り壁で仕切られた石室の姿を開口部から見れば朝顔のタネによく似ていることから名付けられたものと思われます。』

石英安山岩の直方体切り石                      石槨内部


石槨入口                              墳丘裾部の凝灰岩

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東本願寺のお菓子

2010-09-13 | わが家
 友人から東本願寺みやげの干菓子を頂きました。お寺の参詣については、2009.3.31にupしていますが、このお菓子には気づきませんでした。ご遠忌のため、特別に作られたお菓子。すぐに頂くのはもったいなく撮影して見ました。干菓子は、和菓子の美しさが集約されています。お抹茶にもあいます。

 「和三盆糖」と書かれ、宗祖親鸞聖人750回御遠忌記念・「今、いのちがあなたを生きている」と添えられています。
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音楽発表会 4

2010-09-12 | わが家
 昨日は、岐阜市のサラマンカホールで孫たちの音楽発表会がありました。二人の孫はヴァイオリン。ピアノが最も多く、中にはトランペットもあり、講師のサックス、弦楽器の合奏など盛沢山で退屈しません。二日間にわたり、80人が発表。上の写真は、下の孫。

 娘が子供の頃は発表会と言えば、女の子はワンピースか、ブラウスとロングスカートが定番でしたが、今は服装は自由。ミニスカートの子もありました。靴はスニーカー。時代ですね。曲も昔はクラシックばかりでしたが、新しい曲もありました。

 昨日は、全国50の地点で猛暑日。9月とは思えない暑さが続いています。

上の孫                               トランペットの少年



弦楽器の合奏                            ミニスカートの少女

    
    サックス(講師)
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手作りパン

2010-09-11 | わが家
 バンやお菓子を、ご自分でよく作られるGさんからの頂き物です。上の写真のパンは中に餡が入っていますし、下のクッキーはスライスしたアーモンドや胡麻入りで、とても美味しかったです。
 何よりも好ましいのは合成保存料や着色料が入っていないこと。彼女は料理が好きだから、「簡単よ」と、言われますが、とてもとても・・・真似は出来ません。ありがとうございます。
           
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ベトナムのグェンさん

2010-09-10 | ボランティア
 以前(3/27,28)ベトナム料理を教えて頂いた、ベトナム人のグェンさんをボランティア事務所に招き交流を図りました。彼女は日本人と結婚し、小学生と幼稚園児の母です。写真は8月に母国に帰省された時のおみやげ。下の写真の左側は、中国のジャスミン茶とよく似た匂いのお茶ですが、この花はベトナム独自のもので日本にはないようです。右側は、チップ。中身は上の写真です。この中で細長いものはベトナムの芋のチップ。色が紫と白のまだらです。黄色い楕円形のものは日本にはないジャックフルーツ。丸いものはバナナチップ。

 グェンさんの誕生された1970年代はベトナム戦争は終わりに近かったのですが、まだまだ国はひどい情況で長く電気もありませんでした。お母様が彼女を妊娠している時にも空爆があり、命からがら逃げられたこともありました。ベトナム戦争を始めたケネディを恨んでいるの、と聞いてみたのですが、もう過去のことで・・・

 ベトナムは1000年も中国に支配され、100年間はフランスが支配。挙句の果ては米軍の攻撃を受けたという悲惨な国です。8000万国民の悲しみを彼女から聞きました。90%は、主な民族で、残り10%が52もある少数民族。そこはまだ昔ながらの生活が続いています。
 それにしても他国にそれだけ支配されながら、ベトナム語がなくならなかったのが凄いと思いました。彼女は日本語より英語が堪能で、メールは英語でやりとりしています。多分ご主人との最初の会話は英語だったのでしょうね。

 彼女は北ベトナムのハノイ出身。ベトナム戦争の時は、今の北朝鮮と同じで報道規制をされ、世界から孤立していたそうです。
        
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ヤナギバルイラソウ

2010-09-09 | 植物
 通りすがりに近くの側溝で撮影したヤナギバルイラソウです。外来種でとても強靭らしく、コンクリートの隙間にまで広がっていました。
 ヤナギバルイラソウ(柳葉ルイラ草)は、春~晩秋まで長期間、葉腋から花茎を出してその先に紫色の一日花を咲かせる半耐寒性常緑小低木。花冠は、5つに深く切れており、花弁に多数の皺が見られます。花が終わると萼と雌しべを残して、花冠がそっくりそのまま落ちます。花後に莢が出来て、中には茶色い種子が沢山入っています。葉は柳の葉に似て細長く、葉のつき方は対生。キツネノマゴ科。
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奈良だより 65

2010-09-08 | 国内旅行
 奈良の前田さまから美しいホテイアオイの写真が送られて来ました。以下はメールです。上の写真は、元薬師寺東塔跡基壇。

 「夏の終わりに咲くホテイ葵が満開です。今年の異常気象のせいか例年になくホテイ葵が元気です。元薬師寺は天武9年(680年)天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈念して発願し、造立を始め天武天皇崩御後の持統11年(697年)にほぼ出来上がり、文武2年(698年)に落慶法要が営まれましたが、平城遷都に伴ない西の京に移転しました。
 金堂を中心に東西に塔を配した薬師寺式伽藍配置で、配置規模は西の京薬師寺と全く同じ寸法で設計されているようです。薬師寺が平城に移転した後も金堂他一部の塔頭は平安中期まで本薬師寺と呼ばれて存続したようです。位置的には近鉄橿原線畝傍御陵前駅の東約400m大和三山の畝傍山の東600mです。」

追記;相変わらずの暑さで、日本各地で9月の猛暑日の更新を続けています。昨日の岐阜市も35度。国内では38度の地点もありました。今日は台風9号のせいで少し涼しくなりそうです。


満開のホテイアオイ                         ホテイアオイと畝傍山(手前はハス)


金堂跡                               東塔礎石跡
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