日々の生活のなかに・・・
最近、やしきたかじんの番組にはまってしまってハードディスクに録りだめては見ています。
そのオープニングで、「日がたつのが早いと感じるのは、いろんな経験をしてきてその光景で脳に何も止まらなくなるから・・・」って話していました。
脳に止まるというのは、若い時には経験をしていないことが多くあるため、いろんな好奇心等から(?)って思い止まり止まり進むから日がたつのが遅く感じるというのです。
「今となってはデジャブ―の人生・・・」
笑いながらも、何か分かるようなそうでないような・・・
私は、若い頃から好奇心とか探究心とかというものをあまり持つことがありませんでした。
今もそうです・・・情けないかな。
でも、あっと言う間に過ぎてきたような・・・
今に至ってはあっと言う間が急加速しているように感じるのです。
昨日のご講師さんのお話、「真宗には修行がありませんが、日常生活のなかにこそ修行があるのです」ということでした。
いろんなモノを抱えながら生きゆくのです・・・
そのなかで一番大きいもの「人間関係」のしんどさを話されました。
大きく頷いてしまう私がいました。
可愛くて、愛しいものは寄せつけようとするし、憎しい人は突き放そうとする愛憎違順。
私の姿を言い当てられるかのように聞かせていただくのです。
そんな人間関係を築いてしまう私・・・
それが嫌だから交わろうとしない私・・・
でも、やっぱり人間関係のなかで生かさせていただかなければなりません。
今日一日でも多くの方と出会いました。
加速されるように感じる日常だからこそ出会える方々と大切に過ごさせていただかなくてはいけませんね・・・
夕方、「ピンポ~ン、ピンポ~ン」って呼び鈴がなります。
玄関に出ると小さい人影が扉のガラスに映ります。
あ~、寺子屋来たんだって直ぐに分かりました。
「あの~、お寺で遊んでいいですか?」って数人の小学生の女の子が集っていました。
私にそう声をかける時にはぎこちないのですが、直ぐに降りてきた坊守の姿を見るなり表情が変わります。
「ようお参り~」って優しく接する坊守の姿。
彼女たちにとって本堂でのひと時は長かったのでしょうか、短かったのでしょうか・・・
楽しそうな声に「あっ」と言う間の空気を感じたことです。
この日常のなかにおいて「お寺に行こう!」と思い立たせるものは何だったのでしょうか・・・
そこに真実の優しさがあるからなのでしょうね!