飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

竹原革命の意味するもの-日本の縮図、日本の革命-②

2011-01-21 19:37:32 | ブログ

驚くことに、機動隊の出動要請をしなければ、
似非右翼の出現はない!!
警察と右翼はつるんでいる!!
阿久根市で実際にあった話、-竹原氏裏話暴露-


 その理由は、警察の裏金が作れないからだという。驚天動地の実話である。

Kyugu

竹原阿久根市長にフォーカス!!③より再掲>


 では、一体、似非右翼の活動資金はどこから出ているのか? それはおおよそ推理出来る。警察の裏金が回っているのだ。そうとしか考えられないではないか。最悪のマッチポンプである。


 そう言えば、リチャードさん家に来た似非右翼も、大分、警察には貢献したことだろう。そう想えてくる。何という、空恐ろしい話ではないか。


 阿久根市は小さな街である。小さな街だからこそ、互いの顔が見える。すると露骨な妨害工作が起こる。村八分である。それを主導するのは誰か? 役人だと云うから呆れる。呆れるがどうも実態のようだ。

【転載開始】お名前:阿久根市民
コメント:市民ホールで阿久根市政を考える会をされているという事で、
自分も行ってみたいと思っています。
しかし、行けません。
理由は役場の目が怖いからです。
わたしの親、親戚はみんな自営業です。
お客さんに役所関係の人がいて、もし竹原さん側を支持してると知られると
もう店に来てくれないかもしれないから、公に言うのはやめてほしいと
頼まれています・・・
実際、村八分にされた人もいて、本当に怖いです。
その親戚も本音は竹原さんを支持していますが、絶対に言えずにいます。
こうやって、わたしたちはずっと役所関係者の目を気にしながら
生活してきました。こんな事じゃいけないと分かっています。
しかし、やはり怖いです。
選挙だけは名前バレしないので、投票できますが、表だって活動する事ができません。
悔しいです。情けないです。
たぶん、わたしのような人が沢山いると思います。
そんな市民の心の声に気づいて行動されている竹原さんは凄いです。
今の公務員天国の市では、陰ながら応援する事しか出来ずにいます。すみません。【転載終了】


 これなども、全く、日本の縮図だ。国家の場合は、検察等国家権力になるが、小さな街の場合は、役人による村八分だ。役人と役所に利害関係のある住民がその下手人となる。それが恐ろしいので、表だって竹原氏を支援出来ないのだ。


 だから、何度もリコールが起こる。


 このカラクリは、どこも同じだろう。言えば、唇寒しの段階ではない。人権問題である。


 しかし、考えても見よ! 役人とて、同じ人間、市民である。役人である内は良かろうが、必ず、一市民となる。全てが役人になれるはずがないではないか? 愚かな話と気づかなければなるまい。


竹原信一候補、三度目の阿久根市長を目指す戦場から③5日目街頭演説 
http://www.youtube.com/watch?v=IrA3HGHiO3A


竹原信一候補、三度目の阿久根市長を目指す戦場から④6日目街頭演説
http://www.youtube.com/watch?v=Mn1-Q84CBRA


<続く>


不思議な少年!! その94

2011-01-21 15:43:48 | 物語

弟子たち麦をたべる。イエス彼らの寃(えん=ぬれぎぬ)を雪(すす)ぐ!! 


 何時の時代にも、形式主義は存在する。現代にも、パリサイ人は存在しないとは云えない。

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記事に無関係>  


 聖書は優れた書物である。それが霊によって示された書物であろうがなかろうが、凡俗には判断出来ないことだから、そう言うことには関係なく、多くの真実を見いだすことが出来るからだ。


 ところが、聖書を崇拝するあまりに、教条的になるのは本来的に好みではない。教条的な人々は、何時の時代にもいる。何も聖書には限らない。全ての宗教にも当てはまるであろう。所謂、原理主義者である。 


 物事には、事の軽重というものが在ろう。エホバの証人が、輸血を断固、忌避し自分の子供すらも死に至らしめることが、報ぜられたことがある。輸血は良いものとは思わないが、かといって肉体を維持するには、緊急に必要な時もある。


 それと同じで、信仰は生けるもののためにあると考えれば、融通無碍の心得を必要とする。エホバは、ブルックリンの回し者が作ったカルトと考えているから、例に挙げるのは論外であるが、信者は教条主義の犠牲者だ。彼らは聖書を読んでいるが、本当は聖書の一方的解釈を洗脳されているのである。


 多くのクリスチャンは、真面目で真摯である。しかし、中には聖書を形式的に捉えすぎているきらいも無きにもあらずと感じる。投稿者がクリスチャンではないので、言わば素人であるから、一笑に付されるかも知れないが、それはしょうがない。


 もとより、『The Aquarian Gospel of Jesus』は、聖書とは違う。聖書派から云えば、異端であるかも知れない。しかし、聖書では聖書以外は異端とは一言も書いてはいない。ましてや、イエスはそう言ってはいないと思う。


 そう言う意味で、安息日に病人を癒したイエスは、何を伝えたかったか、考える意義ある章である。又、好きな章で、今更ながらイエスを信頼出来る所以である。。


  キリスト者熟した麦畠を通る。弟子たち麦をたべる。イエス彼らの寃(えん=ぬれぎぬ)を雪(すす)ぐ。キリスト者カペルナウムに帰る。イエス安息日にしなびた手をいやし、その行為を弁護す。


 再び安息日が来て、イエスと弟子たちは熟した麦畠を通った。そして彼らは飢えていたので、麦の穂を手でもんでたべた。彼らと一緒に行った人々のなかに厳格なバリサイ人が居ってイエスに言った、


 「先生、なぜお弟子たちが安息日にしてはならないことをするのですか。」


 イエスは言った、「あなたがたはダビデとその従者が食べもののなかった時に、どうしたか聞かなかったか。ダビデが神の家に行って、聖所の台から供えもののパンを取ってたべ、それから一緒に居った人々にもたべさせたことを聞かなかったか。

 わたしはあなたがたに言う、みなの人々よ、人の必要なものは儀式のおきてに勝って居る。そしてわれらの聖書には祭司たちが聖所に仕えて居る間だ、色々な方法で安息日をけがしたけれども、罪にはならなかった。

 安息日は人のために出来たもので、人が安息日のために出来たものではない。

 人は神の子で、最高のおきてなる永遠の正義のおきての下(もと)にあるから、成文律を取り消すことも出来る。犠牲のおきては人の作ったおきてに過ぎない。そしてわれわれのおきてにあっては、神が何よりも先ずあわれみを求めると記してある。あわれみはすべての成文律の上にある。

 人の子はすべてのおきての主である。『あわれみに正義は従う、されば謙(へりくだ)って汝の神とともに歩め』と書物に書いてあるのは、予言者が正義の総括(そうかつ)ではないか。」


 それからイエスと十二弟子はガリラヤに行き、安息日の前日カペルナウムのイエスの家についた。


 彼らは安息日に会堂に行った。群集もそこに来た。イエスは彼らを教えた。


 礼拝者のなかに手の不白由な人がいた。律法学者とパリサイ人はイエスがその人を見たことに気がついて言った、「彼はどうするだろうか。安息日にいやすだろうか。」


 イエスは彼らの思いを知り、手の不自由な人を呼んで言った、「起きてこれらの人々の前に立ちなさい。」


 また言う、「律法学者とパリサイ人よ、口を開いてわたしに答えよ。安息日に生命を救うのは罪か。もしあなたがたが羊.を飼い、その一匹が安息日に穴に落ちたら、これを助けあげるのが悪いか。翌日まで泥のなかに苦しめておくのがあなたがたの神の思召だろうか。」


 非難者はだまっていた。


 それから彼は彼らに言った、「羊は人間以上に貴いか。神の律法(おきて)は正義の岩に記されている。公正が律法を書き、憐れみがペンであった。」


 それからイエスは言った、「あなた、手をあげて延ばせ。」彼は手を挙げた、手がよくなった。


 パリサイ人は忿懣(ふんまん)のあまり、ヘロデ党とひそかに会合し、どうすればイエスを殺せるかと相談し始めた。しかし彼らは民衆が彼の擁護に立つから、公然と訴えることを恐れた。


 イエスと十二弟子は去って海辺に行き、多くの人々はこれについて行った。

 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            


第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目



 第九十三章 キリスト者熟した麦畠を通る。弟子たち麦をたべる。イエス彼らの寃(えん=ぬれぎぬ)を雪(すす)ぐ。キリスト者カペルナウムに帰る。イエス安息日にしなびた手をいやし、その行為を弁護す。



1)再び安息日が来て、イエスと弟子たちは熟した麦畠を通った。

2)そして彼らは飢えていたので、麦の穂を手でもんでたべた。

3)彼らと一緒に行った人々のなかに厳格なバリサイ人が居ってイエスに言った、

4)「先生、なぜお弟子たちが安息日にしてはならないことをするのですか。」

5)イエスは言った、「あなたがたはダビデとその従者が食べもののなかった時に、どうしたか聞かなかったか。

6)ダビデが神の家に行って、聖所の台から供えもののパンを取ってたべ、それから一緒に居った人々にもたべさせたことを聞かなかったか。

7)わたしはあなたがたに言う、みなの人々よ、人の必要なものは儀式のおきてに勝って居る。

8)そしてわれらの聖書には祭司たちが聖所に仕えて居る間だ、色々な方法で安息日をけがしたけれども、罪にはならなかった。

9)安息日は人のために出来たもので、人が安息日のために出来たものではない。

10)人は神の子で、最高のおきてなる永遠の正義のおきての下(もと)にあるから、成文律を取り消すことも出来る。

11)犠牲のおきては人の作ったおきてに過ぎない。そしてわれわれのおきてにあっては、神が何よりも先ずあわれみを求めると記してある。あわれみはすべての成文律の上にある。

12)人の子はすべてのおきての主である。『あわれみに正義は従う、されば謙(へりくだ)って汝の神とともに歩め』と書物に書いてあるのは、予言者が正義の総括(そうかつ)ではないか。」

13)それからイエスと十二弟子はガリラヤに行き、安息日の前日カペルナウムのイエスの家についた。

14)彼らは安息日に会堂に行った。群集もそこに来た。イエスは彼らを教えた。

15)礼拝者のなかに手の不白由な人がいた。律法学者とパリサイ人はイエスがその人を見たことに気がついて言った、

16)「彼はどうするだろうか。安息日にいやすだろうか。」

17)イエスは彼らの思いを知り、手の不自由な人を呼んで言った、「起きてこれらの人々の前に立ちなさい。」

18)また言う、「律法学者とパリサイ人よ、口を開いてわたしに答えよ。安息日に生命を救うのは罪か。

19)もしあなたがたが羊.を飼い、その一匹が安息日に穴に落ちたら、これを助けあげるのが悪いか。

20)翌日まで泥のなかに苦しめておくのがあなたがたの神の思召だろうか。

21)非難者はだまっていた。

22)それから彼は彼らに言った、「羊は人間以上に貴いか。

23)神の律法(おきて)は正義の岩に記されている。公正が律法を書き、憐れみがペンであった。」

24)それからイエスは言った、「あなた、手をあげて延ばせ。」彼は手を挙げた、手がよくなった。

25)パリサイ人は忿懣(ふんまん)のあまり、ヘロデ党とひそかに会合し、どうすればイエスを殺せるかと相談し始めた。

26)しかし彼らは民衆が彼の擁護に立つから、公然と訴えることを恐れた。

27)イエスと十二弟子は去って海辺に行き、多くの人々はこれについて行った。


 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


SECTION XVI

AIN

The Second Annual Epoch of the Christine Ministry of Jesus

 

CHAPTER 93

The Christines go through a field of ripe wheat, and the disciples eat of the wheat
Jesus exonerates them. The Christines return to Capernaum. Jesus heals
a withered hand on the Sabbath, and defends his deed.

ANOTHER Sabbath day had come and Jesus and the twelve walked through a field of ripened wheat.
2) And they were hungry and they took the heads of wheat and in their hands threshed out the grain and ate.
3) Among the men who followed them were Pharisees of strictest sect, and when they saw the twelve thresh out the wheat and eat, they said to Jesus,
4) Sir, why do the twelve do that which is not lawful on the Sabbath day?
5) And Jesus said,
Have you not heard what David did when he and those who followed him had need of food?
6) How he went to the house of God and from the table in the Holy Place took of the presence bread and ate, and gave to those who followed him?
7) I tell you, men, the needs of man are higher than the law of rites.
8) And in our sacred books we read how priests profane the Sabbath day in many ways while they are serving in the Holy Place, and still are free from guilt.
9) The Sabbath day was made for man; man was not made to fit the Sabbath day.
10) The man is son of God and under the eternal law of right, which is the highest law, he may annul the statute laws.
11) The law of sacrifice is but the law of man, and in our law we read that God desires mercy first; and mercy stands above all statute laws.
12) The son of man is Lord of every law. Did not a prophet sum the duties of the man when in the book he wrote: In mercy follow justice and walk humbly with your God?
13) Then Jesus and the twelve returned to Galilee, and on the day before the Sabbath day they reached the home of Jesus in Capernaum.
14) And on the Sabbath day they went up to the synagogue. The multitudes were there and Jesus taught.
15) Among the worshippers was one, a man who had a withered hand. The scribes and Pharisees observed that Jesus saw the man, and then they said,
16) What will he do? Will he attempt to heal upon the Sabbath day?
17) And Jesus knew their thoughts and he called to the man who had the withered hand and said,
Arise, stand forth before these men.
18) And Jesus said,
You scribes and Pharisees, speak out and answer me: Is it a crime to save a life upon the Sabbath day?
19) If you had sheep and one of them fell in a pit upon the Sabbath day would you do wrong to take it out?
20) Or would it please your God to let it suffer in the mire until another day?
21) But his accusers held their peace.
22) And then he said to them,
Are sheep of greater value than a man?
23) The law of God is written on the rock of Right; and Justice wrote the law, and Mercy was the pen.
24) And then he said,
Man, raise your hand and stretch it forth.
He raised his hand; it was restored.
25) The Pharisees were filled with rage. They called in secret council the Herodians, and they began to plot and plan how they might bring about his death.
26) They were afraid to publicly accuse, because the multitudes stood forth in his defense.
27) And Jesus and the twelve went down and walked beside the sea, and many people followed them.

 【続く】