相変わらず朝堂院大覚氏は舌鋒鋭い・・・
氏について、いろいろ所見はあろうが、
修羅場を実施している人間が語るところに、
本音が垣間見えるから、迫真に迫る・・・。
そう言うところが面白いところではある。
とにかく、これまでに政治経済は、欲の絡まりから経綸(けいりん)している。それはもう顕かであろう。
ところが、
その総本山が破綻しかけているから、欲の拡大再生産が限界を迎えたと言うことだろう。それまでは、何でも右肩上がりに見えていた。その内、帳尻を合わそうと集りにたかった風潮が、陰りを見せて帳尻を合わそうにも見通しを失ったわけだ。
だから、安易な増税にその活路を見いだそうとしているのが、良く推察できる。
膨らました経済が、すぼみ始めたから、投資運用がことごとく行き詰まっているのである。その膨らみは、終局において金融経済に消えた。その最期の砦の金融経済は、マネーゲームで破綻しかかっている。
どこからも金を生み出す論拠を失ったのである。論拠に信用がなくなれば、如何なるマネーも創りようがない。創ってもすぐに暴落する。マネーは信用が命である。これが現状である。
インフレも似たようなもので、実体経済に信用があれば、それも防げようが、金融崩壊では絵に描いた餅になろう。世界は実質的にインフレーションの最中にある。景気もひとつの気であるから、信用がなくなれば気落ちするのは当然であろう。
信用とは、信仰のようなもので、実体とは関係がない。実体に裏打ちされた信用経済を、もうとっくに失っている。それが金融経済偏重のなれの果てだ。
丁度、博打をしてもレートばかりが高くなり、いざ支払いになると賭博場が破綻して、持ち逃げされるばかりであるから、信用を失ってしまった感がある。ルールもへったくれもなく、持ち逃げされたら、取られ損だ。
それを誰も追求しないと来たら、モラルハザードを飛び越えて、弱肉強食の闘争しか無いだろう。
そうなる前に、この際、欲を捨てて、共存の途を選び取るしかあるまい。
実は世界は、競争ではなく、共存であると認識を新たにすれば、変わる。競争をして、勝った負けたの繰り返しから、如何に助けたかという価値観が生まれたら、その信用は無限である。宇宙は無限であるように、共存することに限界はない。
と言うことは、信用は無限になり、破綻することはない。それを担保に新たなマネーを創造すれば、暴落をすることが無いマネーになるはずだ。当然、利息など必要ない。共存の程度が言わば利息である。
そう言う時代になれば、年金が有ろうが無かろうが、老後は安泰だろう。しかし、自由というものが求められるであろうから、最小限度の年金は必要とされるだろう。
どうせ目減りした年金など、欲っとしく、求めるより、新たな生き方を始める方が求められる。雑感である・・・・。
週刊報道特集#1 5/16