つむじ風ブログは、
”純粋な理知をブログに捧ぐ”として始まった!
その実現が、つむじ風ねっとショップである!!
まあ、ささやかなプラグマティズム(実用主義)だ。
-副題-つむじ風ねっとショップは、こうして出来た!
禅問答みたいな話になるが・・・・・
生きているから何かするのか? 生きるために、何かするのか? どちらだろうか? 私は前者であろうと思っている。
物心つく前から、人間は生きていた。そして、そのときから、何かをやらかしていた筈である。
つまり、人間といえども、
『まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。-マタイによる福音書 / 6章 26節』とは、聖書の一節であるが、これと何ら変わらない。
でも人間は後付理論を求める。
それが人生観というものだろう。
まあ、それが前記後段の、
『あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。 -同上』 とも言えるから、人生観もアリだろう。人間は考える葦である。
はじめは誰かに養われて現在がある。今も実はそれはそんなに変わらないわけで、生かされているのが実相だ。『生きるために、何かしている。』ということは、ほとんど経済的自立の言葉であろう。
中には、『これがあるから、私は生きていける・・・』という、何というか心の支えを意識している方もおられるかも知れない。まあ、物心両面と言うことにしておこう。
ブログを書くのも、その中の一つである。
それと同じで、つむじ風ねっとショップを始めたのも基本は同じである。ブログはイデアを語るが、ショップは実用である。
考えや情報も価値があれば、ショップにおいて実用に叶う事あるかも知れない。それも考えた。しかし、躊躇した。
情報はロハ(只=無料)でなければならないと、考えたからである。
ブログはその情報メディア(媒体)であって、それ以上のものではない。情報メディアが情報を有料化するのはどうも意に沿わないと考えたからである。
いわゆるプロの『情報人』という方々がおられる。いわゆる、ジャーナリストと呼ばれる方々である。それは情報を『生業(なりわい)』にしているから、有料、それは当然だ。
残念ながら、私はそうではない。見方に依れば道楽かも知れないし、趣味の範疇かも知れない。少なくとも、誰かに要請されたことも、指図されたこともない。勝手に始めたことであるから、それを有料化するのはおこがましい、と考えるのも自然だ。
だが、『情報はロハ(只=無料)でなければならない。』ということを、私は標榜としている。これは一つの矜持である。後付理論のブログ観の様なものだ。同時に、数多ある情報のうちロハの情報で構成するというのも一つの信条だ。これは色つきの情報を排するとの意味もある。又、有料情報は拡散できないからである。
情報は空気みたいなものだ。空気で人は生かされるように、情報で人間は新たというものを覚える。つまり、脱皮の機会を得るのである。これはやっぱり、機会均等である必要であるだろう。基本情報は、ロハであるべきだ。オポチュニティー(機会)情報は、別である。
そういう基本姿勢でブログを発信している。
人生とは表現である。
所詮は、生きると言うことは何かを表現している事だ。
ブログもその一つだろうと思っている。それが、簡単にできる時代を有り難く思っている。インターネットがそれを可能にした。そして、私はそのブログを書くことを、誰彼もなく、推奨している。当に『物言わぬは、腹ふくるる技なり・・・』であるから、人の迷惑にならない限りは大いに物を言えばよろしい、と言うわけだ。
こうして、ブログは書くわけである。まあ、テーマが『純粋な理知をブログに捧ぐ』という大層なものなった。揶揄されることもあるが、これも挑戦であるし、表現である。
さて、その延長戦につむじ風ねっとショップも始めたわけだから、これも挑戦といえるだろう。その理由は先に書いたが、切っ掛けはそれを可能にさせる場が存在していたからだ。
インターネットの広がりは、同時に、情報に限らず物流のシステムにも容易に変革をもたらす。これからはクラウドコンピューティングが常態化するであろうと読んだ。ならば、昔取った杵柄で、物の提供が容易に取り組める筈だ。というのは誰しも考える。
これはブログと違って、実用であるからいろいろちょっと準備が大変だ。書けば終わりというわけにはいかない。しかし、確実に可能だ。そう考えた。
面白いといってはいろいろ語弊があるかも知れないが、一つの面白い『仕事』になる。
こういうことをやり始めると、必ず、『人のフトコロを気にする』人々がとやかく言う。こういうのは無邪気の逆の邪気と思っているから、無視するわけだ。やりたい人はやればいいし、人のことはとやかく言うのは、相当な暇人だ。他人の人生を生きている暇(いとま)は、実に勿体ない。
それはさておいて、人に仕えることも良い。会社に仕えることも、国に仕えることも又良しだ。とにかく、公に仕えることは気持ちの良いものだ。又、単純に『事に仕える』ことは無邪気で良いものだ。それが仕事だと考えている。
又、仕事は楽しいものである。ゲームと同じで楽しい。
ブログも挑戦、つむじ風ねっとショップも挑戦である。挑戦するから、ゲームと同じように楽しくなる。
例えば、この度の大震災、そして、放射能禍についても、様々な知見も数多く発表されている。結構なことである。その知見を生かせる人間は、大いにそうするべきだし、そう思わない人はスルーすれば良いのである。
知見も大事だが、結果を実現するためには、実行するか、サービスを受けるしかない。つまり、実用が不可欠になる。
サービスには、サービスサー(サービス提供者)が、不可欠だ。
これがつむじ風ねっとショップの目指すものである。どこまでやれるか、やってみようと考えている。しかし、今は、その端緒についたばかりである。始まりにすぎない。
大震災があったから、つむじ風ねっとショップを立ち上げたわけではない。それははっきりさせておきたい。予てからの必要・必然の結果だ。そして、このことは、何の秘密もない。すべて公開し、共有していきたいからこうして書いているのでもある。
『私には夢がある。』 それは些細な夢だ。
それは、互いにストレスもなし仕事に関わりたいと思っている。出来れば、共感・共有の基に関わりたいと考えている。人間とは相身互いの存在であるから、相互依存、共存が可能だと考えている。自分の特質を生かし、相手に貢献することがあるはずである。
関わりたくなければ、スルーすればよい。つむじ風ねっとショップのあり方でもある。だから、キャンセルは無期限、返品もOK! その際の返金も全額OK主義である。とにかく、価値のない物を強要される必要は全くないし、私も、されたくない。
これが可能になるというのもインターネットの凄味である。そして、今後、クラウドコンピューティングは一層進化する。そういうわけであるから、これからこのテーマでいろいろ書いていきたい。今回はそのプロローグである。
勿論、参入される向きは歓迎する。共にネットーワークを組み、情報交換を超えて、実用主義を進展させようではないか? そのノウハウは実はいくらでもある。
ささやかなPragmatism(プラグマティズム)!?
実用宣言!
である。お後がよろしいようで・・・・よろしく!
<告知>
驚異のキレート作用物質
フルボ酸
体外排出の可能性・・・・?!
新たに、つむじ風ねっとショップGrace Net INc. 版発進!!
放射能フリー野菜・フルボ酸専用サイトです。
画像をクリックすると、いきなり、サイトに移動します。
『放射能フリー野菜』、『フルボ酸関連』の専用サイトです。
引き続き、よろしくお願い致します。
新鮮で汚染されない、
空気、
水、
食品が、今、問われている・・・・・!
はたして、水の放射能が浄水器で取り除けるだろうか??!
4000度超で蒸散した核種が、逆浸透膜で取り除けるだろうか??!
確かに、原理的には難しい・・・・しかし、既放出核種は塵と共にある。