お金と銀行業
お金と銀行業についての話があった。一つの話は、
“インフレは無限だ。あなた方はあなた方が望むところに、数字のあとに無限のゼロを置くことができ、小数点を置くこともできる。”
インフレは統治者の道具であるという暗示として言ったのである。
お金は卓越した信用になるだろう。それはすでに、・・お金は第一に信用事である。しかしお金の交換は現金あるいは触れるものでなく、電子的な信用の信号であ
る。人々はチューインガムやキャンディ・バーのようなものを買うためにほんの少しだけ持ち運ぶだけである。ポケットのようなものである。かなりの量の買い物は電子的に行われるだろう。
賃金はあなたの口座に電子的に入れられるだろう。それは単純な銀行システムである。それは表向き1つ以上であるように見える。しかし、最終的にそして基本的にそれは1つの単純な銀行システムである。そのため、あなたが支払われるとあなたの賃金は、あなたのために、あなたの口座に入る。そしてあなたがあなたの口座から引き落とされ、あなたは何も持ち歩かない。
また、コンピュータの記録は、あなたが支払ったことはなんでも保持されるので、もしあなたが何か特定の品を、余りにたくさん買ったとき、どこかの当局が、あ
なたがあなたのお金で何をしようとしているかを知りたいと思えば、彼らは遡って、あなたの買い物を調査し、あなたが何を買おうとしているかを明らかにする
ことができる。自動車、バイク、冷蔵庫、ラジオ、テレビなどかなりの大きさの買い物を支払うと、あるいは、それに何かIDのようなものをもち、それを追跡でき、それを譲ったり、盗まれたりすると素早く当局は、なんでも、誰が、いつ買ったかを確定することができるだろう。コンピューターはこれがおこるようにさせるだろう。
次のような認識が述べられた。
お
金を蓄える能力は、削減されるだろう。人々は、多量の富を蓄えることはできなくなるだろう。富は権力を表し、多くの人の手に富があるのは人のためにならな
い。そこで、もしあなたがあまりに多くを持っていたら、税金がかせられるだろう。多く蓄積すればするほど高い税率がかけられ、あなたの蓄積は実際、決して
早くすることはできないだろう。もし、あなたがたくさん蓄えているのがわかれば、あなたの報酬はカットされるだろう。“あなたは使う以上に貯めている。あ
なたは実際はそのお金のすべては必要ない。”
こ
の考えは、基本的に人々をいかなる富も貯めることから妨げ、それはこのシステムに長い間破壊的な影響を持つかもしれない。人々は借りるためにクレジットを
使うことを仕向けられ、それから、その借金を踏み倒すことを仕向けられ、彼らは彼ら自身の信望を破壊するだろう。ここの考えは、もしあなたがクレジットを
賢く使うのに、あまりにも愚かだったら、もし、いったん、あなたがあなたのクレジットを破たんさせれば、このことは当局にあなたを厳しく取り締まらせるこ
とになるだろう。
電子支払いは、最初、異なった種類のクレジットカードに基づくだろう。・・・1969
年にはある範囲まで使われていた。今ほどではないが。しかし、人々は電子的細片を備えたクレジット・カードをもち、いったんそれに慣れると、それは、すべ
てを1つにまとめたものを持つ便利さと1つの金融システムを供給することを目指すだろう。そして、すべてのプラスチックのカードを持ち歩くことをしなくて
も良くなるだろう。そこで、次のステップは1枚のカードとなり、その次のステップはこのカードに代わり皮膚に埋め込むことになる。カードは無くしたり、盗まれたりする問題が発生する。他の誰かのと交換されIDを混乱させる。一方、皮膚に埋め込めば無くすことも、騙すことも、他の人に移すこともできず、あなたとあなたの口座は、エラーなしに認証される。
皮膚の埋め込みは皮膚の便利な場所に設置されるだろう。例えばあなたの右手とか額とかに。
それを聞いた時、ヨハネの黙示録にある言葉と違うと思った。
彼は次のように言い続けた
“今や、聖書を読む人のいくらかは、これに対し聖書に重きをおくだろう”
・・しかし、かれは聖書の大切さを全く拒否し続けた。
そのシステムがどのように働くことができ、働くべきか、そのシステムのなかに迷信的な聖書の諸原理を読みとる必要はない、というのが共通感覚であった。私は、そのとき黙示録の言葉に親しみがなかった。しかし、その後すぐ、それに親しみ、彼が言ったことの重要性が衝撃的だった。私は決してそれを忘れない。
政府や有力者がすべての人々を監視している:あなたがテレビを見ている間
インプラントについていくつか話があった。インプラントは無線信号を備えることにより、彼ら自身が監視するのに役立つだろう。これは、詰め物のように皮膚の下や歯のインプラントとして入れると、逃亡者やたぶんほかの市民も彼自身の発信機からでるある周波数で、いつでも、どこでも、彼を見つけようと思う当局に
よって特定されるだろう。これは特に牢破りに有効である
個人の監視についても論議があった。
“あなた方がテレビを見ると、同時に誰かが中央監視所からあなたを見ているだろう。”
テレビはこれを可能な装備を持つだろう。テレビはこのために操作する必要はない。また、このテレビはあなたが何を見ているかを監視することができる。人々はあなたがテレビで何を見、テレビを見てどのように反応するかがわかる。そして、あなたがテレビを見ているあいだ中、あなたが見られていることを知らない。
どうやって人々がこれらのことを家庭の中に受け入れるようになるか? 人々はテレビを買うとき、その装置も買うことになる。最初、人々はそれらが付いている
ことを知らないだろう。これは、アンテナ・テレビをケーブルテレビに換えるときに、私たちが今知ったことは、記述されていた。あなた方がテレビを買うとき、この監視装置はセットの一部となっていて、ほとんどの人が、それが最初からついていることを十分知らない。そしてケーブルは監視のメッセージを監視装
置へ運ぶ道具となる。この監視装置が働いていることがわかるまで、かれらは多くのことに対してテレビに依存するだろう。人々が今日、電話に依存しているの
とちょうど同じ方法である。一つはテレビはお金を払うのに使われる。あなた方は、支払いのために家を離れる必要がない。あなたがたがテレビのスイッチを入れると、あなたが支払いたい店とあなたのテレビ・チャンネルでやり取りできる方法がある。そして、あなた方は冷蔵庫だったり着物だったりをあちらこちら選び、スイッチを押す。これは両者に便利である。しかし、それはテレビに依存するようになり、組み込まれた監視装置はそれなしには何もできないようになるだろう。オーディオ・監視装置の話もあった。当局はテレビのモニター以外に部屋の中で何が行われているか聞きたがっている。そして、これに関して、彼は
“あなたの家に入っているどんな線、例えば電話線もこのために使われる”と言った。
私はこのことを特別に思い出す。というのは、この話は、講演のかなり終わりの部分であり、私たちは会場を離れようとしていた時、私は1
人の同僚に家に帰り私の家のすべての線を引き抜くような話をした。電話線以外は・・・電話なしにはやっていけないことを知っていたから。私の話したその同
僚は茫然としていたように見えた。この日まで、私は、彼と話したこと、私たちが聞いたことを彼は思いだすだろう。というのは、私は彼に尋ねたからである。
しかし、その時、彼は唖然としたように見えた。電子的な監視装置ができる前に、ワイヤーを張る仕事や新しいケーブルを配置するためのサービスカーがあちこ
ちあったことに触れた。これはいかに家にいる人たちが、いかに物事が進んでいるかを知ることである。
個人で家をもつこと:“過去のことである”
個人的に家を持つことは過去のことになるだろう。家と家の資金繰りのコストだんだん高くなるので、ほとんどの人たちはそうする余裕が持てなくなるだろう。すでに家を持っている人たちもそれを維持しなければならない。年月がたつと若い人たちは家を買うことがだんだん難しくなるだろう。若い人たちはますますアパートやマンションの借家人になるだろう。ますます売れない家は空き家になるだろう。人々はそれらを変えない。しかし、家のコストは下がらないだろう。すぐ、空き家の価格は下がり、人々はそれを買うだろうと考えるかもしれない。しかし、その効果に対し、たくさん空き家があっても値段は高止まりし、自由市場
価格は機能しないだろうという話があった。人々はこれらを買えず、徐々に、増える人口は小さなアパートに入らざるを得なくなる。小さなアパートは多くの子
供を収容できない。それから、自宅を持つ人は減少し、彼らは少数者になる。
アパートに住む大部分の人からは彼らに同情はなく、これらの家は増大する税金あるいは自宅所有制に有害な(大部分の人には受け入れられる)規制によって取り上げられる。最終的に人々は彼らが住むところを割り当てられ、あなたと一緒に住む家族以外のメンバーを持つことは一般的になるだろう。
この、あなたの知らない方法で、あなたは誰かを信頼することが何と遠いことか。これはすべて中央住宅供給当局の管理下になるだろう。
1990年に彼らが聞いた“どれだけベッドルームがあり、どれだけバスルームがあり、立派なゲームルームがありますか?”が頭の中にある。
この情報は個人的なものであり、私たちに存在する憲法の下での政府への国民の関心ではない。しかし、あなた方はこれらの質問を聞かれ、それらに対しいかに対応したいかを決めるだろう。
もし、新しいシステムが支配したとき、古いシステムを保留したり、思いとどまることができないということを示しつつ、人々はそれに忠誠するサインを期待されるだろう。
“賛成しない人たちがいる場所はないだろう(と、Dayは言った)。我々はこれらの人々が騒ぐ場所を持たないので、これらの人たちは、特別な場所へ連れて行くだろう。”
そして、ここで私は正確な言葉を思い出せないが、私が導いた推論は、かれらが連れて行くという、この特別な場所は、彼らは長くは生きないだろう、ということ
である。彼は、“人間の処分”のような何かを言ったと思う。しかし、私は詳しく思い出せない・・・ただ、このシステムが、彼らがこのシステムに賛成しないとき、彼らをサポートしようとはしない、という印象を持った。残された選択肢は死だけである。
この話のなかのどこかで、彼は、いかなる殉教者もいないだろう、と言った。これを最初に聞いたとき、それは、人々を殺さないという意味だと考えた。しかし、
話が進むにつれて、彼が意味したのは、殉教者がしたような方法を、他の人たちにインスピレーションとして役立つようなやり方では、彼らは殺したり消したりしない。ということである。むしろ彼は言った“人々はただ、消えるだろう”と。
2,3の最後の項目
終わりに当たって、ここに出す2,3の追加的項目は、私が入れるのが欠けているが、それらがより完全にするためである。
一
つ:新しいシステムを持ち込むことは、たぶん冬の週末になるだろうと言った。金曜日の夕方にはすべてが活動を停止され、月曜日の朝、すべての人が目を覚ましたとき、新システムになったとアナウンスがあるだろう。米国がこの変化になる過程の中で、誰もがより少ない余暇時間と、見て歩き(く:転載者注)
機会が減り、より忙しくなり、彼らの周りに何が起こっているのかを知るだろう。また、もっと変化し、人の投資に関する限り、保持するのがより困難になるだろう。投資物件は変わるだろう。投資率は変わり、あなたがすでに手に入れたものに応じて増加させる仕事は困難になるだろう。
自動車について興味あること:多くの種類の自動車あるように見えるだろう。しかし、よく見ると非常に似ていることがわかる。彼らはクロムメッキし、車輪カ
バーやそれらは違って見えるようにしている。しかし、よく見れば、同じ車が1つ以上の会社で作られているのがわかる。しかし、これは、最近、私に伝えられたのだが、私が駐車場にいて小さなフォードを見たときである。私はそのフォードの型を忘れたが、小さな日本車とホイールカバーの穴の数、プレート周りのクローム、グリルの形などを除いて同じだった。しかし、もし基本部品を見れば、それらは同じである。それらはちょうど隣り合って止められていた。私はこれに衝撃を受け、そして何年も前に聞いたことを再び思い出した。
私は急いでいる。というのはこのテープが終わろうとしているからである。少しだけここで纏めさせてもらいたい。すべては一人の個人によって、ある時、ある場所で、多くの異なった人の努力に関係して話されたことであり、その後、いかに多くのことが実際に起きたかを見た。すなわち、変化はその時と現在との間で遂行され、そして未来に向けて計画されていること、私はこれはコントロールされ、謀略はあることを否定できないと考える。
どうするべきかという質問がでるだろう。私はまず、信頼し、祈り、彼(神)の導きを頼もう。そして、次に、可能な限りできるだけ多く他の人に知らせ、できる
だけ彼らに関心をもってもらう。ある人は気にしないだろう。というのは、彼らは、彼らの個人的な努力でうまくやることで、上の空である。
しかし、可能な限り関心をもつ人に知らせるべきである。そして、再び神を信頼し、彼の導きとのために、常に祈り、近い将来遭遇するであろう彼の励ましを受け入れよう。
私たちが今多く聞く平和と正義を受け入れる以上に・・・それは決まり文句である。すべての人のために、自由と正義を言い続けよう。
(テープ2の終わり)【テープ3:インタビュー記事転載につづく】