ああ、
やっと真っ当な人間の言葉に触れた・・・
まことに同感、同悲同苦を噛みしめる!
この気持ちが分かるだろうか・・・?
多分、物言わぬ多数は存在するはずだ!
これが本物の日本人だ!
日本人は、人間として最上、最強である。烏滸がましくも、日本人の顔をして、日本の人情を理解しない輩が多いと断言したい。
得手勝手日本人である。
屁理屈日本人である。
もっと言うなら、言うだけ日本人である。
この意味が分かるであろうか? 分からないだろうなぁ~。
分かり易く、卑近な言葉を用いよう。『ああ言えば、上祐(こう言う)』である。こう言う類は、避けるに越したことはない。まさしく、只単に疲れるだけである。言えば言う程に、疲れる。書けば書く程に、疲れる。
最終的に、他にジャッジを託して、そうそうに立ち去るべきである。関わる必要はない。関われば、関わる程、対立する。最終は喧嘩しかない。
縁なき衆生の類である。こう言えば、縁なき衆生は、こちらと言うであろうが、そう言いながら執着してくる。逃げても逃げても追いかけてくる。まさに、言論のストーカーとでも表現するしかない。
普通、我々日本人は、理屈で人を見極めない。人情で人を見極める。
だから、一目会ったその日からではないが、別に恋に落ちずとも、全体人物像を判別するのである。判別出来るのである。何故か、その理由は分からないが、多分、人情を瞬間的に捉えてしまうのであろう。いわゆる右脳判断だろうと思うが、定かに説明出来ない。
そうではない人間が多くなった。だから、日本人は変わってしまったのであろうか?そう言う人とは、付き合わないことにしている。仕事なら致し方ないから、理屈でお付き合いするしかないが、最小限度のお付き合いに努めるわけだ。
そのために、理屈は日頃磨くしかないのである。磨けば、大体勝てるようになるが、只、疲れる。ある時には、コテンパンにやっつける場合がある。しかし、虚しさだけが残る。
それも致し方ないのである。
縁なき衆生と弁えるしかないのである。それでも娑婆には、そう言う手合いが、ゴマンと居る。それが娑婆の特長であるから、何とか、やっているのである。
これからは違ってくるだろう。そう、娑婆が拓けて、次元を超えて同通するようにならなければ、これは無理な話であるが、そうなる気配がある。それがアセンションであろうと思っている。
こう言う話は、誰彼と伝わる話ではないので、余りしないのであるが、人情とは、浅はかな頭脳の問題ではないからだ。表面意識の問題ではない。魂の問題である。
魂の奥深いところに、情は存在する。情を育むのが人生の目的であろう。情が育っていない人間と、育っている人間の差である。日本人は、それが卓越している。そう思わざるを得ないのである。
勿論、日本人以外にもそう言う方々は居る。寧ろ、ある場所には、多いかも知れないが、今の日本人にのさばっているのが、似非日本人である。のさばっているのであって、本当の大多数の日本人は人情を解するのであるから、声なき日本人が小さくなっている時代なのであろう。
久しぶりに触れた日本人の真っ当な勇気ある発言であった。多謝!
【転載開始】三度(みたび) 飯山一郎さん
わたしが執拗に飯山さんのことを書くのは、ある強い思いがあるからです。その気持ちの根底にあるのは、なぜ日本は在日に浸食されたかということへのやりきれなさや怒りや悲しみです。
(飯山さんのことは、限りなく日本人離れのしたマインドを持つ人という位置付けで)
わたしへのあるコメントに、飯山さんに言いたいことがあれば「放知技」に書き込みなさいとありましたので、覗きにいって驚いたことがあります。
密告を募集するような窓口があったからです。
そこに、飯山さん自身が、あるコメントをした人の身元を調べるのにけっこうお金を使ったと自慢そうに書いておられたことにわたしはいいようのない怖さを感じました。
ということは、工作員のような人間と接触があるということでしょう?
広く情報ネットワークを持つものとして思い浮かぶのは、警察(公安)ややくざや在日、それに宗教団体などですがで、飯山さんはそのどれかと繋がりをもっておられるのでしょうか。
そのとき、わたしは普通の日本人がこんなことをするだろうかという強い疑念を持ったのです。
飯山さんは韓国、中国、アメリカなどに友人がいると、その広い交友関係を誇っておられます。
情報は生命に等しいものです。
だから情報をとることは生命を守ることになります。
しかし、飯山さんは入手した情報をときに人を貶めるために悪用、流用されるのです。
密告者の寄せた情報の信憑性などお構いなしに。
わたしは前の記事で、飯山さんを突き動かしているものは何ですか?と書きました。
しかし、飯山さん自身それが分からないのではないでしょうか。
分からないから、コントロールできないのではありませんか。
好々爺で面白くて人情家のように見える外観とはウラハラに、その胸の中では理由のない憎悪と嫉妬が渦巻いているのではないでしょうか。
そうとでも考えないと、突然の元編集長、つむじ風、ロケットの方々にたいするいわれなき狂ったような誹謗中傷や罵倒が理解できないのです。
いったい何があるのですか。
批判すべきことがあれば堂々と節度を持って批判すればいいのにと思います。
UFOや宇宙人は信じるも信じないのもその人の自由ということですから、それなら何も言うことはないではありませんか。
異常なことを異常と思うことが、「疑う」ということの本質です。
。
しかし、たとえ異常だと分かっても、日本人の多くは「金持ちケンカせず」とか「さわらぬ神にたたりなし」とばかりにスルーしてしまいます。この場合の「金持ち」とは、「誇りを持っている人」「良識のある人」という意味です。
また、日本には「負けるが勝ち」という考え、価値観があります。
しかし、価値観というものは、それを尊重するという共通認識がなければ何の意味もありません。
一方、この価値観がまったく分からない人もいます。
こちらが、「負けるが勝ち」だとして勝敗に幕を引いても、それをいいことにここぞとばかりに付け込んでくる人間がいます。
「惻隠の情」も同じことが言えます。
瀕死の蛇を可哀そうに思って、ふところに入れたら咬まれて死んだという寓話がありますが、生半可な気持ちで情けをかけてはいけないということです。
<script type="text/javascript"> // </script>なんでも水に流す民族と
1000年先までも恨みは消えないという民族とどうすれば共存、共生ができるでしょう。
どうすれば折り合っていけるのでしょう。
「金持ちケンカせず」と鷹揚にかまえてきた結果、日本はどうなりましたか。
差別だ偏見だと逆襲され、黙って引き下がってきた結果、日本はどうなりましたか。
わたしは「金持ちは喧嘩する」を選択します。
しかし、この喧嘩は対等な喧嘩ではありません。
「煮ても焼いても食えない」(在日とのトラブルでわたしはなんどこの言葉を噛みしめたことでしょう。)相手と対等な喧嘩をしても消耗、疲弊するだけです。
わたしにもわかりませんが、知恵と強さが必要です。
かれらを排除、排斥したいのではありません。
日本を守りたいということです。【転載終了】