いやぁ~面白い!
あなたは何れの派?!
勿論、私は基本、医者にも行かず、派だ!
どっちが長生きするか? それが問題だ・・・
というより、人間どのみち死ぬのは分かり切っている!
長生きよりも、よりよい生き方の問題だ!
無常の風が、一吹きすると今生は終わる。これは老いも若きもないものである。
生き様の問題が残る。生まれてこの方、死は人のことのように考えている向きが圧倒的多数であろう。
<ユッキー君の写真:記事に無関係>
近頃、相次いで知人の死に遭遇した。
心筋梗塞で、あっという間の昇天であった。再会を約して、3日前の出来事である。当然、再開日の前日、知らされたのであるが、どうにもこうにも連絡の仕様も、告別の仕様もない突然の出来事であった。
残された親族の心中は、計り知れないだろうが、知人に過ぎない私も呆然とするばかりであった。最期のメールは、その事を全く予期させるものはなかった。寧ろ、再会を約して、やるべき意欲に満ちていた。
そして、その計画は、余人を介して進展している。が、死人のその反応は、途絶えたままで、漠として静寂を保ったままである。こうケースは、得てして多いものである。今生のことは、生き残った者で進めるしかない。たとえ、立場が違っても同じ事になるであろう。
<ユッキー君の写真:記事に無関係>
感情を抜きにして書けば、こう言うことは日常茶飯事に起こっている。これからも起こるであろう。私自身についても、確実に起こることだと覚悟をしている。感情抜きに、人生は常に無常の裡に営まれているのである。
縁起でもない話と思われるかも知れないが、人の生死は、まさに縁起の理法の裡にあるのであるから、直視しないわけにはいかないのである。
心筋梗塞のような突然死は、その衝撃が著しいが、癌も同じである。ある日、宣告を受けたとしたら、動揺しない人は少ない。それが人情というものであるが、それは日頃、死について考えを致さない度合いによって、その動揺は著しい。
初めて、死について考えるから、動揺するのである。
しかし、
それでも生きていることには変わりないから、受け止め方は様々である。その少し前に亡くなった末期癌の友人などは、死の瀬戸際まで本当に死など訪れようなどとは考えていなかった伏がある。抗ガン剤を使用していることは承知していたが、末期癌とは全く認識していなかった。最期のメールを死後、拝見したが、打ち合わせ手筈についてであった。
<ユッキー君の写真:記事に無関係>
病室からであったようだが、それは、後で知った。入院中であることも、私には知らせていなかったのである。多分、隠していたのであろう。この時は、通夜・葬儀に間に合った。そして、打ち合わせ事項は、人を変えて進行して、現在がある。
何れも、逝去した方に変わり、事は何事もなかったように進んでいくものである。事半ばにして、去ることを余儀なくされた方の気持ちを推し量りたいのは、人情である。その人情が、残る者の感情を揺さぶるのも致し方のない事である。
やはり、生前から、死について思いを巡らすべきであろうと思う。
こう考えるのも、死が全ての終わりではないからである。これを書くと話が別な方向に向かって収拾がつかなくなるのでやめにして置きたい。
先ず、死は一つの断絶であるとの厳然たる事実がある。
死が、その時点でもって、全情報が遮断されるからである。会うことも、語ることも、聞かせることも一応、一切出来なくなる瞬間が死である。幽冥を異にするからである。
そして、必ず、早かれ遅かれ誰にでも訪れる。
それでも、癌宣告を受けて、人は動揺はするが、明確に死を意識するケースは希である。やはり、死はあくまで人ごとなのである。癌と宣告されれば、あるいは、空想するだけでも、身構える人が出て当然であるが、大別して、二通りの対処の仕方があるという点で、実に面白い替え詩であると思った。
<ユッキー君の写真:記事に無関係>
転載詩の前者は、やはり、大多数の対処であろう。後者は、希である。
どちらかというと、後者は、死を一連の流れと受け止めている感じがしないでもない。生きるということを、死に対する対局と意識すればする程、生への執着は凄まじいものとなるのである。
死ぬも良し、生きるも又、又良しとの気楽さが丁度良いのではなかろうか?
生きるに時在り、死ぬに時在り、又、病の時在りである。癌も単なる病の一つであるならば、忙しなく対峙するより、自分の一部と受け入れて、味わい生きるということが養生訓であると教えている。
医者は、痛い、苦しい、どうにもならぬ時の一時の手当と考えて、頼りとするが、生死の頼みとはしないことである。癌などの場合は、特に、そう言うことが出来る。そうでないと、医者に殺されかねないのである。
医者自信が、癌になった時に、抗ガン剤などは使わないし、ほとんど、薬などに頼ることはしないものである。これが現実である。
<script type="text/javascript"> // </script>【転載開始】2013年12月18日(水)
がんにも負けず
がんにも負けず
老いにも負けす
検診も人間ドックも必ず受ける
強い意志を持ち
すべてに一生懸命で
いつもがんばっている
一日に玄米と豆腐と野菜を食べ
肉、酒、砂糖は遠ざけ
あらゆる健康情報を
ひまさえあれば
よく見聞きしわかり
そして忘れず
のんびり落ちつける
時間や空間が少ない
メタボと言われれば
ダイエットに励み
高血圧、高血糖と言われれば
薬を欠かさず
コレステロールが高ければ
ウニ、トロ、タマゴは言語道断
東に「笑えばがんが消える」という
識者がいれば無理やり笑い
西に「体を温めればがんにならない」という
医者がいれば、のぼせるまで長風呂
PSA値が上がればオロオロと
前立腺がんを恐れ
予防切除術のニュースを聞けば
乳房を切ってしまえと思い立つ
日照りのときもジョギングし
寒いときも野菜ジュースを飲み
みんなにマジメと言われ
がんになったらとことん闘いぬく
そういうふうに
わたしは生きたい
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
医者にも行かず
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
医者にも行かず
クスリも飲まず
検診も人間ドックも受けぬ
変わった考えをもち
欲はあるようなないような
あまりカッカせず
いつも冗談を言って笑っている
毎日好きなものを食べ
酒も甘味も楽しみ
カロリーや血圧を
細かく勘定しないで
よく楽しみ、出歩き
そして安眠し
ひとり気ままにすごせる
時間と空間がある
がんや不調があっても
年だものとつぶやき
手術と言われたら
切りたくないと言い
ワクチンも抗がん剤も
副作用がイヤだと拒み
どこかで倒れても
救急車を呼ぶなど言っておく
日照りのときは出歩かず
寒いときは無理をせず
みんなにのんき言われ
いよいよのときには
ありがとうと笑い
そういうふうに
わたしは死にたい