飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

STAP細胞と小保方晴子博士についての短評!

2014-04-23 17:20:54 | ブログ

STAP細胞(刺激惹起性多能性獲得細胞)が本当なら、
iPS細胞(アイピーエスさいぼう、iPS cells, iPSCs)
が霞んでしまう・・・
これは紛れもない実体であろう!
真理は、
複雑怪奇か?
シンプルか?
の問題である!

 

 『STAP細胞は、あります。』

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 そう、

 

 小保方晴子博士は言い切った。

 又、

 『私の頭の中にあります。作れます。200回以上作ったことがあります。』

 とも言い切った。

 さて、門外漢の者としても、その真偽が見物であるが、これは科学的な専門性は抜きにして、人間の本質的な信頼性に移ったと言っても良いであろう。

 本物ならば、異端審問が行われていると言うことになる。日本で行われる現代の異端審問である。『それでも、地球は回る。』と言ったガリレオ・ガリレイを彷彿させる問題である。

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 さしずめ、理研がパチカンに相当するであろう。

 そして、ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授からすれば、とんでもない対抗馬が登場してきたことになる。理研とすれば、一大革命的発見そして、発明となるところである。

 それだけに、様々な思惑が働いたことは、想像に難くない。

 山中伸弥教授のiPS細胞は、数種類の遺伝子を体細胞に移植することによって、万能細胞化するという話である。

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 一方、

 STAP細胞は、酸性の刺激を与えると、万能細胞化するという話だ。

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 素人考えでも、どちらが簡単化と言うことは誰にも分かる。細かいことはさておいて、どちらが安く手軽に出来るか、そして、出来た万能細胞が利用性能が高いかと言うことも、大方、判断出来るだろう。

 遺伝子移植と言うことになると、言わば、クローン技術にも似て、その安全性や、倫理面での論議が発生する。STAP細胞は、ほとんどそう言うことは生じないであろう。

 何故なら、

 特定の個人の場合でも、何ら、遺伝子操作は行われないで万能細胞化するのであるから、その後の移植にしても、問題は生じないであろうからである。安全面は分からないが、予想ととして、そう悪いことはあり得ないと想像される。

 この違いは、大きい。


 もしも、これが事実としたら、iPS細胞は古色蒼然たる発明と言うことになる。早晩、必ず、そうなる。

 はたして、そんなことがあり得るであろうか?

 問題は、生命の発生について問題を孕む。始原の生命は、どのように発生したのであろうか?果たして、遺伝子操作であったか? それとも、酸性・アルカリの単純な刺激によってもたらされたものであろうか?

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 一説には、宇宙人が遺伝子操作で生命を生み出した。そして、地球人はある宇宙人によって、人為的(宇宙人為的)に創られた。と言うものである。

 それを否定しないにしても、その宇宙人はどのようにして出来たか? と言う問題は、始原まで遡らなくてはならない。

 始原の生命は、当時(はるかな悠久の古代)は、はたして、ラボラトリー(研究室)や、遺伝子操作を必要とする複雑な発生装置があったとは思われない。始原の生命は、単純な自然環境で生まれたと考える方が、よっぽど理に叶っている。

 進化論というものがある。

 その考え方の与する者ではないが、メンデルに依れば、突然変異というものが実証されている。そうして、生物は環境に適応して、変転万化すると言うことは間違いないだろう。

 その時、突然変異は決して遺伝子操作を経ない。寧ろ、突然変異もSTAP機序によるものかも知れない。

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 その機序は、明確には知られていないが、単純にしてシンプルな自然界の刺激により発生しているものと思われる。それを考えると、どのようにシンプルな刺激があるかを突き詰めていくとSTAP細胞が出来るか、考えることは自然である。

 漸く、生命の発生学に踏み込んだのが、STAP細胞である。と、考えると小保方博士の研究には合理性がある。今では、妄想と呼ばれているが、大の科学者がこぞって本気でのめり込む理由は穿ち得る。

 とすれば、

 何か、嫉妬めいた感情が全くなかったというと、それはウソであろう。

 小さな手続きのミスで、ここぞとばかり、その感情に突き動かされ、その上、日本独特の年功序列の学者社会と相まって、小保方叩きが始まったとする見方は、至当である。

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 まあ、しばらくすれば、その議論にも終止符が打たれるであろう。

 簡単なことだ。

 STAP細胞が現存すれば、その議論は終着する。

 問題は、小保方外しが行われるか否かだが、『私なら、出来ます。』と宣言しているのであるから、気長に任せて待つのが順当である。それを許さないのは、理研であろう。

 利権もあろうが、それよりも日本の学者世界の閉鎖性と古びた年功序列の権威主義であろう。良く聴かされる話であるが、助手辺りの研究成果は、みんな準教授や教授に吸い上げられ、持って行かれるという話である。

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 だから、日本の若手研究者は日の目を見ないのである。

 それを実体験しているのは、他ならぬ野依理事長だと風の便りに聞いた。

 本当かどうかは知らない。

 生命の研究に、いわゆるリケジョ=女性研究員が担当するのは、至当の話だ。生命を育むのは女性である。打って付けである。

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