臓器売買とは言い過ぎだろうが、
まあ、似たようなものである!
少なくとも、
臓器提供は、医療界のビッグビジネスであることに、
変わりはないだろう・・・?!
そこまでして生きていたいと思わない人も多いだろう。
その内の一人であるが、
臓器提供は、是か非か? と問われれば、
個人的には非である。
だから、カードには、常にNoと記してある。
まあ、死んだら、さっさと肉体を離れ、魂魄となり、やがて、魄(アストラル体)も脱ぎ捨て、
身軽な魂として生きて(逝きて)行こうと信念している身であるから、
お世話になった臓器など呉れてやってもいい気分であるが、
今の医療界が、唯物思考の牙城であって、
ビッグビジネス優先の風潮に対する抗議というか、
反対の意思を鮮明にしただけの話だ。
しかし、
知られざる由々しき問題が数多くあるのも事実だ。
それは、
観念せず、納得せず、運悪く臓器提供者(ドナー)になった場合、
驚愕の事態の直面するという話だ。
脳死により、死と判定するシステムは問題がある。
死は、心臓の鼓動が止まった時に発生するとの考え方がある。
つまり、魂魄が離脱しても、
霊子線(シルバーコード)がつながっている間は、心臓は鼓動する、という情報がある。
こういうことは唯物主義者は、
認める話ではないだろうから、
説得するつもりもない。
誰も、目の前に提示して証明することは不可能だからである。
その時、
魂魄に与える影響はどうであろうか?と心配していたが、
やっぱりそうか! という話だ。
心臓が鼓動しているということは、
生きているから、譬え魂魄が離脱していても、
慌てて帰ってきて、肉体を支配するであろうと考えられる。
そうすると、脳機能不全であるから意思の表示は無理としても、
痛みは魂魄に伝わるという話だ。
いささか恐ろしい局面である。
臓器摘出に麻酔薬が使われるというのも、そのことの認識がある証拠である。
脳死は死であるということになっているから、死体に麻酔管理しているのである。
それを反射反応に対する処置と説明しているが、
生きている人間の手術と何ら変わり無いのである。
生体臓器摘出と言っても過言ではない。
それに、
魂の存在を確信する者からすれば、
臓器にも意識があると当然考える。
その意識が働くから、必ずしも新しい肉体に馴染めるかどうかお覚束無い。
提供を受ける肉体にとってもそれは重大問題だ。
拒絶反応である。
昨今の医療界は、
ほとんどビッグビジネスで成り立っていると思わざるを得ない。
癌ビジネスに透析ビジネス、
さらに又、
臓器提供ビジネス・・・。
庶民がその食物になるのは、保険適用のゴーサインが出た時である。
統計上、病気が増えるのは、
保険適用に因る。
保険適用と同時に、行政医療費用は爆発的に増える。
医療費の増大は、
医療界の収益の増大であり、
保険適用である事が分岐点となり、増大に拍車が掛かる。
臓器移植も、同じ轍を踏んでいる。
だから、”原料の調達”に腐心しているのである。
そして、
増大分は、健康保険料として賄われ料率のアップにつながっている。
医療保険ビジネスは活況を呈する。
故に、臓器提供は、Noである。
(概要)
4月7日付け
情報元:ウォールストリートジャーナル 4月4日付けの記事
By DICK TERESI
臓器提供は崇高な行為とみられています。しかし医師らは生と死の境界線を良く理解しているのでしょうか。
ハーバード・メディカル・スクールの医療倫理、麻酔、小児科の専門医のロバート・トログ教授は、脳死を宣告されても、自分の臓器が摘出されるときに痛みを感じる可能性があると言っています。
アメリカでは臓器移植(腎臓や他の臓器)を受ける場合、患者は47万ドル~29万ドルの費用を支払わなければなりません。
私 が車両関連部局で免許証を更新した時、職員に免許証の裏に書かれた「ドナーになる」のところにチェックを入れるかと訊かれましたが、私はNoと答えまし た。すると彼女は私を見て、もう一度同じ質問をしたのです。私は再びNoと答え、「自分は冷酷で自己中なろくでなし!と書いてあるところにチェックを入れ てくださいよ。」と付け加えました。
医師は、法的にも、既に死んでいる人の遺体からどのように臓器を摘出しようが、遺族に報告する義務はありません。
ドナーになるということはウィンウィンの状況を作っているかのよう見えます。何しろ、1人のドナーにつき3.3人の患者が其々の臓器の移植待ちリストに載っている現状があります。ドナーは何のコストもかからずヒーローになれるのです。
しかし免許証の裏面に書かれた「ドナーになる」にチェックを入れると、ドナーは何を失うことになるのでしょうか。もちろん、ドナーは臓器を失うことになりますが。。。それ以上のものを失うことになるのです。
つまりドナーはインフォームド・コンセント(納得医療)を諦めることになるのです。なぜなら、法的にも医師らは臓器の摘出方法を家族に報告する義務がないからです。
殆どのドナーは、交通事故などで頭部に外傷を受け脳内出血(或いは動脈瘤)により脳死が確認される場合が多いのですが。。。脳死は死亡原因のわずか1%でしかありません。多くの死因は、心臓、血液循環、呼吸の停止によるため、すぐに臓器の機能が低下してしまいます。
現在の脳死を判断する基準は、臓器移植が急増していた1968年にハーバード・メディカル・スクールが設定したものです。
1981年に50州でUDDA(死の判定基準)が設定されました。この基準により、医師らは単純な検査で脳死を判断するようになりました。
その方法とは。。。脳死の疑いのある患者の耳たぶに氷水をかけ両目に冷たいと感じる反応があるかを確認した後に、綿棒で両目を突き、痛みを感じているかを確認します。その後いくつかの基本的な検査を行い、脳死かどうかを判断することになります。
検査にかかる時間は、定期的な目の検査と同じくらい短時間で終了します。
これらの検査が終了した後に、人工呼吸器を外し、自力で呼吸ができるかどうかを確認する無呼吸検査を行います。自力で呼吸ができない場合は脳死と判断されます。検査が全て終了しても、確認のため、数時間後にもう一度同じ検査を行うケースもあります。
し かし、奇妙な点がいくつかあります。無呼吸検査で、自力で呼吸ができないことが確認された後に再び人工呼吸器が設置されると、呼吸が再開し心臓が血液を送 り始めるのです。そして、臓器は生きた状態で維持されます。医師らはこの時点で死の宣告をします。そして遺体は心臓の拍動が停止したドナーとなります。
ただし、脳死は生きた人間と生物学的な共通点が多くあります。なぜなら、脳死が宣告されたのにも関わらず重要な臓器はまだ機能しており、体温も維持され、身体の傷も治るからです。さらに床ずれや心臓発作も起き、感染病にかかり高熱になることもあります。
ピッツバーグ大学のメディカル・センターのDr.ディビタは、「遺体は冷たく灰色で息をしていないのが好ましい。しかし脳死は体温があり、皮膚はピンク色のままで、呼吸までしている。」と言っています
さらに脳死の場合、脳波を出していることもあります。脳死を宣告されると、高次脳活動の検査を行うことはありません。
1968年にハーバード委員会は、EEG脳波記録検査を行い、患者の脳波が平坦であることを確認する必要があると医師らにアドバイスしました。
現在では、呼吸、睡眠、覚醒をコントロールしている脳幹の検査が集中的に行われています。
過去に脳死と判断された患者が脳波を出している事が確認されました。
例えば、1970年代に脳死の基準を満たし脳死が確認された503人の患者のうち、17人がEEGで脳波が出ていることが確認されたのです。
専門家の間では脳死が宣告された患者は痛みを感じることはないと考えられていますが、ロバート・トログ教授によると、麻酔なしで遺体を外科用メスで切り裂き臓器を摘出する場合、麻酔が不十分な患者が示す反応と似た反応(高血圧、動悸など)を示すことが確認されています。
しかし医師らはこのような症状は単に反射的なものだと受け止めています。
では脳死が宣告された後に、まだ生きているという証拠が見つかったらどうでしょう。
1999年に発行された麻酔学の専門誌の論文(ワシントン大学の麻酔学教授による)では、頭部外傷で重体の30歳の患者が脳死を宣告された後に自発的に呼吸を再開したと伝えています。
当時、医師らは回復の見込みが全くないのだから、彼は死亡したと考えるべきだと主張しました。
そして、患者が動いたのを目視した麻酔専門医の反対を押し切り、医師らは患者の身体を切除し、身体が緊張状態になったのにも関わらず臓器摘出を行いました。
臓器移植は年間200億ドルの利益を生むビジネスになっています。臓器を提供される側は、腎臓移植の場合、平均で47万ドル~29万ドルの費用を支払うことになります。腸の場合は120万ドルも支払います。臓器を提供するドナーや遺族には一切支払われません。
医師らは脳死は痛みを感じないと考えていますが、ロバート・トログ教授は遺体から臓器摘出をする前に、臓器を破損させない2種類の麻酔薬(フェンタニルとスフェンタニル)の大量投与を行います。そうすると摘出中に高血圧も動悸も起こりません。
もし私がドナーになるなら、家族に摘出の際、麻酔薬を投与するように伝えておくでしょう。
情報元: http://online.wsj.com/article/SB10001424052970204603004577269910906351598.html