おじさんの人生はB級

想いは着実に現実となる。B級の結果の場合もあるけど。

流通の存在価値

2011年04月10日 | 日頃
もののよさがわかる消費者は、自分でよいものを探し出すことができる。
自ら探し出すことに価値があるので、流通マージンは最低限に抑えて入手する権利がある。
だから安く買うことができる。

一方、ただ安さだけを求める消費者に対して、流通はひたすら安いものを提供することに価値があるだろうか。
最近の風潮を見れば、間違っていることは明らかだ。
これはデフレを加速させる要因だ。

安くするためには原価をまず安くする。なら、人件費の安い海外生産だ。
→国内の生産者に落ちるお金が減るので、必然的に消費に回るお金が減ることになる。不況は自業自得。
安くしたら、管理コストを削減する。物流コストを削減。
→物流業者への過酷な低賃金労働を強要することになる。結果は同じ。消費に回るお金と時間が減る。
自ら収益モデルを崩すことになる。

流通が行うべきことは、良いものを消費者に知らしめることだろう。
スタンダードは「・・・こうです」が、同じようなものでも「他にはない、このようなところに工夫があり、、、」
だから、価格はこうなります。と、
消費者のものの価値観を積極的に変えていく姿勢がない流通は、単に倉庫、陳列棚に過ぎない。

消費者には良いものがあることを知らしめて、今回はスタンダードを購入するけど、
次回は上級品を使ってみたいと思わしめる価値観への積極的なアプローチの度合いが、
流通マージンのあるべきゆえんだろう。
この姿勢が無い流通は、安ものをよりやすい流通マージンで、、、将来に光がとてもあるとは思えない。

「流通の消費者への提案」を望みたい。

ぐずぐずしていると、消費者と生産者のダイレクトコミュニケーションが進んでいくのは自然な流れだと思う。
コメント
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