草むしりしながら

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お盆の掟

2018-08-12 21:27:28 | 草むしりの幼年時代
 真竹を切ってきてお墓の花立てを作るのは、そのころまだ同居していた叔父の仕事だった。
 残った竹を1センチくらいの輪切りにし、半分に割った竹を土台にして、真ん中に鉛筆の太さくらいに削った竹を立てた。叔父の作った「わなげ」はそのまま私の夏休みの工作になって、展覧会では金色の紙が貼られた。ちょっと後ろめたい思い出である。
 お盆の十三日にはその花立てを持って、一家でお墓に仏さまを迎えに行く。ずらりと並んだ墓石の両脇に花立てを立てて、柴を活ける。夕暮れの苔むした墓石に花立てや柴の瑞々しい緑色が映え、線香の白い煙が漂っていた。
 両手を合わせてお参りをして帰路につく。さて、これからが正念場だ。転ばないように坂道を下っていく。両手を後ろ手に組んで、背中にご先祖様を背負ったもりになって、まじめに歩く。それは「お盆の掟」だった。もし転んでしまったら、背中のご先祖様が驚いて墓に帰ってしまうのだ。そうしたら今度は一人でお墓に戻り、ご先祖様を連れてこなければならないのだ。どんなに泣き叫ぼうとも親は助けてはくれない。薄暗くなった墓地に一人で行って、ご先祖様を連れてこなければならないのだ。
 家に帰えるとまず仏壇の前に行き、背中の仏さまを下ろす真似をする。それから家族全員で仏壇に手をあわせるとホッとしていた。まさに肩の荷を下したように。
 お墓で転ぶと危ないので、大人が言い出したことなのだろうか。前に「そんな事聞いたことがない」言われたことがあるから、私が生まれた地方での言い伝えとは言い切れない。しかし私の父方と母方、両方の親戚の子供は皆この掟を守ってきた。あるお姉さんは本当に転んで、一人でお墓まで戻ったそうだ。
 そんな人が本当にいるのかと思ったが、あの人ならやりかねないとも思った。いい人なのだけど、親戚の中では群を抜いてそそっかしい。まるでサザエさんみたいな人だ。今でも時折法事などで会うのだが、やっぱり今でもそそっかしい。