草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

草むしり作「ヨモちゃんと僕」前5

2019-07-25 16:37:58 | 草むしり作「ヨモちゃんと僕」
草むしり作「ヨモちゃんと僕」前5

(秋)尻尾フサフサ君⓶

 目が覚めると僕は段ボール箱の中にいて、タオルにくるまれたポカポカしているものにぴったりとくっ付いていました。このタオルにくるまれた物は、暖かくてとても気持ちがいいのですが、どうも固くて、今ひとつしっくりしません。でも暖かいから好きになりました。

「まあ、気が付いたのね」
誰かが、僕の顔覗きこんでいます。
「人間だ。つかまったら保健所に連れて行かれる」
 でも起き上ることができません。そのまま僕はその人を見上げていました。
「お母さん、それ何」
 可愛い声がして、誰かが僕の匂いをクンクンと嗅ぎ始めました。
「嫌い」
 誰かはそう叫んで、どこかに行ってしまいました。
「あらあら、困ったわ。ヨモギが怒っちゃった。どうしましょう」
 それがぼくとヨモちゃんの出会いでした。

「怖かったわね。もう大丈夫よ」
 お母さんと言われた人は、指の先でぼくの鼻の頭をツンツンと軽く触りました。その人の指の先は少しザラザラしていました。するとぼくの喉はひとりでに、ゴロゴロと鳴り始めました。
「ぼくを保健所に連れて行くの」
「あら、意外とどら声ね」
 ぼくの声を聞いたその人は、ちょっと驚いたように言いました。

「お父さん、変な子がいるよ」
 あの子がまたやってきました。ぼくの匂いをクンクンと嗅いでいるあの子の上から、体の大きな人が顔を覗かせています。
「嫌い」
 あの子はまた怒って、どこかに行ってしまいました。

「ああ、お父さん。生き返ったわ、この子」
「うーん、生き返ったか……。あっちの子は裏山に葬ってやったよ。かわいそうに母親でも探していて、道路に飛び出したンだろうな。白と黒の毛並みがね、ちょっとヨモギに似ていてね、切なかったよ」
 大きな人は大きな手で、ぼくの頭を優しくなでてくれました。
「しかし、運の強い子だよ。どうせなら一緒の方がいいだろと思って、隣にこの子の分も墓穴を掘っておいたのに」
「本当ね。いつ息が止まってもおかしくなかったわ」
 ぼくが眠っている間、この人は何度もぼくのようすを見に来たようでした。

「おい、缶詰食うか」
 大きな人は手にキラキラ光るものを持っていました。
「ご馳走だぞ」
 手に持っていた物がパッカンと音を立てました。
「お父さん、ヨモギにも缶詰ちょうだい」
 パッカンという音がすると、あの子がどこからか走ってきました。大きな人が手に持っている物を見るあの子の瞳は、キラキラと輝いています。
「子猫用の離乳食だけどな。まあ構わないか。お母さんお皿持ってきて」

 大きな人はあの人が持ってきた二つのお皿に、缶詰という物を入れ始めました。
「何がはじまるの」僕は大きな人のやることを見ていました。あの子はまだ缶詰という物がお皿の中に入ってしまわないうちから、もう口をつけて食べ始めていました。でも一口食べただけで、どこかに行ってしまいました。

「離乳食だからな、ヨモギにはおいしくないンだよ」
「ほらほら、ヨモギには大人用をあげようね」
 あの人があの子を追いかけていきました。隣の部屋からパッカンという音が聞こえてきました。

「ほら、うまいぞ」
 大きな人がぼくの口の中に、少しだけ缶詰という物を入れてくれました。
「なんておいしいンだろう。もっとちょうだい」
たぶんその時の僕の瞳は、あの子と同じようにキラキラ輝いたと思います。僕はもっと食べたくて、缶詰の入ったお皿に向かって這っていきました。意識が戻ったばかりで、僕はまだ立って歩くことができなかったのです。

「そうか、旨いか」
 大きな人はあの子が食べなかった分も、僕に食べさせてくれました。おかげ僕はすぐに元気になりました

草むしり作「ヨモちゃんと僕」前4

2019-07-25 16:30:12 | 草むしり作「ヨモちゃんと僕」
草むしり作「ヨモちゃんと僕」前4

(秋)尻尾フサフサ君①

 気がつくと僕は物置小屋の前に立っていました。壊れたドアの隙間から母ちゃんと姉ちゃんが見えます。母ちゃんは両手で抱きかかえるようにして、姉ちゃんの毛繕いをしています。姉ちゃんの濡れた産毛がフワフワに膨らんで、キラキラと輝いて見えます。

「なんだ、母ちゃん帰っていたのか。姉ちゃん、自分だけ先に帰ってずるい」
 僕は物置の中に入って行きました。
「どうしていつまでも帰ってこなかったの」            
 僕はふくれ面をして母ちゃんに言いました。でも母ちゃん知らん顔しています。
「姉ちゃんもひどいじゃないか。ぼくを置いて先に道路を渡って行っちゃって」
 姉ちゃんもぼくのことなんか無視して、母ちゃんに甘えています。
「ねえ、ねえって、ばぁ。母ちゃん、姉ちゃん……」
 何度話しかけても答えてくれません。僕はとても悲しくなって、物置小屋から出て行きました。 

「母ちゃんも姉ちゃんもひどいよ」
 どうしようもなく悲しくて寂しい。僕の心は張り裂けそうになりました。見慣れた食堂や絶えず車が行き来する道路も、いつもと違って何だかよそよそしくって、僕はますます心細くなっていきました。僕は泣きながら道路を渡っていきました。

 何処をどう歩いたのでしょうか、気が付くと僕は知らない街を歩いていました。古い商店街のようです。通りに面した商店は何処もシャッターが下ろされています。不思議なことに物音ひとつせず、通りを歩く人は誰もいませんでした。

 僕はしばらくその通りを歩いていましたが、無性に母ちゃんの所に帰りたくなりました。引き返そうとして僕は途方に暮れてしまいました。帰り道が分からなくなっていたのです。音のない一人ぼっちの世界の中で、僕は迷子になってしまったのです。

「母ちゃん……」
 あれ、温かな風が吹いてきました。風に吹かれているととても気持ちがよくなって、僕は深い眠りにつきました……。

「うるさいなー」
 遠くの方でガーガーといううるさい音がします。ああー、気持ち良かったのに、うるさくて眠れない。あれ、誰かがぼくの体の毛繕いをしている。後ろ頭をかき上げられたとき、ザラザラとした母ちゃんの舌の感触がしました。
「なんだ、母ちゃんだったの。やっと僕に気づいたンだね。もう僕を……」

「もう僕を一人ぼっちにしないでね」と、言い終わらないうちに僕はまた眠ってしまいました。でももう悲しくも寂しくもありませんでした。だって母ちゃんと一緒だから。母ちゃんはポカポカしてとても暖かでした。



草むしり作「ヨモちゃんと僕 」前3

2019-07-25 16:20:27 | 草むしり作「ヨモちゃんと僕」
草むしり作「ヨモちゃんと僕」前3

(秋)物置小屋の子猫⓶

 「食べる物を探してくるから、おとなしく待っているンだよ。決して外に出てはいけないよ。人間に見つかると、保健所に連れていかれるからね。それから道路に出てはいけないよ。車にひかれてしまうからね」
 
 その朝、母ちゃんは僕たちを残して外に出て行きました。僕たちは母ちゃんに言われたと通りに、バネの飛び出したソファーの下に隠れて母ちゃんを待っていました。けれども母ちゃんは夕方になっても、次の日の朝になっても帰って来ませんでした。
 
 あの日も今日と同じように明け方から風が吹き始め、大粒の雨が物置のトタン屋根を激しくたたきました。

「母ちゃん遅いね」
 待ちくたびれた僕は、姉ちゃんに言いました。けれども姉ちゃんは黙って俯いたままでした。その時物置の窓が揺れました。
「母ちゃんだ」
 僕たちはソファーの下から飛び出しました。でも風が窓を揺らしただけでした。

「母ちゃんを探しに行こう」
風が何度か目に窓を揺らしたとき、姉ちゃんが言いました。

 外に飛び出した僕たちは大粒の雨に打たれながら食堂の横を通り抜け、大通りの前に出ました。猛スピードで近づいて来た車が、泥水を跳ね上げて走り去りました。
「うわー」
 泥水を頭からかぶったとたん、鼻の中がキーンと痛くなって、僕はしばらく息をすることも眼を開けることもできませんでした。
「行くよ」
 姉ちゃんが道路に走りだしまた。
「待ってよ、姉ちゃん」
 やっと息の出来るようになった僕は、慌てて姉ちゃんを追いかけようしました。その時、目の前を車が走り去りました。
「わー」
僕は弾き飛ばされて、そのままアスファルトに打ち付けられました。
 
気がつくと僕は道路の端に倒れていました。

草むしり作「ヨモちゃんと僕」前2

2019-07-25 16:12:13 | 草むしり作「ヨモちゃんと僕」
草むしり作「ヨモちゃんと僕」前2

(秋)物置小屋の子猫①

 僕と姉ちゃんが生まれた所は、崩れかけた物置小屋の中でした。グルグルに巻かれたカーペットや、バネの飛び出たソファーが僕たちの遊び場でした。かくれんぼをしたり鬼ごっこをしたり、僕たちは毎日楽しく暮らしていました。

 お腹が空くと母ちゃんにオッパイをねだりました。母ちゃんは僕たちにオッパイを飲ませながら「勝手に物置の外に出て行ってはいけないよ」といつも言いました。「人間は僕たちを捕まえて、保健所に連れて行ってしまう」と言うのです。

 けれど僕たちは母ちゃんの話なんか、一つも聞いていませんでした。だって思いっきり遊んだあとはお腹がペコペコで、オッパイを飲むのに夢中だったからです。お腹がいっぱいになると、母ちゃんのお腹の下に潜り込んで眠りました。母ちゃんのお腹の下は暖かくて気持ちがよくて、怖いことなんてひとつもありませんでした。

 物置小屋は小さな食堂の裏手にありました。食堂は大きな道路に面しており、道路は車が絶えず行ったり来たりしていました。そして風が吹くと潮の匂いが漂ってきました。

 潮風に吹かれると僕たちの産毛は、すぐにベタベタになり体に張り付いてしまいます。そんな時には、母ちゃんが毛繕いをしてくれます。前脚でぼく達を抱きかかえるようにして、汚れた産毛を舌できれいに舐めてくれます。母ちゃんの舌は少しザラザラしていました。でもそのザラザラとした舌で舐められると、僕たちはとても幸せな気持ちになりました。すると喉がひとりでにゴロゴロと鳴るのでした。

「いいかい覚えておくのだよ。今日みたいに潮風に吹かれた時や雨に濡れた時には、すぐに毛繕いをするのだよ。そのままにしておくと体が凍えてしまうからね」
 毛繕いが終わると、母ちゃんはいつも僕たちに言いました。毛糸玉のように膨んだ僕たちは、黙って母ちゃんの話を聞いていました。でもフカフカの産毛は暖かくて、凍えるってどんなことなのか分かってはいませんでした。

草むしり作「ヨモちゃんと僕 」前1

2019-07-25 15:59:08 | 草むしり作「ヨモちゃんと僕」
草むしり作「ヨモちゃんと僕」前1

(夏)台風の日に

「見つけたよ、子猫ちゃん」
 昼寝をしていた僕は、驚いて目を覚ましました。辺りを見回しましたが、誰もいません。ヨモちゃんが僕の隣で寝ているだけです。ごろりと腹ばいになって、ちょこんとそろえた前脚の上に頭をのせて、気持ちよさそうに眠っています。今の声はヨモちゃんには聞こえなかったのか、目をつむったままピクリとも動きません。点けっ放しのテレビは大型の台風が、ぼくの住む山間の町の上を通過中と言っています。
 
 朝起きた時には明るかった空が次第に暗くなり、風が窓をゆらし始めました。パラパラと降り出した大粒の雨は、すぐに前が見えなくなるほどの大雨になりました。雨はコンクリートで張り巡らされた細い坂道を、川のように流れています。お父さんとお母さんは何度も二階に上がっては、窓から外を眺めています。用水路の水があふれ出し、畑が水浸しになっていると言っています。どこからか飛んできた空き缶が、カラカラと音を立てて表の道を転がっていきました。

 しばらくするとあんなに降っていた雨が、ピタリと止みました。暗かった空が見る間に明るくなり、立ち込めていた黒雲の切れ間から、お日様の光が差し込みました。
「台風の目かしら」
お母さんは水につかった畑が気になるのか、長靴を履いて外に出ていってしまいました。
「まだ、危ないよ」                                       
テレビを見ていたお父さんも、お母さんの後から外に出ていきました。

 お母さんが勝手口のドアを開けたとたんに、生あたたかな風が吹き込んできました。風は少しだけいつもと違った匂いがしました。僕はその匂いを、どこかで嗅いだことがあると思いました。

「何の匂いだろう」
思い出そうとするのですが、どうしても思い出せません。
「まぁ、いいか」
僕は大きなあくびを一つして、前脚の上に頭を乗せて目をつぶりました。

「さあ、行こうか」
 少し間延びしたのん気そうな声がして、僕の耳の後ろの毛を風が撫でました。
「逃げろ」
身体の中から声が沸き上がってきて、僕の胸がドクンと鳴りました。
「逃げる」
ぼくは弾かれたように、ソファーから飛び降りました。
「ヨモちゃん」
ヨモちゃんが、ふわりと浮きあがりました。
「おや、これは失敬。間違えてしまった」
 ソファーの上に浮き上がったヨモちゃんは、そのまま下に落ちてしまいました。けれども何事も無かったように寝ています。

「しまった、もう時間がない。また来るからね」
風がまたぼくの耳の後ろを、ふわりと撫でました。
「来るな」
総毛立ったぼくは、低く唸り声をあげました。やがてまた雨が降り始め、今度は反対の方向から風が吹いてきました。

「雨が上がったからって、すぐに外に出るのが一番危ないよ」
外に出て行ったお母さんを、お父さんが連れ戻しに行ったようです。
二人の話声を遠くで聞きながら、ぼくはさっきの匂いが何なのか、どこで嗅いだことがあるのか、はっきりと思い出していました。