草むしり作「ヨモちゃんと僕」前22
(春)イノシシ母さんとウリ坊たち⓶
「早くおいで、人間に見つかってしまうよ」
一斉にイノシシ母さんにの所に駆けていくウリ坊たち。僕一緒にも走って行きました。
「ねぇ、家に遊びにおいでよ」
「おいでよ、おいでよ」
一番小さなウリ坊が言い出すと、他のウリ坊たちも言ました。
「じゃぁ、お邪魔しちゃおうかな」
僕はその気になって、ネットの穴から外に出ました。
「さあ、早くおし。人間がやって来ると厄介だからね」
イノシシ母さんはよほど急いでいるのか、最後に僕が穴から出たのも気がつかないようです。母さんの大きなお尻がユッサユッサと揺れて、ウリ坊たちの小さなお尻もユサユサ揺れています。
でもよく見るとイノシシ母さんのお尻の揺れ方が少し変です。後脚の片方を引きずって歩いています。若い雄との戦いで怪我でもしたのでしょうか。でも怪我をしている割にはけっこう早足です。ウリ坊たちに混じって僕も、尻尾をフリフリさせながらついていきました。
ただ木や草が茂っているようなだけの山の中にも、山で暮らす動物たちの歩く道があります。それを人間は、けもの道と呼んでいます。けもの道には動物たちの足跡やフンが残っており、シカやイノシシは傍の木に牙や角で傷をつけたり、体に付いた泥をこすりつけたりしています。
「危ないよ」
イノシシ母さんが急に立ち止まったのは、崖に沿った細いけもの道を登っている時でした。恐ろしいはぐれイノシシも、母さんが居るから平気です。母さんが守ってくれるから、何も怖いものなどありません。のんきに遠足気分で母さんの後を歩いていた僕たちは、何が起こったのだろうと、慌てて立ち止まりました。
「この木を見てごらん」
イノシシ母さんの前には木の枝がありました。枝はちょうど道を遮るような形で、落ちていました。道幅は動物一匹がやっと通れるくらいの細さで、落ちている枝を飛び越えなければ前に進むことができません。枝はたいした太さではなく、難なく飛び越えられそうです。
「道の真ん中を木が塞いでいて、前に進めないよね」
「母さん、こんな小さな木の枝、おいらたち簡単に飛び越えられるよ」
一番大きなウリ坊が、前に進み出て木を飛び越えようとしました。
「勝手なことをしてはいけないって、いつも言っているじゃないかい」
イノシシ母さんは前に出たウリ坊を、鼻先で押し返しました。
「いいかい思い出してごらん、今までに道の真ん中にこんな枝が落ちていたことがあったかい」
「うん、あったよ。母さんがその木に牙で目印を付けたじゃないか」
「でも、あれは道の真ん中には落ちていなかったよ」
「そうだよ、あの木は道の脇に生えていたよ」
「タヌキの溜め糞も端っこだったな」
「木の実のたくさん入ったイタチのフンも端っこだったよ」
「サルが捨てて行った木の実の食べかすは真ん中にあったよ」
「それは猿が木の上から落としたからじゃないの。猿は木登りが得意だから、こんな狭い道歩かないはずよ、枝から枝に飛び移って行きたいところに行けるのだから」
女の子のウリ坊が言いました。
「でもあんなもの別に飛び越えなくたって、踏みつけて行けばいいンだよ」
ウリ坊たちは道で見た物を次々に挙げていきました。ぼくはいろんな動物たちが、同じ道を利用しているのに驚きました。
「道を塞ぐようにして落ちていたことは無いだろう」
「うん。有りそうで、無いね」
「有りそうで、無いね」
一番大きなウリ坊が言うと、他のウリ坊たちも一斉に同じことを言い出しました。
「そう。有りそうで、無いことだね。この木の枝は」
イノシシ母さんは木の枝が子供たちに良く見えるように、道の端に体をずらしました。
「こんな時にはね、匂いを嗅ぐンだよ。お前たちの鼻は筍を掘るためにだけにあるのではないンだよ。匂いを嗅いでごらん、私たちイノシシの鼻は、こんな時のためにあるのだからね」
ウリ坊たちは一斉に鼻を前に突き出し、クンクンと匂いを嗅ぎ始めました。
「あっ、鉄の臭いがする」
「鉄の臭いがする」
誰かが言い出すと、すぐに他のウリ坊たちもいいだします。
「いいかい、見てごらん」
イノシシ母さんはウリ坊たちを残して、今来た道を引き返していきました。どこに行ったのだろうかと思っていると、ガサガサと落ち葉を踏みしめる音がして、道の脇の崖の上から姿を現しました。
「危ないから後ろに下がっていなさい」
いったい何が始まるのかと興味津々の子供たちを後ろに下がらせると、イノシシ母さんは鼻先で地面から石を掘りだして、枝に向かって落としていきました。ほとんどの石は谷に落ちてしまいましたが、その中の一つが枝の近くに転がり落ちた瞬間でした。ゴトリと音がした瞬間、キュンと何かがはじけるような音がして、地面に積もった落ち葉がパラパラと飛び散りました。
何が起こったのでしょうか。恐る恐る石の落ちた辺りを見ると、地面から銀色に光るワイヤーが姿を現していました。ワイヤーの先は、近くの木の幹に結びつけられています。
罠です。罠が仕掛けられていたのです。何も知らずに枝を飛び越えていたら、今頃は自分たちが罠に掛かっていたことでしょう。
「この針金は動物を捕まえるために、特別頑丈にできているのだよ。いくら噛んででもかみ切れないし、力任せに引っ張っても切れるものじゃないンだよ。母さんは若いころ、この罠に掛かってしまったンだよ。罠を外して逃げよとしたンだが、どうしても外すことが出来なくてね。逃げようとすればするほど巻き付いた針金が後ろ脚に食い込でくるンだよ。
そうこうしているうちに人間の足音が近づいてきてね、これが最後だ、これでダメならもう諦めようと思って、罠に掛かった方の脚を思いっきり引っ張ってみたンだ。そしたら骨が砕けるような嫌な音がして、急に体が自由になったンだけどね…。
その時は逃げるのに夢中で何ともなかったけど、巣穴に帰ってからが大変だったよ。脚の先が無くなっているンだから。死んだほうがましなくらい痛かったよ。でもどうすることもできなくてね、巣穴の中でじっと痛さに耐えるしかなかったよ」
イノシシ母さんは片方の後ろ脚を出して見せました。僕はてっきり、はぐれ猪を追い払った時に痛めたのだろと思っていたのですが、そんな理由があったなんて……。
脚は爪の部分が無くなっていましたが、分厚い肉が爪のように傷口を覆っていました。
「しばらくすると痛みは収まったけどね、無くしてしまった足はもとには戻らない。あの時どうしてもっと用心しなかったのかって、後悔したよ。」
「分かったよ、母さん。通り道に木が落ちていたら、上から石を落として罠を壊せばいいだろう」
「おいら、今から上に行って石を落としてみるよ。ぶっつけ本番よりも、石を落とす練習しておいた方がいいから」
「うん、そうだ。みんなで練習しようよ」
「バッカじゃないの、あんたたち。そうじゃないでしょう、母さんの言っていることは。」
女の子のウリ坊が、呆れた口調で言いました。しかし女の子って、どうしてみんな「バッカじゃないの」って言うのでしょうか。僕には男の子たちが、そんなにバカなことを言っているとは思えないのですが。
「いつもと何か違うなと思ったら、まず匂を嗅いでみるのよ。ねぇ母さんそうでしょう」
女の子のウリ坊は呆れたような顔をしています。
「そうだよ、お前たちの鼻は筍や石を掘り起こすだけじゃなくって、罠に残されたわずかな匂いだって、嗅ぎ取ることができるのだよ。いつもと違うと思ったら、すぐに匂いを嗅ぐのだよ。鉄やビニールの臭いがしたら、近くに必ず罠がある。だから臭いのする方をよけて通るのだよ」
「うん分かった、いつも注意して。罠があったらよければいいンだね」
なるほどそういうことか、僕もてっきり罠を見つけ次第に壊してしまうのだと思っていた。だってその方がかっこいいモン。
「バッカじゃないの」
どこからか聞き覚えのある声がしたようで、僕は慌ててあたりを見回しましたが、誰もいません。きっと気のせいでしょう。
「ところでお前は一体誰なんだい。竹林の中からずっとついてきているけれども」
キョロキョロとあたりを見回している僕に、イノシシ母さんが言いました。母さんは知らん顔していたけど、僕のことに気づいていたンだ。
「僕は保健所には、行きたくないンだ」
「そんな所には行かなくていいよ。しょうのない子だね、黙ってついてきて。仕方ない一緒に来るかい」
「うん、行く」
僕はイノシシ母さんの後についていきました