草むしりしながら

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草むしり作「わらじ猫」後12

2020-04-27 18:14:27 | 草むしり作「わらじ猫」
草むしり作「わらじ猫」後12

大奥のお局様 わらじを履いた猫

―その方、名はなんと申す。ですと……。

「その方、名は何と申す」それは大奥の合い言葉だった。上様が名前を訊ねた相手が、気に入ったということだ。
―上様はお夏を気に入られたのだろうか。
いやその前にタマの名前を訊ねられた。だとすれば猫が気に気に入ったので、そのついでに飼い主の名前を訊ねただけなのか……。
いやそれとも本当にお夏が気に入ったのだろうか……。しかし上様は、いつの間に好みが変わられたのだろうか。たしか色白の細面(ほそおもて)がお好みだったのでは。それが次の側室にお夏をご指名とは……。お局さまは上様の真意を測りかねていた。

もう腰が痛いなど言っている場合ではない。 どうしていいものか。いくら考えても分からまかった。

―当のお夏は先程の上様の御言葉をどう思っているのだろう。
「のうお夏、先程上様はお前になんとお聞きになったのじゃ」
遠回しにお夏に探りを入れてみた。
「はい、上様はタマがたいそうお気に召したようでございました」
お夏は大奥の合言葉をまだ知らないようだ。
「そちのことは、何か訊ねなれたか」
「はい、どうしてそんなに色が黒いのか」お訪ねになりました」
「まあ、なんということを……。一番引け目にしているところを、あれこれ言われて、その方傷ついたであろう」
「いえ、一番気にしていることではないので、さほど傷つきはいたしませんでした」
「面白いことを言うのう。ならばそちはいったい、自分のどこが一番嫌いなのじゃ」
「お局さま。それは御勘弁いただけませんでしょうか」
「うん。そのような事、人には言いたくはないわな」
 二番目は笑って許せるけど、一番目はゆるせない。お局さまは、お夏の娘心がわかる気がした。

―この娘はいったい自分のどこが嫌いなのだろうか……。
お局さまはかいがいしく、自分の身の回りの世話をするお夏を、見るとはなしに見ていた。
お夏は膏薬を張り替える準備をしている。手の上に広げた晒の上に、竹のヘラで膏薬を塗りつけているのだが、うつむいたその横顔がなんだが、嬉しそうに見える
「お夏、上様はそちの色が黒いと仰せになったほかは、なにも仰せではなかったのか」
「はい、他にはタマが可愛いと誉めて下さいました。それから私のことを、よく見ればところどころ可愛いと仰せでした」
 お夏は頬を赤らめて、恥ずかしそうに答えた。
「まあ、ところどころだなどと……」
上様はお夏のことをお気に召したのだろうか。
お局さまが考えあぐねていると、廊下をかけてくる、足音が聞こえて来た。

「おばば、煤かぶりにおとぎはなしをしてもらってもいいか。父上も一緒に聞きたいそうじゃ」
若様の声が大奥中に響き渡った。
「上様がおとぎ話でございますか」
お局さまは驚いて飛び起きてしまったが、もう腰に痛みは消え伏せていた。

「お夏、お夏。上様がおとぎ話を聞きたいとおおせじゃ。何の話をいたすにじゃ」
「はい、今日は「わらじを履いた猫」の話でございます」

上様は「わらじを履いた猫」の話がお気に召したようだ。
その夜、御鈴廊下の鈴の音は高らかに大奥に鳴り響いた.