草むしり作「わらじ猫」後11
大奥のお局さま 猫のお見舞い
ぐっすりと眠る若君の横で、お局さま動くことも声を出すこともできずに、額に油汗を浮かべていた。
「………」
―おお、タマか。
体がふわりと宙に浮いた。自分を抱きかかえているのは湯殿のお端下だろうか。不思議なことに抱かれている間は痛みを感じなかったのだが……。
「お床(とこ)に下ろしいたします。御覚悟ください」
「うぅ………」
床に下ろされたとたんに激痛が体中を走りぬけた。
寝付いてからもう十日になるのに、いっこうに痛みは止まらなかった。それどころかますますひどくなっていくようだ。お局さまは体を九の字に曲げたまま、起き上がるどころか寝返りを打つことさえも出来なかった。
「どうじゃ、具合は」
苦しそうに横に向いたまま寝ていたお局さまは、傍に控えていた部屋子に目配せした。部屋子は横になったまま身動きの取れないお局さまを抱え、床の上に座らせた。それからそのまま後ろに回って、お局様が倒れないように支えている。
湯殿のお端下はそのままお局様の部屋子として召抱えられた。病人の扱いにもなれているのだろうか、それとも力が強いからだろうか。他の部屋子が抱えると激痛が走るのに、この部屋子が抱えると痛くないのだ。あれから部屋子は片時もお局さまから離れず看病をしている。
「上様、このようなむさ苦しいところにおいであそばすものではございません」
お局さまはほつれた髪を撫でつけ、乱れた襟元を慌てて直した。
「のう秋月、せめて膏薬を張ってはみないか。」
「上様心配には及びません、このようなもの日にちが薬でございます」
「いいから余の言いつけを聞け。幼い頃大病を患った余のために、一切の薬を絶ったのは存じておる。こうして元気でいられるのもそちのおかげと感謝もしておる。しかしあれから三十年以上も経っておる。神様のほうもそのような願い事とっくに忘れておるわ」
「上様にこのようなお言葉をかけていただき、身にあまる光栄でございます。もういつお迎えが来ても悔いはございません」
「何を申すか秋月、だいたいギックリ腰で死んだ者がおるなど、余はまだ聞いたこともないぞ。とにかくそちが居らねば、余が困るではないか。若もやっと落ち着いてきているのに。また元に戻ってしまうではないか」
「上様………」
「いいから膏薬を張れ、しかと申しつけたぞ」
部屋の空気が少しだけ湿っぽくなったようだ。どうもこの手のお涙頂戴は上様の柄に合わないのだろう。襖を開けて外に出て行こうとしたときだった。
「なんじゃ、これは」
上様は部屋の襖を開けて一歩前に踏み出そうとして、慌てて後退りをした。すぐ目の前に大きな鼠が置かれている。危うく踏みつけそうになったようだ。
「上様それは、猫の見舞いでございます」
「猫の見舞いじゃと」
「はい私が寝ついてからというもの、こうして毎日このように部屋の前に鼠を置いていくのでございます。今、片付けさせますので……」
お局さまは自分を後ろで支えている部屋子に合図をした。部屋子は頷くとお局様を横に寝かせ、頭を畳にこすりつけたまま鼠の前に進み出た。
「猫とはこの猫のことか」
いつの間にか猫がやってきて、上様の足元に顔をこすりつけている。
「ご無礼いたします」
頭を畳にこすりつけたまま、女中が手に持った火箸で鼠をつかんだ。
「ほう、鼠専用の火箸まで持っておるのか。まてまて、せっかくの猫の見舞いじゃ。秋月の枕もとにおいてやれ」
「承知いたしました」
部屋子は三宝の上に鼠を置くと、うやうやしくお局様の枕もとに置いた。
「上様ご冗談はおやめください」
逃げるに逃げられず、横になったまま頭をブルブルと震わせて、お局様は必死に上様に訴えるのだが。
「そちは鼠が平気なようだが、この猫はそちの猫か」
「はい、私の猫でございます」
「よいか、これから猫の持ってきた鼠は、必ず秋月の枕もとに置くように申しつける」
「はい、かしこまりました」
「う、上様なんと言うことを。誰か、誰か膏薬を持ってまいれ。ええい、早よう、早よう持ってまいらぬか」
「うん、それでよい」
上様は部屋から出て行こうとしてふと猫に目を留めた。猫は大騒ぎしているお局様を横目で見ながら、知らぬ顔で毛繕いを始めていた。
「その方、この猫の名はなんと申すか」
「はい、タマでございます」
「うん、美しい猫であるのう」
「ありがたき幸せでございます」
「その方、面をあげよ。して、そちの名はなんと申す」
「はい、おなつと申します」
「うん、よく見ればところどころ可愛いのう。しかしそちはその、ちと色が黒いのではないか。なぜそのように日に焼けておるのじゃ」
「しかとは分かりかねなすが、生まれたのが八月の真夏の最中でございましたから、生まれてすぐに日に焼けたのだと思います
「夏に生まれたからおなつか、そのほう以後はお夏と改めよ」
「ニャー」
お夏の代わりにタマが返事をした。