草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

コーヒーの好きなお客さま

2023-04-15 07:48:33 | 草むしりの「ジャングル=ブック」

コーヒー好きなお客さま

 前回、前々回と我が家に住む方たちを紹介ましたが、我が家にはその他にもいろんなお客さまがいらっしゃいます。

 さて我が家では生ごみを堆肥にするエココンポストを畑の隅に設置しております。かなり大型で生ごみだけではなく落ち葉や廃棄野菜に、もみ殻や米ぬかなどを混ぜて発酵させるのです。

 いい堆肥になるし生ごみもすぐに処分できるので、こんな便利なものはありません。ところが困ったことに、この生ごみを狙ってカラスや野良猫がやってきて、閉めてある蓋を器用に外して中の物を引っ張り出すのです。

 そこでコンポストに網をかぶせ網の四方を石で押さえ、蓋の上もコンクリートブロックで重石をしました。多少の不便もありますが、これで中を荒らされることがなくなったと安堵した次第です。

 ところがある朝、蓋の上のコンクリートブロックが落とされ、被せていた網も外されていました。しかし不思議なことにコンポストの中は荒らされてはいなののですが、コーヒーかすばかり引っ張りだされています。

 犯人はコーヒー好きなようです。それにしてもあんな重いブロックやめんどくさい網を外すなんて、いったい何者なのでしょうか。コンポストを荒らされることよりも、その正体が気になって仕方ありませんでした。

 それから毎日、コーヒーの好きな何者かはやってきました。重石をもっと重いブロックに換えても、朝には蓋があけられ、コーヒーのかすが散らばっています。

 そんなある朝、いつもよりちょと早い時間に起きて畑に行ってみると、いるではないですか。大きな猿がコンポストを覗いていているのです。追っ払ったりしたら、こっちの身が危ない。慌てて家に逃げ込みました。

 それにしても、あんな大きな猿が家の周りをうろついているなんて。「怖いわー」って思いました。ところがその日を境にコンポストが荒らされなくなりました。たぶん向こうも私を見てあんな婆さんの畑だったなんて。「怖いわー」って思ったのではないでしょうか。


よいとこさん

2023-04-13 05:46:25 | 草むしりの「ジャングル=ブック」

よいとこさん

 前回はあのお方を紹介しましたが、我が家には他にも住み着いているお方がおります。 

 このお方は「よいとこさん」という名前です。どうして「よいとこさん」になったかというと、かれこれ六五、六年くらい前に、母が近所のお婆さんから「あんたん家にはよいとこさんがいるよ」と言われたそうです。

 そんなこと言われてよいとこさんとは何であろう。見たこともない。そこで父に聞いてみたそうです

「父ちゃん。よいとこさんちゃ、何かぇ」

 父もそんな名前はじめて聞いたのでしばらく考えていました。そしてたぶん動物のテンではないかと言ったそうです。

 父が幼いころに爺さん(父の祖父)と一緒に山に積んであった薪を取に行ったときのことでした。薪の中にテンの巣があり、そこに子どものテンがいたそうです。それを連れて帰って飼っていたのですが、いつの間にかいなくなってしまったそうです。

 それが代々住み着いているのではないかというのです。むろん家の者はだれも見たことがありません。こういう場合は案外よその人の方が見えるのかもしれませんね。その上よいとこなんて縁起のいい名前までつけてくれたのですから。

 このよいとこさんもきっと我が家を守ってくれているのでしょう。どこに隠れているか知れないけど、いつまでも住み続けてほしいものです。


あのお方

2023-04-11 07:28:20 | 草むしりの「ジャングル=ブック」

あのお方

 最近テレビが面白くなくなったのは、やはり年を取ったからだろうか。いやたぶんYouTubeが面白いからではなかろうか。保護犬猫活動に涙し、園芸、料理、ダイエット動画はよく参考にしている。

 さて数多ある動画の中で私が今一番はまっているのは、「ふるさとの栞」という動画である。若いカップルが百万円で古民家を買い取り、中の粗大ごみをひたすら捨てまくり、古民家の再生を目指す動画である。

 それにしても古民家の中、物で溢れかえっている。たぶん元の持ち主が捨てないで、何でもとっておいたのだろうが、数年前の生家を見ているようだ。もちろんあそこまではなかったのだが、何年もかかってやっと片付けたのだが、まだ倉がまだ残っている。

 倉といっても農家の倉なので、お宝が仕舞われているわけではない。触ると崩れてしまいそうな蓑や笠とか、姉のお雛さまとか、息子の鯉のぼりまで、とにかく捨てるには忍びないけど、在っても仕方のないものを乱雑に詰め込んでいる。

 二十年ほど前に一度母の命令で、しぶしぶ整理を試みたのだが、あのお方の抵抗にあい、これ幸いと試みを中断したままになっている。

 あのお方は倉のいや我が家の守り神さまとして、長い間大事にされている。いつの頃から住み着いたのかは定かではないが、私が子供の頃には既にいた。毎年夏の終わりに姿を現し、ゆっくりと庭を横断しどこかに消えていくのだ。   

 また衣替えはあのお方にとって大切な行事なのだろう。毎年どこかに必ず脱ぎ捨てた衣を置いてゆく。今年は倉の外側の石垣の中にあった。

 しかし私が子供の時にいたお方と、今のお方は同じお方なのであろうか。もしかしたら代替わりしているのかもしれない。しかしいつ見てもても大きく堂々としている。まさに我が家の守り神さまにふさわしい、立派なアオダイショウである。

 あのお方の住処を私ごときが荒らしていいはずがない。と自分に言い訳して、ずっと倉の掃除を先にのばしているのだ。


真夏の夜の思い出

2023-04-07 13:28:05 | 草むしりの幼年時代

真夏の夜の思い出

 図書館に行く途中で、眼鏡を忘れたことに気づいて家に引き返した。買い物や散歩のときは必要ないのだが、さすがに図書館では老眼鏡が無くては字が読めない。まったく年は取りたくないものだ。子供の頃は夜空に広がる天の川の星たちまで見えていたのに……。

 さすがにそれは言い過ぎかもしれないが、見えていた気がする。空気がきれいたったからか、あたりが真っ暗だったからだろうか。いや天の川は小さな星の集まりだと姉に教わったからかもしれない。見上げると無数の星が瞬いていた、夏の夜空を思い出す。

 さて当地では昔から「七島井(しっとうい)」と呼ばれる畳表の栽培が盛んであった。今ではごく限られた農家しか作っていないが、私が子供の頃はどこの家でも作っていた。

 刈り入作業は「七島じの(しっとじの)」といわれ、時期はちょうど真夏で、一家総出の仕事だった。

 夕方父が刈り取った七島を母がより分けると、今度は二つに分割する作業がある。この作業のことを「七島わき」と言い、夏の夜の家族総出の仕事だった。

「七島わき機」と呼ばれる木制の粗末な道具は、細い針金が一本渡してあった。古い筵(むしろ)を地面に敷き、片方の足を曲げてわき機を固定し、取り付けられている針金で七島を一本一本縦にわいていくのだ。

 針金の張り具合を調節して、右手に握った七島の茎を針金に押し込んで五センチくらい引き出す。十本か十五本くらいそうして引き出しておいて、五本くらいを左手で平らに握ってぐいとひっぱり、途中で右手を七島の下に添えて一気にひっぱる。すると一本の茎が二本に分割されるのだ。夜を徹して行われる気の長い作業だった。

 ピンピンとまるで一弦琴のような音を立てて、まずは針金の張り具合を確かめる。それからキュキュキュ、グワーンと七島をわく音が、真夏の夜空に響いていた。 

 わき終わった七島は翌朝、干場と呼ばれる山の空き地に広げて天日干しする。藁を敷き詰めた上に細い竹の棒を置き、その上に七島を薄く並べて干していく。途中で一度ひっくり返して日のあるうちに取り込む。

 日中はお天道様が仕事をしてくれるので、休んでいられそうな気がするが、そうは問屋が卸さない。昼すぎにはなからずゴロゴロとやってくるものがいる。

 それ夕立だ、濡らしてなるのかと。一家総出で取り込むのだ。それから冬になり今度は筵(むしろ)に織るのが、その家の主婦の仕事になる。それを「筵買い(むしろかい)」と称する仲買人が来て買っていくのだ。

 農家にとっては現金収入になる仕事だったのだろう。ただ夏の作業はあまりにも過酷だった。我が家では私が小学校の高学年になったころに辞めてしまった。

 さて先日「面倒くさいの文化」の中で紹介した「おらんだ」はこの夏の時期に食べられる当地の郷土料理である。「七島じの」ことを考えると、なぜ「おらんだ」があんな料理方法になったかが分かるような気がする。

 私にとっては夏の夜の幻想的な思い出になる「七島じの」も、母にとってはつらい思い出だったのだろう。早くに辞めたのは正解だった。ただ「おらんだ」の方は、いつまでもおいしい思い出として食べ続けていた。

 しかし考えてみれば油と粉と塩だけの料理だ。栄養なんて何にもないし、いくら食べても腹いっぱいにならず、大量に食べてしまう。

 それが太りすぎ高血圧の引き金になり、晩年の母を苦しめたのではなかろうか。

 何も「おらんだ」を名指しで責めているわけではない。何事もほどほどに食べることを心掛けて、わが郷土の「おらんだ」を今後も愛し続けたいと思っている。


面倒くさいの文化

2023-04-05 10:38:17 | 草むしりの得意料理

面倒くさいの文化

 昨日のNHK NEWS おはよう日本で、長野県の「おやき」の特集をしていました。なんでも小麦粉を麺にするのは面倒くさいから、練った小麦粉でおかずを包んで、囲炉裏で焼いて食べたそうです。それがお焼きの始まりだとか。この面倒くさいが、お焼きという郷土料理を後世に残すことになったのですね。 

 当地ではあきれた調理方法の郷土料理があります。この料理も面倒くさいからという理由で、こんな調理方法になったのかしらと、ふと思ってしまいました。   

 ニガウリとナスを油で炒めて作るこの料理は、昔からこの地で暮らす人たちには「おらんだ」と呼ばれて愛され続けています。

 作り方はいたって簡単で、ナスとニガウリを切って油で炒めます。その時の野菜を炒める音をご当主さんが雨の降る音と勘違いしてしまい「おい、雨だぞ!」とおらんだ(叫んだ)ことから「おらんだ」になったといわれています。本当でしょうか?

 さてナスとニガウリを炒めた後、だし汁と味噌を加えてグツグツ煮立て、その上に水で溶いた小麦粉を流しこみ、かき混ぜながらトロミをつけて完成です。

 まあナスとニガウリのみそ仕立てシチュー風と申しましょうか。すいとんにでもするつもりが、粉をこねて団子にするのが面倒くさくて、粉を水で溶いてたらたら流し込んだ。そんな感じがしないでもありませんが、そのルーツは定かではありません。

 とにかく究極の面倒くさがりやの料理ですね。そのうえ小麦粉の溶き方が独特です。どんぶり鉢に小麦粉と水を入れて、箸でぐるぐるとかき混ぜるのです。出来上がったものは当然ダマになりますよね。ホワイトソースが失敗した時みたいに。

 ところが昔の人はその固まった所がおいしいっていうのですよ。なんという恥ずかしい作り方でしょうか。おまけにニガウリが入っているから当然苦いのです。子供の頃はおいしそうに食べている母を見るも嫌でした。

 だから改めて食べたのも四十代になってからでした。本当に美味しいのか?と半信半疑で食べてみると、意外に美味しかったです。「ああ、わたしもここの女子氏(おなごし)になったなぁ」と感じました。

 作り方を説明する時には、まだちょっと恥ずかしいのですが、おらんだは当地が誇る郷土料理だと胸を張って言えます。

 長い文章になってしまいました。ただ究極の面倒くさがり屋の料理と紹介していたしましたが、、その背景には夏の過酷な農作業があります。是非そのことも知っていただきたいのですが、今日はこの辺で……。