「フロンティア精神」とよく言われ、新天地を開拓するのがフロンティアであるが、
新天地がなくなったら何を開拓するのだろう。また、未開の地の先頭を走る者は確かにフロンティアであるかも知れないが、それに続く多くの人達はすでにフロンティアではない。それなのに、全ての人に対して「フロンティア精神」が全ての拠り所となるという言い方は完全ではない。精神の一部に「フロンティア魂」を持つ必要はあるが、全てに対して「フロンティア魂」を発揮することは間違っている。最先端を走るリーダーには状況によって「フロンティア精神」が必要かも知れないが、その他大勢とほとんどの場合では「フロンティア精神」を発揮する場はない。未開の地でもなく成熟した社会ではますますその傾向が強い。
フロンティア精神とは、別の見方をすれば早い者勝ちである。
他人よりも先頭を走ることであり、他人よりも先に自分の支配権を勝ち取ることである。未開の地であれば、さほど問題ないが、先住民がいれば困ったことになる。自分の支配権を勝ち取るためには先住民から力尽くで奪い取るしか方法がない。これはフロンティア精神でなく略奪である。全世界の人達がフロンティア精神を発揮すれば暴力による略奪が全世界に蔓延する。すでにフロンティア精神で開拓された領域が新たな人々によって略奪され侵犯され支配権を巡って争奪戦が繰り広げられることになる。これはもはやフロンティア精神どころの話ではない。
また、フロンティア精神とは、ある意味では無謀な冒険でもある。
何が待ち受けているか解らないけれども突き進むしかない。進まないことには先頭に立てないし、すでに道があり見通しの利くところは誰かがすでに開拓した領域であり、フロンティアとしては進んでも意味がない。当然ながらたくさんの犠牲を伴い、多くの人達が失敗し敗退して行く。その中で成功するのはほんのひとつまみの人間である。フロンティア精神とはそれほどのものでしかない。まるでヨーロッパ中世の軍隊が敵の攻撃を受けて先頭がバタバタと倒れても次から次へと隊列を乱さないで進軍する光景を見るようである。最終的な行き着く先はひとつまみの裕福な人間と大多数の貧困にあえぐ人間に二局分離した世界である。
フロンティア精神と対照的なのがゼロサム社会である。
得をする人がいれば損をする人がいる。損得はプラスマイナスゼロであるという考え方である。得をした人は自己の努力や絶好の機会に恵まれたわけであるが、そのために損をした人がいることを考えなければならないし、いずれかはその得を損をした人に還元してやらなければならないのである。還元の仕方は通常「弱者救済」という形で行われ、この役目を果たすのが政治である。何らかの事情により普通に対等に競争できない弱者を救済するのである。弱者とは敗者ではない。競争に敗れた敗者の損失を補填することが弱者救済ではない。敗者はいずれか勝者になる可能性を秘めており、対等に競争できる能力を保有している者でもある。競争に参加できること自体がすでに弱者ではない。勘違いしないようにしなければならない。
フロンティア精神を中心とするのがアメリカで、ゼロサム社会を中心とするのが東洋である。
最終的にはゼロサム社会を目指さなければならないと思う。あまりにアメリカがフロンティア精神を振りかざすと世界が迷惑を被ることになる。アメリカもそろそろゼロサム社会に移行しなければならないだろう。すでにアメリカがフロンティアを目指す領域は地球上になくなりつつある。これ以上フロンティア精神を追求すれば世界中が争奪戦の嵐に突入することになる。これは何としてでも避けるべきである。ゼロサム社会は対等な社会でもある。支配する者支配される者もないし、奪う者奪われる者もない。機会は均等であり、たまたま機会に恵まれた者は恵まれない者に還元することも忘れない。実に平和な社会である。
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