オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

プロフェッショナル

2006年10月26日 | Weblog


プロは余裕を持っている。

 我々端から見ていると、プロは限界ギリギリの挑戦をしているように見えるが、本当のプロはそんな冒険はしない。冒険するとしても時と場所をわきまえて必要もないのにむやみやたらに挑戦することはしない。にわかプロや見せかけプロ、似非プロは、やたらと限界に挑戦し、無謀な冒険を試みる。それがプロだと思い込んでいるし、それをやらなければプロではないと思っている。冒険はするくせに、基本的なトレーニングや基礎知識の修得には消極的で即効の成果ばかりを追求する。困ったものである。

プロの実力は我々が考える以上に高くて確実である。

 だから、八分目くらいで我々素人を感動させることができるし、プロ同士の対決でも常に100%の実力で戦っているわけではない。引いたり押したりの駆け引きが重要で、相手の出方に合わせてそれに見合う実力を出している。そして、ここぞという決定的な時機をとらえたら、出せる限りの実力を発揮して勝利を勝ち取る。時機を誤れば勝利は消え去ってしまう。その決定的な時機に確実に実力を発揮できるのがプロである。その時には冒険することもあり実力以上の能力を発揮する。我々素人はそこがあまりにも感動的で印象的なために大いなる勘違いをすることとなる。

プロは何処にでも居るし、その能力は千差万別である。

 ただ単なる普通の人でも、何らかのプロの能力を持っている。たとえ持っていなくても、常日頃から鍛錬すれば一つや二つはプロの能力を持つことが可能である。私的には何人も誰でも何らかのプロの能力を持っていると思う。人生生きてきた年月が長ければ長いほどプロの能力を持つ数と完成度の高さが優れている可能性がある。あとは本人の精進努力の成果に応じて実力は異なるのだろう。こんな感じを持ちながら生きていたいものであるし、周囲の人達のそれぞれの価値を認め評価してゆこうとする心がけが重要だと思っている。

この頃の若者を見ていると、自分の能力と可能性を信じていないような気がする。

 テレビで活躍するプロを見て、最初から自分にはできないと思い込んでいる。全然別世界の自分には関係ない天性の素質を持った天才で、自分でやっても絶対にできないし、足元にも及ばないと思い込んでいる。全てのことに対して、そのような気分を携えている。「自分にもやろうと思って努力すればあれくらいのことはできる。ただ、自分は別の道を歩んでいるので、この道に専念する。」と、これぐらい自信たっぷりの生き方をしてもらいたいものだ。そして中途半端でなく自分の選んだ道ではプロを目指してもらいたい。

この頃、あちこちで信じられないような事故が起こっている。

 私は、根本は「プロ精神」の欠如だと思っている。にわかプロや見せかけプロ、似非プロが横行している。格好だけはプロなので一応仕事を任せられるが、とんでもない失敗をしでかす。やらなくていいことをやってみるし、本質を理解しないでマニュアルだけでやっているし、危険に対する感受性も欠けている。格好ばかりを気にするが地道で地味な努力を怠るし、人に教わろうとする謙虚な心がなく、人の意見や指導にも耳を貸さない。プロの仕事でポカミスは致命的である。そのことさえ認識していない。ほとんどが素人が犯すような初歩的なポカミスが原因である。ポカミスが存在する限り仕事は成り立たないし、ミスはあっても致命的でなく対策可能な範囲のミスに止めるのがプロの技である。

くだらない能力であってもプロの領域にあれば、その能力はプロ並みである。

 晴れ舞台で大活躍しているのがプロで、身近にいる人はプロではないと思っているが、身近な人の中にもプロはたくさん居る。たくさんのプロに囲まれていると思えば、周囲の身近な人に積極的に教えを請うはずである。そうすれば自分もプロの領域に少しずつ近づくことができる。少なくとも自分より先輩で年を重ねた人達はプロの能力の宝庫であるはずである。その人達が先生なのである。学校や教科書や専門書で学ぶだけが教育ではないし、専門の実践的な教育は仕事をしながら現場で学ぶしかない。そして、現場でOJTで学ぶそのような教育が一番役に立ち、なおかつ自分の本当の実力を向上させてくれる。教える側の自信と覚悟が必要だし、教えられる側の熱意と謙虚さが求められる。


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