憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

小室が会見する時。

2021-03-05 22:22:59 | 小室

木香茨。手入れ次第で屋根を覆うばかりに茂ります。
香しく逞しい。眞子内親王のお印です。

女性セブンがが小室の釈明会見の段取りについて書いているが妙なリアリティーがあるのが気にかかる。

女性セブン2021年3月18日号 
<前略>
「宮内庁長官が公の場で指摘したのですから、今後は宮内庁がご結婚に介入し、小室さんの代理人と水面下で調整を進めていくのでしょう。当然、会見も打ち合わせのもとで進めるはずです。ただ、宮内庁は眞子さまを同席させたくはない。プライベートな会見の警備で税金を投入するのは避けたいでしょうし、眞子さまが矢面に立つことになりかねません」(前出・皇室ジャーナリスト)
 しかし、小室さんにとっては、眞子さまの同席は“最重要事項”だという。
「母・佳代さんの元婚約者は金銭トラブルを“過去のこと”と割り切り、返金を求める気もないそうです。きっかけは、眞子さまがお気持ち文書を出されたこと。つまり、小室さんに有利な状況を、眞子さまが作り上げたのです。
 眞子さまが会見に出られる“メリット”を小室さんは充分に理解しているはず。小室さんが会見を開くと決めたなら、次に練る計画は“眞子さまを引っ張り出すこと”でしょう」(皇室関係者)

釈明会見に眞子内親王が出るか出ないか最終調整に入っているということでしょうか。
宮内庁は出したくないようですが、眞子内親王は出たいでしょうね。「イザとなれば私が代わりに答えてあげるから早くしましょう。」と意気込んで、小室をせっついているんじゃないかな?
「釈明会見さえすれば結婚できる。」と思い詰めている眞子内親王の姿が見えるような気がします。
あの婚約内定会見の二人をまたしても見ることになるのでしょうか。
前々から全て二人で策を練ってしてきたことと噂されていますが、この眼をされる内親王なら、小室の狡猾な計画に積極的に加担されても不思議は無いです。釈明会見で誠実そうなことを言っても作文か、さもなくば「本人にとっては真実なのでしょう。」という思い込みを聞かされることになるのでしょう。

少し前までは、釈明文書を出すなり釈明会見をするなりしたら、それをもって「禊ぎは済んだ。国民の理解を得た」として皇室の仕来り通りの結婚をさせるつもりだろう。と見ていたのですが、このところちょっと解らなくなっています。果して皇室は結婚して欲しいのか、欲しくないのか。どちらなのでしょう?
上皇と上皇后は国民の反発の声が大きくなるまでは、二人を結婚させるつもりであったことは間違いないでしょうが、今現在はどうなのでしょうね。

私は、ずっと上皇、上皇后は何故小室のような男を皇室の姻戚としても良いと思ったのだろうと疑問だったのですが「これかもしれない」という記事がありました。

書いているのは、長く美智子上皇后のイタコを自称して来た渡邊みどり氏です。
フライデーデジタル 2021年02月22日 
「眞子さまと小室圭さん、結婚なさったらいいと思うの。美智子様も『結婚は自分の意志で決めるもの』と、ずっとおっしゃっていますし」 

美智子様はつねづね「結婚は自分で決めるもの。私もそうでしたら」とおっしゃっているという。
「秋篠宮と紀子さまのときもそうでした。学習院のキャンパスで知り合ったおふたりは、逢瀬の機会も多くていらして。サークル活動やグループでの活動を通じて、どんどん親しくなっていった。若いふたりの結婚に、当時の天皇も美智子様も、とくに反対はなさらなかったのです」
交際当時、グループで赤坂御所にあるテニスコートでテニスを楽しんだ後は、近くにある外苑前のレストランで食事をするのが「いつものコース」だった。食事のあと、お仲間と別れる際、
「みなさんはこちら側、赤坂御所に帰る礼宮さま(当時)は向こう側で、お別れの挨拶をなさる。そのとき、紀子さまはなぜか礼宮さまのお隣に立っているんです」
そして、帰り道の外苑前の銀杏並木で、じっと抱き合っていらっしゃる若いおふたり…。
「眞子さまのご両親も、そうして愛情を育まれたんですね」
「天皇の妹である黒田清子さまのご結婚は2005年。もう15年になるんですね。民間に嫁がれて、マンションで暮らしていらっしゃる。清子さまは大学を卒業後、お仕事をもっていらっしゃいます。山階鳥類研究所の非常勤研究助手になり、『労働対価による給与を得た史上初の内親王』になったんです。
現在は伊勢神宮祭主、夫の黒田さんは都庁にお勤めで、いわば共働き。そんななか、ご実家である美智子様のところにも、しばしば訪れています。
この清子さまは、ほんとうによくできた方で、お仕事をもちながらも、ご実家のあれこれに心を配り、さらに姪である眞子さま佳子さまとも、とても親しくしています。じっさいふたりは清子さまを「ねえね」と呼んで慕っています。結婚についても、なにかアドバイスをしているかもしれません。
眞子さまも清子さまと同じように、仕事をもって、結婚生活を営むことができるんじゃないかしら」
「皇族の結婚は『さらっと決まらなくて当たり前』な部分もあるんです。けれども、美智子様の『結婚は自分で決めるものという方針、そして、秋篠宮ご夫妻のご結婚までのみちのりを考えたとき、眞子さまと小室さんの結婚も、なさればいいんじゃないかと思いますよ。
若くて意欲のあるふたりが愛によって結ばれ、自分たちの力で生活を立てていく様子は、国民にとっても励みになるのではないでしょうか。小室さんがどういう方か、お母さまがどうなのか。難しいことはあるように見受けられますが。なにより結婚は当人たちのもの。私は、この慶事を喜びたいと思います」

上皇后は「若くて意欲あるふたりが愛によって結ばれ、自分たちの力で生活を立てていく」を結婚のあるべき姿とし、皇族が自らそれを実践してみせることで、国民に範を示したいと思ってこられたのでしょう。
秋篠宮殿下の結婚、黒田清子様の結婚は上皇后の「かくあるべき」と言う姿で有り、国民もまた御二人の結婚と結婚生活の有様を歓迎した。
その延長で眞子内親王と小室の結婚を考えておられたのでしょうか。
皇女と貧しい好青年の結婚は上皇后の「結婚のあるべき姿」に「向上心に燃えてひたむきに努力すれば高貴な姫も得られる」という新たな物語を付け加えて国民にアピールすれば国民は二人の結婚を歓迎するだろうと思われたのではないだろうか。

それにしても「自分達の力で生活を立てていく」とおっしゃるが、秋篠宮殿下はもちろん黒田清子さまのご就職も現在の御生活も皇室との繋がりがあってこそ。黒田清子さまについてマスコミは「皇室のバックアップは何も無い。質素なお暮らしぶり」と報道するが両親がお手元金から支援をしていることは同じマスコミが報道している。質素なお暮らしぶりは経済的な理由からではなく、清子さま御自身のお人柄によるものでしょう。
はじめのころ上皇后は小室の職を探していたという。皇室の支援の下での生活も上皇后の眼からは「自分達の力で生活を立てて」いることになるようです。
国民の感覚とずれてる。としか言い様がない。
内容はどうであれ、その時の国民感情に訴えるような物語をつくれば、皇室は国民から支持されるとでも思われているのでしょうか。

眞子内親王と小室の結婚を美しい物語としてアピールするつもりでいた皇室はそうすることが出来なくなった状況の中、どのようにするつもりなのでしょうね。

オンラインお見舞いで「国民に寄り添う姿を見せる」

2021-03-05 13:30:43 | 公務
天皇皇后両陛下は陛下は3月4日岩手被災地を訪問 オンラインで被災者らと懇談されました。
平成の天皇は象徴天皇のありかたを模索され最終的に「国民に寄り添い、国民に心を寄せる天皇」を象徴天皇のあり方とさだめられたとかで、平成の時代の後半は天皇皇后の報道には、常に「国民に寄り添う」「国民に心を寄せる」という言葉がついていました。

余談ですが、私はこの二つの言葉を見聞きする度に「キリスト教会が説く<常にあなたの傍らに立つイエス・キリスト>か<同行二人>のお大師様」を連想してしまうのですね。まあ、美智子様はキリスト教に傾倒されていますので発想はイエス・キリストに倣い、行動は世界中を回って神の恩寵を与えるパーパに倣ったんじゃないかなー?

「象徴天皇のあり方」は民主主義国家では、本当は国民と共に考えて行くべきものなのですよね。
それを天皇が勝手に「私、これで行きますから。」と宣言したものをマスコミが追従称賛して国民に押しつけてくるのに、なんだかちょっと違和感を抱いています。

令和の天皇皇后も引き続き「国民に寄り添い、国民に心を寄せる天皇」の姿を国民に見せることに余念が無いようです。

天皇とモニターの距離感がすごいです。

訪問される側のモニターとの距離感もすごいです。
宮中での拝謁の距離感を再現しようとしたのでしょうか。
双方の距離感を見ても、天皇皇后とその周辺が実際には国民と「交流」国民に「寄り添う」などというフレンドリーな関係を目指しているわけでもないことが解ります。


緊張の面持ちで控える「お声がけ」を頂く方々。


陛下の「お声がけ」を晴れがましく受ける。
画面が遠いので遠くを見つめる眼になっています。

朝日新聞デジタル
天皇、皇后両陛下は4日、東日本大震災の発生から10年を機に、岩手県釜石市と陸前高田市の被災者らとオンラインで交流した。
(釜石)
天皇陛下は、津波で家族4人を亡くした釜石市の鈴木堅一さん(77)に「ご家族を亡くされ、お悔やみ申し上げます。本当に大変な思いをされたのではないですか」などと話した。皇后雅子さまは2013年11月に釜石市を訪れたことについて触れ、野田武則市長に対して、仮設住宅の人たちと話したことを「とても印象に残っています」と語りかけた。
(陸前高田)
陸前高田市の浅沼ミキ子さん(57)は、長男の健(たける)さん(当時25)を震災で失い、陛下から「ご長男を亡くされたことは本当に残念でしたね」と声を掛けられた。浅沼さんは津波避難の大切さを呼びかける絵本「ハナミズキのみち」を出版しており、交流後、「伝承活動はこれからだと思う。次世代につないでその子たちに託したい」と話した。

今回の交流は、被災者らから震災後10年間のそれぞれの歩みが語られ、両陛下は時折大きくうなずきながら話を聞いていた。天皇陛下は「今後も色々大変なことがあろうかと思いますが、お体にお気をつけて」とねぎらった。
両陛下は11年3月の震災発生後、岩手県、宮城県、福島県の被災3県を3巡し、被災者らと交流を重ねてきた。天皇陛下は今年2月の誕生日会見で震災について触れ、「被災された方々の力に少しでもなれるよう、被災地に永(なが)く心を寄せていきたい」と語っている。
今回は、新型コロナウイルス感染症の影響により、両陛下のお住まいの赤坂御所(東京都港区)と二つの市がオンラインでつながれた。

天皇との距離感を演出する会場で、自治体の首長から表面的な報告を受け、選ばれた者に前もって用意された言葉をかける。
選ばれた者は質問には想定内の答えをし、ねぎらいには謝意を述べる。
そもそも心得て想定内の答えをしてくれそうな者しか選ばない。

「ご訪問」が儀典になっていますね。
天皇の「国民に寄り添い、国民に心を寄せる姿」を見せる儀典です。