皇太子妃候補として押し出された時から飾り付けは始まっていたが、オリンピック開会式当日にもこんな記事が出た。
オリンピック関係の場へは全て欠席と決まった雅子さまの存在を忘れられたら困る人々や、「天皇を扶助する皇后の役目を果たしていない」と批判されることを恐れる人々が居るのだろう。
「雅子さまのとっさのブルースーツご変更は大成功」天皇陛下のお出ましに“カップルが似合う”理由
西川 恵 2021/07/23 06:10 文春オンライン
西川氏が寄稿した「文藝春秋」2019年11月号の記事を転載する。
この記事は雅子さまが皇后になった年のご祝儀記事の再掲のようです。
天皇の諸行事にはカップルが似合う
今上天皇が即位されて4カ月余。この間、天皇、皇后両陛下はトランプ米大統領夫妻を国賓で迎え、マクロン仏大統領夫妻を公式実務賓客として接遇された。8月30日には、第7回アフリカ開発会議(TICAD)のため来日中のアフリカ32カ国とアフリカ連合の首脳らを皇居・宮殿に招き、茶会を催された。雅子皇后も首脳らと言葉を交わし、質問された。その夜は明治記念館(東京・港区)での第3回野口英世アフリカ賞授賞式と記念晩餐会にご夫婦で出席された。
2019年の雅子さまは、この記事通り絶好調。
世間は「皇后になれば病気は治る」は本当だった。と呆れた。
私は晴れて皇后になった高揚感に突き動かされているのだろうと、見ていた。
またこの記事もそうだがトランプ大統領、その他の方々への皇后の接遇の無残さは映像を見れば誰の目にも明らかだったが、マスコミは国民に暗示をかけるようにひたすら礼賛報道を続けて、現在に至っている。
皇后が無残なので、無残であってもらっては困る人々が、マスコミを使って国民に催眠術をかけているのだろう。
皇室外交の観点から言えば、この4カ月余は、今月22日の「即位の礼」に向けての助走期間と言っていいだろう。この間、確認されたことが幾つかある。1つは、何と言っても雅子皇后が天皇の横で務めを果たし、存在感を示されていることだ。
助走期間を通じて確認された2つ目は、天皇の諸行事へのお出ましは、やはりカップルが似合うことだ。皇太子時代、国内、外国での諸行事や国際親善に努められた天皇は、単独でも支障なくやり遂げられてきた。
しかし令和になって皇后の体調に好転の兆しが見え、カップルで外国の賓客を迎えたり、ご一緒に地方に行かれたりすることが増えると、天皇が生き生きしているように見受けられる。皇后が関係者と熱心に話される脇で温かく見守られている様子にも、皇后と責務を分かち合っている喜びが感じられる。天皇は雅子皇后とカップルで公務を務められることが本当に嬉しいのだな、と思う。1プラス1が3にも4にもなると改めて実感されているかもしれない。
オリンピック開会式に欠席した皇后を前へ押し出すために再掲したのでしょうね。
しかし、この記事とは裏腹に開会式では皇后が隣に居なくても天皇は天皇らしさを発揮されていました。
むしろ常に気をとられる妻が傍らにいないほうが目の前の仕事に打ち込めるということもあるのではないでしょうか。
雅子さま「とっさのご決断」でブルーのスーツに
まだ皇太子と雅子妃だった天皇と皇后が99年12月、ベルギーのフィリップ皇太子とマチルドさんの結婚式に列席された時のことだ。
「当初、(雅子妃の)お召しのスーツは深紅のものを予定されていた。ところが実際に教会に到着されたときは、目の覚めるようなブルーのスーツに変わっていた。それは、雅子妃のとっさのご判断であったことを後から知った。式場に行かれる前、妃殿下はテレビに映し出されていた教会の模様を御覧になっていて、式場に深紅の絨毯が敷き詰められていることを御覧になった。同色のスーツではと思われた妃殿下は即座に鮮やかなブルーのスーツに変えられることを決断された。このご決断は大成功で、教会に御到着時からテレビに大写しになった両殿下は、深紅の絨毯、黒のモーニング姿の殿下、妃殿下のロイヤルブルーのスーツで一際冴えた印象を与えたのであった」(「文藝春秋」2002年1月号)
出来事の3年後の2002年、「文藝春秋」はこんな提灯記事を書いていたのですね。
1999年12月のこの出来事。イギリス王室の色とされるロイヤルブルーのスーツを結婚式で着た雅子さまの非常識を当時の週刊誌は批判したのだが。
最後列にいらっしゃいます。
雅子さまの自信に溢れたご機嫌な表情と、相手に対する憧れを隠そうとしない眼が印象的です。
2013年4月30日オランダ、アレキサンダー新国王即位式。
この時はもうドレスがシワシワでも、どうでもよくなった雅子さま。
最前列に場所を与えられたのは、オランダ側の高尚な嫌がらせ術かと思った。
最高に遇すると見せかけて天下に恥をさらさせるという。
ちなみに集合写真中央の王妃がお召しのブルーはロイヤルブルーではない。
ブルーにも色々な色があります。
初めに虚飾を纏わせて押し出した皇太子妃だから、虚飾に虚飾を重ねるしかなくなったのでしょう。
私は雅子さまに密かに「虚飾の皇后」という二つ名を奉っているのだが、いい加減ありのままの雅子さまが報じられても良いのではないかと思っている。
等身大の雅子さまにも人間的な美点や魅力があるだろう。人間ですから。