宮内庁から悠仁殿下の筑波大付属高校への進学が正式発表されたのを受け、週刊誌は学習院と筑波大付属高校の反応を記事にしている。
日刊ゲンダイは
悠仁さまの高校からの入学は大正解! OBが語る「筑波大付属」の厳しい現実2022/02/19皇室と筑波大付属の「深い縁」 悠仁さまが高校にご進学される“納得の理由”2022/02/19 06:00
😐 どちらも書き手はジャーナリストの田中幾太郎である。
1958年、東京生まれ。「週刊現代」記者を経てフリー。教育・医療問題や企業経営などについて月刊誌や日刊ゲンダイで執筆。著書に「慶應幼稚舎の秘密」(ベスト新書)、 「慶應三田会の人脈と実力」(宝島新書)「三菱財閥 最強の秘密」(同)など。
筑波大付属高校へ小学校から内部進学するコースは、小学校から中学校へ進学できるのは約8割、中学校から高校へ進学できるのも約8割。小学校入学組の約6割しか内部進学で高校まで行けないという。せっかく筑波付属小学校へ入学しても悲しい現実をつきつけられる子供や親が4割ほど居るシビアな世界のようです。
OBが「高校からで良かった」というのは、そのあたりのことを言っている。
確かに内部進学する同級生を横目にお引き取りを願われる小学生、中学生は辛い。去って行く同級性を見る眼とはどんなものだろうか、と思う。子供は残酷だから「落ちこぼれ」と嗤うのでしょうか。
悠仁さまは、当初は中学校から筑付へ行かれる予定だったようですが、もし、中学校から進学されていたら、どのような眼を持たれていたのか、と思う。
日刊ゲンダイが書く皇室と筑付の接点。
美智子さまの実父で、悠仁さまの曽祖父にあたる元日清製粉会長の正田英三郎氏は小学校から旧制中学(現中学・高校)まで筑付の前身の東京高等師範学校付属に通い、大学は東京商科大(現一橋大)に進んだ。「悠仁さまの父・秋篠宮(文仁)さまは特に、正田英三郎氏の従弟で東大農学部教授だった正田陽一氏(16年89歳で没)と懇意にしていた。陽一氏の専門は家畜の遺伝。秋篠宮さまは家禽類の研究をしていて、分野が重なっていたので、地方や海外などにも一緒に調査に出かける機会がたびたびあったのです。そこで正田英三郎氏の話題に及ぶことがあって、秋篠宮さまの中で、悠仁さまの進路のひとつとして筑付が強くイメージされるようになったようです」秋篠宮さまと正田陽一氏が沖縄県に在来家畜の調査に訪れた際は、家族も同行。その中に小学校1年の悠仁さまも含まれていた。やんちゃ盛りの悠仁さまは「沖縄こどもの国」でヤギや琉球犬の背中に乗り、大はしゃぎだったという。皇室と筑付の接点を考える時、もうひとつ忘れてはならないのが正田英三郎氏と同級生だった美濃部亮吉・元都知事の存在だ。亮吉氏の父は「天皇機関説」を唱えた法学者で貴族院議員の美濃部達吉氏。日本が軍事色一色に染まる1935年(昭和10年)、天皇機関説事件が勃発。達吉氏は激しい攻撃を受け、議員辞職に追い込まれた。「統治権は法人である国家に属す」という天皇機関説を支持していた昭和天皇は、同事件を激しく非難したという。<中略>その息子の亮吉氏が正田英三郎氏と筑付の前身校の同級生だったという事実も、皇室との強い縁を感じさせる。親友だった2人は雪が降った日、校庭一面に教師の似顔絵を描くといったいたずらもした。雪が溶けてくると、その似顔絵が浮かび上がる仕掛けをして、教師からこっぴどく叱られたという。
😐 秋篠宮殿下は小学生のころの眞子さん佳子さまがいつも人の眼に晒されているのを可哀想に思われて、東大演習林の管理人宿舎に滞在されたことがある。
秋篠宮殿下は美智子さまの御実家である正田家の人々を通じて筑付や東大にシンパシーを抱いていらっしゃったのではないでしょうか。加えて紀子さまの父川嶋辰彦氏も東大出身です。
悠仁殿下を東大へ、という方針は早い段階に定められ、具体的なルートを描いた者がいて、その者は小室のルートを描いた者と同一人物。と、私は見ていますが?
筑付。東大出身の方々と交流し、東大の広大な自然林で夏を過ごし、東大キャンパスへ研究員として通い、、学習院卒の秋篠宮殿下には隣の芝生は瑞々しく青く見えたのかも?世界は広い、学問の世界は広い、、Escape from Gakushuin。その先にあるものは、未だ誰にも解らない。

😇 女性セブンは正田家と筑付の因縁を書いて、筑付進学は美智子さまをお手本とする紀子さまのお考え、と上皇后へさり気なくヨイショ。

😇 週刊女性は進学先とならなかった学習院の嘆きを書いて…。


😈 デイリー新潮は「筑波大付属高校なんて、全然たいしたことないんだよー」と書く。
悠仁さまが合格された「筑波大学附属高」の実相 減った東大合格者数と負のスパイラル
2022年02月18日
<抜粋>
筑附の設立は1888年。これは明治21年にあたる。官立高等師範学校に附属する尋常中学科というのが前身だ。東京帝大の法学部長や最高裁判事を歴任し「日本家族法の父」と呼ばれた穂積重遠(1883~1951)。『「いき」の構造』(講談社学術文庫など)で知られる哲学者で京都帝大教授の九鬼周造(1888~1941)。『ブッダの生涯』(岩波現代文庫)の著者で、インド哲学者、仏教学者、比較思想学者、東大名誉教授の中村元(1912〜1999)。政界や官界と同じく、学界もきりがない。
<中略>ベスト5は、【1】開成(144人)、【2】灘(97人)、【3】筑波大附属駒場(89人)、【4】麻布(86人)、【5】聖光学院(79人)となっている。女子校のトップは桜蔭の71人で、総合7位。都立高のトップは日比谷の63人で、総合9位だった。一方、筑附はベスト20にも入っていなかった。合格者29人で総合23位だ。筑附の内情に詳しい関係者は、「筑附が本当の意味でエリート校だったのは70年代までです」と指摘する。「筑附のモットーは『自主、自律、自由』です。それが素晴らしいことは間違いありません。また、知的レベルが高い良質で教養主義的な授業が行われているのも事実です。ところが、ライバル校の中には東大合格者を増やすことを最優先とし、徹底的な詰め込み教育を行うところも珍しくありません。そうした学校に、筑附は太刀打ちできなくなっているのです」「かつては優秀な生徒ばかりでしたから、学校側が放任主義でも、彼らは勝手に勉強して東大に合格していました。ところが東大合格者が減って他校に優秀な生徒を取られてしまうと、自由な校風が仇になり、勉強しない生徒が増えてしまったのです。そうすると東大合格者ランキングは更に下がり、優秀な生徒も更に筑附に来なくなるという悪循環に陥ってしまったのです」「筑附自体の問題もあります。そもそも東大合格者数を積極的に増やすべきか、という地点から議論を始めなければなりません。国立の高校が東大合格者を血眼になって増やす必要はない、という考えもあります。自由な校風に憧れる保護者や生徒も依然として少なくないでしょうが、現実的には受験対策で手厚いサポートを行ってくれる私立高のほうが安心だという声もあります。このままでは筑附の“地盤沈下”は更に進んでもおかしくないのです」
😐 悩ましい問題ですね。受験予備校化するか、理想教育実験校で行くのか。
受験予備校化を良しとしない人々には、将来の天皇の入学は名門校としての新たなステータスを作り上げるチャンスとなるかもしれませんね。
眞子さんは御自分が皇族である意義を見いだせなかったようですが、悠仁殿下には御自分が将来の天皇である意義を是非とも見出していただきたいです。

😐 2月13日。筑波大付属高校正門前で待つカメラマンたち。
御自分が将来の天皇である意義を見出されたら、カメラマン達を見る眼も大らかになられるでしょう。
某英国の皇太子のように、「ちっ!どこまでもうるさいやつらだ。」と舌打ちされることなく、義理の伯母様のように「我を咎める眼か」と怖れることなく、曾祖父天皇のように、ただゆったりと大らかに対峙される悠仁殿下の姿を拝見できますように・・。