「爵位」は、皇族家族令(明治17年、1884年7月に施行)において制定され、制定された「爵位」としては、5段階の公・侯・伯・子・男があった。
香淳皇后 父 皇族久邇宮邦彦王
母 邦彦王妃 俔子 (父:従一位公爵島津忠義)
秩父宮妃勢津子 父 実父松平恒雄(松平容保6男)
母 松平信子(父:従一位侯爵鍋島直大)
養父 正三位子爵松平保男(松平容保7男、松平恒雄異母弟)
*皇族家族令では皇族の妃は皇族、または華族と規定があった。
高松宮喜久子 父 正三位公爵徳川慶久(従一位公爵徳川慶喜7男)
母 徳川 實枝子 (父 有栖川宮 威仁親王 )
三笠宮百合子 父 従四位子爵高木正得(父 従五位下子爵高木正善)
母 高木邦子(父 正二位子爵入江為守)
比べてみると、三笠宮百合子さまご実家が香淳皇后、勢津子さま、喜久子さまご実家より一段落ちで家格が低いことがわかる。
勢津子さまの養父となった松平保男も百合子さまの父高木正得も子爵だが官位が違う。
松平の会津藩は28万石、高木の河内丹南藩は1万石。
ご結婚は昭和16年1941年10月太平洋戦争開戦の直前、爵位の制度は生きている。
百合子さまの父方は格別のことはないが、百合子さま母方はなかなかなものです。
母方の祖父入江為守
1868-1936 明治-昭和時代前期の官僚,歌人。
京都に冷泉為理の四男として生まれ後に入江為福の養子となる。母は柳原隆光の娘・よし。妻は柳原前光の娘・信子。
慶応4年4月20日生まれ。冷泉為理(れいぜい-ためすけ)の3男。入江相政(すけまさ)の父。明治30年貴族院議員。のち東宮侍従長,侍従次長をへて昭和2年皇太后宮大夫。この間大正4年から御歌所所長をかね,「明治天皇御集」「昭憲皇太后御集」編集事業を完成させた。昭和11年3月19日死去。69歳。京都出身
入江為守から見ると、母の実家、柳原家から母の姪を妻にした。ということですね。
為守の母の実家、柳原家は公家の家格は「名家」(めいか)、最下位の「半家」(はんか)の上とされるが家格としては大したことはない。
が、このころの柳原家には日が当たっていた。
明治天皇の側室となった柳原隆光の孫で前光の妹愛子(なるこ)が大正天皇の生母となっていたからです。
愛子(なるこ)によって栄光を得た柳原家。
百合子さまは母方が柳原家につながるということ、つまり大正天皇と血でつながっているということで、家格は低いが宮妃に選ばれたのか。
彬子さまが大正天皇に格別の思いを抱いていらっしゃるのも解るような気がします。
常陸宮妃華子 父 伯爵津軽義孝
母 久子(父 子爵毛利元雄)
高円宮久子 父 鳥取滋治郎 (鳥取家は素封家だが爵位はない)
母 二三子(父 友田二郎 長女)
妻 盛子 (父 子爵曾我 祐邦 二女)
妻 晃子 (父 男爵松園尚嘉 二女
養父 公爵鷹司 煕通 )
*久子さまの実家鳥取家は地方の素封家だが爵位はない。
*久子さまの母の実家友田家は地方の素封家だが爵位はない。
*曽我家は柳河藩士。軍功等により明治17年爵位制定と時を同じくして子爵を拝受。明治の新出来華族。注目すべきは大正天皇の教育主任だったことだろう。なんとはなしに九条、鷹司の思惑が?
*友田二郎 外務省外交官 宮内庁式部官
*久子さまの実家を鳥取家を「外交官」と認識しているひともいるが、鳥取滋治郎の肩書は東邦物産の専務、フランス三井物産の社長、東海観光会長である。母方の祖父友田二郎と混同したのか、滋治郎の妻、二三子(久子 母)が、フランス語婦人会(ALF)で事務局長、会長、特別顧問を歴任したのでそのように言っているのか。
はたまた、「久子さまの出自は九条家」と同様に母の実家友田家を久子さまの実家と見做しているのか。
松園尚嘉
1840-1903 明治時代の華族。
天保(てんぽう)11年4月8日生まれ。九条尚忠(ひさただ)の次男。英照皇太后の弟。嘉永(かえい)4年出家し,興福寺事務職,薬師寺別当などをつとめる。慶応4年僧籍をはなれ,春日(かすが)神社神職などをへて京都御所殿掌となった。男爵。明治36年6月30日死去。64歳。京都出身。
天保(てんぽう)11年4月8日生まれ。九条尚忠(ひさただ)の次男。英照皇太后の弟。嘉永(かえい)4年出家し,興福寺事務職,薬師寺別当などをつとめる。慶応4年僧籍をはなれ,春日(かすが)神社神職などをへて京都御所殿掌となった。男爵。明治36年6月30日死去。64歳。京都出身。
久子さまが九条家のご出身とか、貞明皇后の御血筋、明治天皇の縁戚、とか言われるのはこのような事情からですが…。
母の母の母が松園尚嘉 の二女。九条尚忠の次男が還俗して立てた松園の娘晃子(てるこ)が曾我 祐邦 に嫁ぐのに鷹司 煕通の養女になっているところをみると、松園の家格は低かったのでしょう。
九条尚忠の次男松園尚嘉の娘が曽我家へ嫁ぎ、曽我家の娘が友田家へ嫁ぎ、そして久子さまが生まれた。
これでも久子さまの出自は九条家と言えるのかどうか。
一般的には言わない。
松園尚嘉の姉は孝明天皇の妃でしたが、明治天皇の生母ではない。久子さまと明治天皇を結びつけるには遠すぎる。
貞明皇后は松園尚嘉の兄で九条尚忠の長男道孝の四女。遠いなあ。
「貞明さまは、母の母の母の父の兄の子供なんですよ。」
「まあ、それはそれは。お母さまのお母さまのお母さまと言えば曾祖母さまですね。曾祖母さまからはずっとご養子をとられてきたのですか?」
「いえ、曾祖母は他家に嫁ぎまして祖母を生み、祖母も他家に嫁ぎまして母を生み、母も他家に嫁いで私を生みましたの。」
「・・・(なんだかよくわからないけれど、自慢していることだけは確かね。)」
久子さまは出自に頼らなくても、実力だけで十分にやっていけるかただし、久子さまを応援するひとは、その実力にほれ込んでいるひとも多い。
三笠宮百合子さまも高円宮久子さまも、出自は母方によって貴しです。
久子さまと九条家を結びつけて語る人々の中には、女系天皇派も紛れ込んでいるのか、とふと思う。
それにしても懐かしい方々のお写真でございますね。
ランク付けを見ていると、美智子様の場合、一企業の社長令嬢だけでは、身分違い過ぎて、天地をひっくり返す位の騒ぎだった事でしょう。高松宮妃は、意地悪そうだから、美智子様を、徹底的にイジメた感じです。
皇族・華族というのは、本妻さんから生まれるのは少ないのでしょうか?皆さんの内訳を知りたいです。劣り腹でも構わない世界なんでしょうね。
昭和天皇のお母様も、確かそうでしたよね。
こんばんは
久子妃の天皇家とのつながりに似た話が、落語にありませんでしたっけ?途中で脳のパルスがこんがらかります。
確かに久子妃は実力がおありなんでしょうが、才子才に溺れる的危うさもありそうです。
ヨルダンでは一週間もなにをしていたのかと思ったら、廃太子になった王子と某宗教団体がらみの協会だかなんだかのための面談をしてたとか、なんとか。
この王子の代わりに皇太子になった人の結婚式に行ったのに、面談していいのかどうか。某宗教団体はフランスではカルト扱いで、たしか入信は違法のはず。
国際級綱渡りをしてるようにみえます。
皇統に関しても危ない綱渡りに手をかしそうです。
こんばんは。
懐かしい写真。
天皇陛下、皇后陛下、殿下も妃殿下も輝いていらしたあのころ、懐かしいですね。
昭和天皇がびしっと締めていらっしゃるので、殿下も妃殿下も安心してご活動されている、、そんな風に見ていました。
「今は天皇が家長として皇族にどうこう言える時代ではないから」
と言われますが、家長でなくグループのリーダーとして言えることはないのかって思いますね。
何のために皇族より上のTOPとして天皇位がさだめられているのでしょうね。
白文鳥さん
こんばんは。
美智子さまは両親ともに平民の純平民。
皇族妃は皇族か華族、というしきたりの中で生きて来られた方々には、純平民の美智子さまは別世界のひと。
それでも決まったものは仕方がない、こちら側の世界で生きていただこうと指導しても美智子さまはいうことを聞かない。何かというと皇太子によよと泣きついて、皇太子同道で文句を言いに来る。
というようなことが、入江相政日記に書いてありましたね。笑。
いじめと指導は紙一重。高松宮妃殿下は香淳皇后と美智子さまの仲が険悪なので、親切心からきつーく指導しただけのおつもりだったかもね。
劣り腹かどうか、見分けるのは難しいのですよね。劣り腹でも正妻の実子にしてしまうこともあるし。
また、男性と女性でも違いがあります。
側室、妾の男子が相続できるのは、本妻に男子が無かった場合に限られています。(皇族親族令)
たとえば、東久邇宮では成子さんがなくなったあと後妻を迎えて子供も誕生していますが、その子たちは東久邇の名を名乗らせず相続からも外しています。旧皇族令が失効しても、側室ではなく後妻でも扱いは旧皇族令を踏襲したものでした。
女性の場合は嫁いで家を出る身ですし、迎えるほうも腹は借り物だから、特に問題は無かったのでは?
庶子でも〇〇家の娘。には違いないですから。
太公望さん
こんばんは。
ヨルダンで何していたのかと思ったら、そんなことしてたの?
でも、その話、出所はどこですか?
久子さまは利に敏いし賢いから、損になるようなところへ近づかないような気がするのですが?
皇統に関しても、まずは外堀を埋めてから?
お返事ありがとうございます。
私は「みんなにみせちゃおう※掲示板」(ここの入室番号は「えありす万華鏡」というブログにあります)で日本ヨルダン友好協会設立の記事を見ました。そこに創価学会サイトからの写真と記事があり、設立に前王太子のハッサン王子と高円宮久子妃がかかわっているのを知りました。設立の記念集合写真には久子妃も承子女王、そしてハッサン王子も入っています。またハッサン王子と学会の有力者が仲良さそうに並んだ写真も。
どの程度の親交かわかりませんが、けっこう危険な関わりであり写真だと思いましたので、貴ブログにコメントした次第です。
私個人が知りえようもないことを安易に投稿してしまい失礼しました。
以後気をつけます。
お返事ありがとうございます。
その写真というのは
https://www.jordantimes.com/news/local/prince-hassan-presides-over-launch-jordanian-japanese-friendship-association
もしや、これではありませんでしょうか。
この中に創価学会の関係者がいるのですか?
まあ、いても不思議はないですが。
ヨルダンジャーナル
Prince Hassan presides over launch of Jordanian-Japanese Friendship Association
ハッサン王子がヨルダン日本友好協会設立を主宰
なんだか怪しげな協会ですね。
日本にも元宮様が怪しげな会に利用されていることは珍しくないですがこれもそのようなものかしら。
創価学会の記事も見つけました。
https://www.sokagakkai.jp/info/2221746.html
このハッサン王子は廃太子になったかたとは別人のようです。
廃太子になった前皇太子はハムザ王子で、ハッサン王子とは似ても似つかぬ美男子です。笑。
https://www.bbc.com/japanese/56645790
ハッサン王子の経歴は見つけられませんでしたが、たくさんいる王族の一人なのでしょう。
学会新聞の記事の様子では、ハッサン王子と学会は深い関係というほどでもなく、学会の箔付に会っていただいたような雰囲気を感じるのですが、どうかな?
会っていただくにはタダというわけにはいかず手土産をたんまり渡したのではないでしょうか。王子のほうも心得て、池田先生云々はおべんちゃらそのものですね。
もっとも、実際に王子がそういったかどうかはわかりませんよ~。
ハザム王子はフセイン皇太子の前に皇太子だった方。=アブドゥーラ2世の弟です。
2代続けてなぜか弟を皇太子にしていて後に廃しているようです。
秋篠宮様が天皇家の弟であり、ヨルダンみたいに廃することもあるよ!という脅しで高円宮妃を派遣したのかしら?と勘繰ってしまいます。
如意さん、記事に関係無いコメントですみません。
お手数かけてしまって。
如意さんの検索力にも脱帽です。
ハザム前皇太子、美形ですね。
こんばんは。
ハッサン王子とハムザ王子を混同していたのは、私でした。恥。
太公望さん
こんばんは。
件の掲示板、私の中ではアヤシイ認定なので、そこの情報ならまず確かめて、と。確かめてみて良かったです。
おかげで新しい知識を得ることができたし、間違った思い込みを正すことができました。私のほうこそ、お礼をいいたいです。ありがとうございます!
ハッサン王子、たくさんいる王子の一人でなく、王族の中でも重要なかただったのですね。
いやん、恥ずかしい。