憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

これが”美談”の令和流・・御一家大人三人で『初繭掻き』

2022-06-17 18:05:20 | 雅子さま
皇室の劣化が止まらない。天皇自ら崩れ落ちて行く。
誰も止めないのか。

いったんは11日、皇后お一人でされたかのように報じられた『初繭掻き』

だが、実際には1日の『御給桑』『上蔟』と同じく、『初繭掻き』も御一家三人でされたと16日に発表された。
何故今になって「三人で行った」と発表するのか?理解に苦しむ。

*週刊誌が嗅ぎつけて記事にしようとしている?
*今後も養蚕行事は三人になりそうなので、今から国民に「それが当たり前」と思わせるため?
 →天皇が養蚕行事に顔を出すことに国民を馴らしてから、天皇の行事に移行?

令和の皇室では伝統破壊が止まりません。



皇后さまの養蚕 再び天皇陛下と愛子さまも一緒に作業
6/16(木) 17:59配信

皇后さまは、今月11日、皇居にある紅葉山御養蚕所で今年初めて繭を収穫する「初繭掻き」の作業にのぞみ、その時の映像が宮内庁から公開されています。 

側近によりますと、この日、「初繭掻き」の後、天皇陛下と愛子さまが合流し、繭の収穫に加えて「毛羽取り」や「繭切り」の作業を一緒にされたということです。 

皇后さまのこの日の作業は、腰に違和感があるとして一度延期されていたもので、腰の具合は完全には良くなっていなかったということです。 
 8日にするはずだったが11日に延期。
   8日午後、雅子皇后は天皇と共に入省同期で小和田氏とも旧知の岡野外務省総合外交政策局長と面会歓談している

陛下が合流されたことについて側近は、「陛下として、ご家族としてお支えになさりたい気持ちと、とても仲が良いご家族なので、 お三方の作業をお楽しみになりたい気持ちもあると思う」と話しています。 

皇后さまは先月の作業の際も体調が整わず、翌日に天皇陛下や長女の愛子さまと一緒に蚕に桑の葉を与える「御給桑」などをされていました。

はて?「腰の違和感、体調不良で延期」までは解るが、延期された行事を行うのに天皇と愛子さまが一緒に出て来る理由にはならないでしょう。
天皇が三人で楽しみたいとくっついて来たのなら、天皇の認識不足は批判されるべきで、美談にするべきことではない。
三人揃ってするのが令和流という信念があるのなら、はじめからそのように報道するべきでしょう。
ご給桑は雅子さまの映像すら無かったが、今回の初繭掻きも三人で楽しまれている映像は無い。
なーんかコソコソしている感じがいやですわね。
実際には、嫌がる雅子さまを天皇がなだめすかして連れて行ったのではないですか?

中央アジアから始まった養蚕の歴史は5000年。天皇の歴史は2000年。
養蚕の始まりは各国で神話、伝説となっているが日本でも養蚕の始まりは天皇の始まりと同じく神話です。
一時途絶えていた神代に遡る”皇后の養蚕”を明治の昭憲皇太后が復活させて以来皇居の養蚕は代々の皇后が担って来られた。
日本の織物の歴史、繊維産業の歴史は省きますが、「皇后の養蚕」の背景には長い歴史が積み重なっている。
令和の皇后には、そのような日本の国の成り立ちや養蚕の歴史はどうでも良いことなのだろう、と思わせるような出来事が続いている。


モスラーヤ モスラ

令和の皇室、伝統破壊が止まりません。
その中心にいるのは雅子皇后。。
雅子さまが育てた繭の中から何が飛び出すのでしょうか。

怖いですねー怖いですねー。

皇室ってホントーに面白いですね!
またお会いしましょう!



16日 香淳皇后例祭

2022-06-17 10:13:11 | 雅子さま

比較的お若い頃(50代前半?)の写真かと思われるが、
指の先まで匂い立つような気品と観音菩薩のような微笑みが素晴らしい。

何時もながら「歯が~」という声が上がりそうですが、歯は当時の歯科治療ではこれが限界だったのでしょう。
少々難のある歯も全体の雰囲気を壊すものでは無い。

以降二代の皇后はこのように気高くしかしこちらを包み込むように微笑まれたことはない。


最晩年の香淳皇后。
認知症になられても気品は保っていらっしゃいます。

😐 報道は朝日新聞デジタルしか見つけられませんでした。
写真は無し。

香淳皇后の命日、皇族方参列
2022年6月17日 5時00分
2000年に逝去した香淳皇后の命日にあたる16日、皇居・皇霊殿で「香淳皇后例祭の儀」があり、天皇陛下のほか、秋篠宮ご夫妻をはじめとする皇族方が参列した。東京都八王子市にある香淳皇后の武蔵野東陵でも例祭が行われた。

ご逝去されてから22年の命日は特別なことが無ければこのくらいの報道で、武蔵野東陵例祭に臨まれた佳子さまの映像も無いのかと寂しい。
20年は式年祭で雅子皇后が17年振りにお出まし。
21年は小室報道が過熱する中、眞子さまが武蔵野東陵へお出まし。
と、あって報道も多数出たのでしょう。

>天皇陛下のほか、秋篠宮ご夫妻

皇后は?確認してみました。

産経新聞 
両陛下ご動静(16日)
【午前】
陛下 香淳皇后例祭の儀(皇居・皇霊殿)
皇后さま 香淳皇后例祭の儀に当たりご遙拝・お慎み(御所) 

予想通り、御出席ではありませんでした。愛子さまもご参列ではありませんでしょう。

皇室祭祀令に拠れば、
先帝際 毎年崩御日に相当する日
先帝以前三帝の式年祭、崩御日に相当する日
先后の式年祭、崩御日に相当する日
は、天皇が自ら祭典を行う大祭とされています。

平成の天皇が特例法をもって生前退位して御存命なので、令和では昭和天皇を先帝、昭和天皇の皇后であった香淳皇后を先后として祭礼を行うのでしょう。
雅子さまは「本来の先后は美智子さま、美智子さまが先后になったら出るわ~」?笑。

そうか!あの”公務”はデートだったのか・・『女性自身』

2022-06-16 12:18:48 | 天皇
😇 皇太子皇太子妃時代から雅子さまが公務に同行されると今上は非常に嬉しそうだったと聞く。それを証明する映像も数多く残されている。
皇太子時代から天皇になられた今も、一人公務と雅子さまが同行のそれでは今上の表情がまったく違っていらっしゃいます。


親子二代、御二人でのお出ましは公開デート、と示唆するような写真を『女性自身』が掲載している。

『女性自身』28日号



この画面構成。
御二人揃って行動したがるのは「デート気分」の皮肉?


美智子さまの女っぽい仕草は健在です。
フン!の信子さま。シナ~の美智子さま。(^^)


雅子さまのポワーンとした「心、ここにあらず」のようなお目が気になります。
今上はひたすら嬉しげ。このかた「家族が全て」を隠そうとしない正直さが魅力、なのかしらね。

こちらは正真正銘の夫婦デート。



カメラにガンを飛ばす小室。反社との関係を噂されるご母堂の御顔を反射的に思い浮かべてしまいます。

眞子さんに白髪が増えたと報じるが・・。



その小室夫妻は悠仁殿下が大学を卒業するまで7年間は帰国しない。と予測しているがそうかもしれない。
7年間の間に「いろいろあったけれど、まあ、許容範囲だね。」となるように、二人には頑張って欲しいものです。ハードルは高いですが。


紀子さまが悠仁殿下ファーストになるのは当然です。
それを当然と受け止められないのは「天皇」というものを軽々しく考えているからでしょう。
失礼ながら、悠仁殿下ファーストになった紀子さまを受け入れられなかった眞子さんは頭が悪い。ただし頭が悪いのは生まれつきによるものですから本人の責任ではありません。
馬鹿でもAHOでも我が子は可愛い。紀子さまも皇嗣殿下も非情なかたでは無い。親としての情が小室夫妻への出来るだけの支援を続けさせるのでしょうが…。
長い目で見れば、小室夫妻への国民が納得できないような支援は止めたほうが良いと思う。

6月14日の兄と弟

2022-06-15 23:57:15 | 公務
 今上陛下
6月6日に公表された今週の御予定では、天皇御一家の予定は何も書かれていませんでしたが今上と雅子さまは予定に無い動きをされた。
今上と雅子さまが予定に無い動きをされたり、予定にあっても予定通りに動かれないことは今に始まったことでは無いので、御夫妻の神出鬼没に私は驚かないが「またか」と呆れつつ少々ウンザリする。

<病気の時は病気でいるがよろしい>・・道元禅師の言葉と聞くが、深く澄み切った境地を伝える。
還暦にもなられるのだから、そろそろ病気を受け入れて静かにお暮らしになることを考えられたら、と思うのだが、相も変わらず綻びを繕い繕いの御日常。
見奉るほうも辛い。

国立公文書館へのご到着は午後6時ごろ。
先日(5月26日)の「琉球」展のお出まし時には、見学後に外食したという噂が出ているが、昨日はどうだったのでしょう。
実際には真っ直ぐ御所へお帰りになったのでしょうが、「出たついでに高級外食を楽しんだ」という噂が真実らしく聞こえてしまうところが雅子さまらしい。





😇 見学にはご説明係がすぐ傍に付くので、このような御二人だけの写真は、求められて取る撮影用のポーズだろうとおもったが、動画を見るとそうでもない。
ケースの展示物を見るのにこの姿勢は不自然だと見たが、展示物を見る一連の動きの一瞬のようです。陛下はこの後ケースに近寄ってのぞき込んでいらっしゃっいました。

入り口で手にしていたクラッチバッグを展示室では持っていない。などとまた噂されるのでしょうね。
でも、何故展示室にバッグを持って入らないのか、不思議と言えば不思議です。

両陛下、返還協定原本など見学 公文書館の沖縄展
6/14(火) 18:35配信 時事通信
天皇、皇后両陛下は14日、東京都千代田区の国立公文書館を訪れ、沖縄復帰50周年記念特別展「公文書でたどる沖縄の日本復帰」を見学された。    

特別展では、戦後の沖縄の歩みなどを公文書を通じて紹介している。  

両陛下は日本復帰を実現した佐藤栄作首相(当時)の日記や、1972年に公布された沖縄返還協定の原本などを見て回った。 

😐 「見学された」と書いたのなら「見て回られた」と書いて欲しいが、まあ、いいです。最近、陛下、殿下に対して敬語を使わない例が増えています。
天皇皇族に敬意を持たない人が確実に増えて来ているように感じるが良いのでしょうか。

国立公文書館は皇居御所とは目と鼻の先のところにあります。



天皇皇后両陛下「公文書でたどる沖縄の日本復帰」を鑑賞


弟 皇嗣殿下

秋篠宮さま、日本水大賞表彰式ご臨席
 2022/06/14 16:47  産経新聞
秋篠宮さまは14日、東京都江東区の日本科学未来館で、水循環の健全化に関わる活動を顕彰する「日本水大賞」の表彰式に臨席された。式は新型コロナウイルス禍で昨年と一昨年は行われず、3年ぶりの開催。

大賞に選ばれたのは、医師の中村哲氏(故人)が現地代表を務め、アフガニスタンで用水路などを建設した「ペシャワール会/PMS(平和医療団・日本)」。秋篠宮さまはお言葉で活動をたたえ、賞を契機に「多くの人々がそれぞれの地域で水を守り、水について考える活動を実践していかれること」を願われた。

その後の受賞者らとの懇談で、秋篠宮さまはペシャワール会の関係者に「今は現地での活動は」などとご質問。乾燥地域などで、水分の蒸発による塩害を抑制するシステムを考案した高校生らには「非常に有効に活用できるものだと思いました」と声をかけられた。



「日本水大賞」表彰式に秋篠宮さま アフガン支援活動を慰労(2022年6月14日)

😐 皇嗣殿下の御言葉が賞をうけたそれぞれの活動内容をよく理解され、活動の問題を御自分の問題のように考えられての御言葉だと聞こえてしまい、同じ水に関する言葉でも今上の言葉は空疎に聞こえてしまうのは何故だろうか。
陛下、殿下の御心の内など実際には解らないのに…。
人柄?日頃の言動?私の思い込み?


ひげの殿下 VS Prof.小田部

2022-06-14 21:42:05 | 三笠宮
女性自身が6月1日に小学館から発売された『ひげの殿下日記』を取り上げて記事にしている。

ひげの殿下日記 ~The Diary of the Bearded Prince~
寛仁親王著 彬子女王監修 単行本4400円 Kindle版3940円

😐 表紙の1980は、何でしょう? 右下の図形にも意味があるのか?
思わせぶりにウィンクされたような気分。

「女系天皇出現なら皇室は危機に」日記発売で波紋広げる“異色皇族”の予言
記事投稿日:2022/06/14 06:00 女性自身編集部
<抜粋>
「寬仁さまは会長を務めていた福祉団体『柏朋会』の会報にエッセイを執筆されていました。その内容は障害者福祉から、お嬢さまたちの育児、宮家職員との交流まで多岐にわたります。そうした寬仁さまが遺された文章をまとめたのが『ひげの殿下日記』なのです。
 
二六六五年間の世界に類を見ない我が国固有の歴史と伝統を平成の御世でいとも簡単に変更して良いのかどうかです》(’05年9月30日付)
 
「女系」を認める事は、婿殿の血族をも認める事で、長いスパンで見れば、普通の家系図とそれ程変わらなくなります。その時人々が、神話時代の神武天皇以来、連綿と続く、「万世一系」が途切れた皇統を尊重してくれるか甚だ疑問です》(’10年6月30日付)

「’05年、小泉純一郎首相(当時)の諮問機関『皇室典範に関する有識者会議』の議論により、女性・女系天皇容認論が社会的に盛り上がりを見せ始めていました。
 
寬仁さまはその動きに危惧を抱かれていたのです。ほかにも《いつの日か、「天皇」はいらないという議論に迄発展するでしょう》と、書いていらっしゃいますが、“男系を維持し続けなければ支持を失って、皇室は滅びてしまう”と、予言されていたわけです。
 
寬仁さまは、歴史上存在した一代限りの“女性天皇”については認められています。しかし多くの男系維持派は、“女性天皇誕生は女系天皇(母方にのみ天皇の血筋を引く天皇)につながる”として、支持していません。寬仁さまもご存命であれば“愛子さまを天皇に”という意見には“皇室消滅につながる可能性がある”として反対されたことでしょう」

😐皇位継承について語りたがらない天皇皇族の中で、寛仁殿下は男系維持を明確に語っていた。寛仁殿下が御存命なら、と思っても詮なきことをつい思う。

寬仁さまにお話を伺ったこともある宮内庁関係者はこう語る。
 
「寬仁さまご本人は『歴史学者の父・三笠宮も男系維持を主張しているから』と、おっしゃっていました。皇統の問題に関する皇族の“肉声”は大変貴重です。保守系の学者や政治家も“寬仁さまも男系男子による皇位継承を訴えられていた”と、いまも自分たちの主張のよりどころにしているのです」

😐 この部分は「愛子天皇派」「女系天皇容認派」を以て任ずる『女性自身』の周到なミスリードでしょう。

巷間の男系維持派は皇族の”肉声”を拠り所に男系維持を主張しているのではない。また寛仁殿下も「父が男系維持を主張しているからボクも」というだけで男系維持を主張しているわけではない。

『女性自身』は皇族寛仁親王殿下の主張も巷間の男系維持派の主張もその根拠は「誰それが言うから」という浅いものだと決めつけているところが気になった。

何故、男系維持派が主張の根拠とするところをそのように決めつけるかといえば、「愛子天皇」派「女系天皇」派がその主張の根拠とするところが、脆弱で浅いからではないでしょうか。
相手の根拠を浅く設定しておかないと「愛子天皇」論「女系天皇」論の優位性を示すことができないからではないか、と、ふと思う。

男系維持派寛仁親王の主張を利用して、「愛子天皇」「女系天皇」の旗を振るProf.小田部が自説を主張している。

「126代の今上陛下までの系図が確定したのは明治以降のことです。初代の神武天皇も女神とされる天照大神の子孫です。また系図についても、神武天皇から何代目までかは実在しなかったという学説などがあり、万世一系で男系が維持され続けてきたという論拠も崩れ始めているのです。 

*系図は明治以降に確定したとしても、女系天皇が存在しなかったことは歴史的事実です。
*始まりが神話。そのどこがいけないのか。始まりが神話の王朝、種族は歴史上腐るほど登場したが、その中で現在も続いているのは日本の天皇だけである。何故、残ったのか、それは一つには「男系維持」に拘ったからでしょう。
*アマテラスが男神か女神かは論が分れて結着はついていないようで、女神派が多いので暫定女神となっている。処女懐胎のマリアさまは出産したが、アマテラスは出産したわけではないしね。
そんなことはProf.小田部は百も承知。でも、こんなことを言って衆を惑わす。
*万世一系は一筋の川のイメージでは理解できません。一筋の川のイメージで語るから、神話が崩れたなどという。
万世一系はそのはじまりから、悠仁殿下に至るまで変わることなく。です。
勝手に「崩れた、崩れた」と喧伝しないでいただけませんでしょうか。

また私は、男系論者の一部が、愛子さまと旧宮家男系男子との結婚を、皇位継承問題の解決策として主張していることを危惧しています。男系を維持するために、愛子さまの人生を犠牲とするようなことは、国民の1人として絶対に避けるべきとも考えています」

😐 「男系維持」のためならまだしも、悠仁殿下の御子孫に皇位継承させないために、愛子さまと旧宮家男系男子との結婚を画策するのは反対です。

>愛子さまの人生を犠牲にする

どうなのでしょうね。「旧宮家男系男子と愛子さまが結婚する」=「愛子さまの人生が犠牲になる」と決めつけられるものでもないでしょうね。
愛子さまが旧宮家男系男子と結婚して幸福になられることだってあるでしょうに。
愛子さまと旧宮家男系男子の結婚に反対するのは、それでは御自分が思い描く「女系天皇」の実現が遠のくからではないですか?

宮内庁関係者は次のように語る。 
「政府有識者会議では、女性・女系天皇については答申がありませんでしたが、国民からは“愛子さまを将来の天皇陛下に”といった声も上がっているのが実情です。

😐 国民からは「天皇も皇室も要らない」「天皇制は令和で終わりで良い。」という声も上がっているのが実情です。
もちろん、男系維持、という声も上がっています。

女系天皇派は何故「男系維持」を廃したいのでしょうね。
そこが私には今以てわかりません。