この夏は“丹生”という地名に縁がある。
吉野山中へレインボーガーネット探しの旅でも“丹生”という場所を通過した。
その“丹生”にあったのが“丹生川上神社下社”。
天武天皇の時代の白鳳4年(676年)、
「人声聞えざる深山に宮柱を立て祭祀せば、天下のために甘雨を降らし霖雨を止めむ」との神託により、丹生川の川上に雨水の神を祀ったのに始まると伝えられているそうだ。
この付近で辰砂(水銀)採掘の話は聞かれない。
平安時代になり、山城の国、鴨川上流の貴船神社が祈雨止雨の神として崇敬されるようになった。それ以降、この神社は衰微して、その歴史上の場所が特定できないようである。
現在、県内にはこの神社の他に“丹生川上神社上社”と“丹生川上神社中社”が別にある。
先日のブログ“桜鮎”は“丹生川上神社中社”の近くだった。
この神社をお参りし目にとまったのが、
拝殿から本殿へ続くりっぱな屋根のついた長い階段と、
この神社の鳥居前にあったお店?のどこか不思議な看板だった。
これは一体何の御商売?
吉野山中へレインボーガーネット探しの旅でも“丹生”という場所を通過した。
その“丹生”にあったのが“丹生川上神社下社”。
天武天皇の時代の白鳳4年(676年)、
「人声聞えざる深山に宮柱を立て祭祀せば、天下のために甘雨を降らし霖雨を止めむ」との神託により、丹生川の川上に雨水の神を祀ったのに始まると伝えられているそうだ。
この付近で辰砂(水銀)採掘の話は聞かれない。
平安時代になり、山城の国、鴨川上流の貴船神社が祈雨止雨の神として崇敬されるようになった。それ以降、この神社は衰微して、その歴史上の場所が特定できないようである。
現在、県内にはこの神社の他に“丹生川上神社上社”と“丹生川上神社中社”が別にある。
先日のブログ“桜鮎”は“丹生川上神社中社”の近くだった。
この神社をお参りし目にとまったのが、
拝殿から本殿へ続くりっぱな屋根のついた長い階段と、
この神社の鳥居前にあったお店?のどこか不思議な看板だった。
これは一体何の御商売?
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