昨日(昭和の日)は談山神社の“春のけまり祭”。
親父も神社へ。
祭りのあとは宴があるので、私は親父の送迎係り。
談山神社で“けまり祭”が行われるようになったのは、以下の通りだとか。
「 . . . 本文を読む
今日の趣味の園芸は、家族総出で“苗代つくり”。
今年になって、お袋は膝がかなり痛いらしく、通院しているのだがなかなか良くならない。
それで、離れて暮らす次男が帰って来て手伝ってくれた。
農業(趣味の園芸)を維持するのも大変だ・・・
先日、味噌樽の茶室を発見したの明日香村の稲渕地区では、
“棚田”での水稲を中心とした農業が営まれていたが、傾斜地にあるため生産性が低く、耕地放棄による棚田の荒廃が広が . . . 本文を読む
四国を遍路するようになってから、
“八十八”という数字を見ると過敏に反応してしまう。
先日も曽爾へ向かう途中に“八十八”という数字の入った看板を見つけて寄り道を。
それは“平井大師山八十八ケ所”、山桜の名所だそうだ。
その解説には
“大師山(標高437m)に四国八十八ヶ所に因んだ石仏で知られる「平井大師」があります。幕末の嘉永~安政の頃(1850年頃)各地の施主によって寄進され、石工、丹波の佐吉 . . . 本文を読む
昔、子どもが小さかった頃に欲しがったモノを、飛鳥で見かけた。
そのモノは、とある大学の施設の庭にあった。
我が家を建てた時、“衝立”と“テーブル”を買いに行った。その店の門先に味噌樽で作った“茶室”があったのだ。
小さかった彼らは、その茶室に通していただき、まるで秘密基地に入った隊員のように気に入って、そこから出てこようとしなかった。
お店の人も
「そんなに気にいったんやったら、お父さんに買 . . . 本文を読む
少し前、奈良盆地の中央部あたりを車で走っていたら、
“太安万侶”の文字が目に飛び込んで来た。
反射的に車を停めて見ると、
白いテントに「太安万侶の里 野菜即売所」とある。
野菜即売所のテントの横には神社の鳥居と道標。
でも、神社の森や社はまったく見えない。
大和国中(くんなか)の集落を抜ける道は道幅が狭いので、
可能な限り違う道から神社を探すことに。
鳥居からかなり離れた場所で、やっとそれら . . . 本文を読む
山辺の道で“万葉の歌碑”の横に
「万葉集 大人の散歩道」情報サイト というプレートを見つけた。
読んでみると、万葉歌碑や観光ルートを紹介しているとのこと。
私はつい先日、長年連れ添った携帯電話を機種変更したばかり。
それは世界最薄11.4mmという最新機種だ。
でも、その使い方がさっぱり理解出来てない。
まぁ~横に“万葉の歌碑”あるんやから、
“それでも眺めてることにしょう~”と思ったんやけど・ . . . 本文を読む
先日の雨で、春の景色から“サクラ色”が流れて消えてしまった。
少し前、曽爾で素敵な“サクラ色”のポスターに出会った。
“屏風岩と山桜”
屏風岩は高さ200m、柱状節理の巨大な屏風の岩壁が、約1.5kmにおよぶ壮大な景観だ。
春、曽爾の山のあちらこちらが山桜でサクラ色だった。
この前、朝のTVにこのあたりが映っていた。
それは“市民農園 クラインガルテン曽爾”
「見晴らしのよい自然 . . . 本文を読む
冬はオシドリの観察で通う“崇神天皇陵”の近くで、菜の花畑を見つけた。
新緑の季節に黄色い花が映える。
車を道路脇に停めて近づくとその畑には看板が立てられていた。
“菜の花プロジェクト・なら”
「転作田に菜の花を植え、なたねを収穫し、搾油してなたね油に。そのなたね油は料理や学校給食に使い、搾油時に出た油かすは肥料や飼料として使う。廃食油は回収し、石けんや軽油代替燃料にリサイクルする。そして大気中に . . . 本文を読む
“奈良公園”と聞けば“鹿”をイメージする方が多いと思う。
私が奈良公園を訪れたときも鹿が寄ってきた。
“鹿せんべい”を買って与えてあげたいが“鹿せんべい”は高価であまり美味しくない。
(何度か罰ゲームで食べたことがあるが、マヨネーズをつけると案外いける。)
私はカバンからポッキーを取り出しそれを与えることにした。
きっと鹿も“鹿せんべい”より美味しいと言うに決まっている。
私は鹿にポッキーをさし出 . . . 本文を読む
先日、“荒神の里”を訪ねた。
笠山三宝荒神の解説板には
“笠山三宝荒神は九万八千八百八躰の眷属と倶に、参千年の昔より笠山の鷲ケ峯に奉祀て、七袖七谷の峯谷を神躰山として、人々は入山する事なく、千古の昔より丈余大木生い茂り三宝荒神の霊神は鷲ケ峯より大和平野を見おろし、初瀬の川より天理の布留川に至る笠山のすそ野なる、山之辺の道に散在する社寺の三宝を守る神、すなわち奥の院 として栄える。”とあった。
. . . 本文を読む
高見山の山頂まであとわずかという場所に、“揺岩(ゆるぎいわ)”という大きな岩があった。その解説板には“「多武峰 大職冠 藤原鎌足公」と 三度唱えれば揺るぎだしたと言う。”と書かれていた。
私はよく似た岩を談山神社への道で見たことがある。その岩は“不動の滝”の近くに“破(われ)不動尊”と云う大石が横たわり、側面には不動明王が彫られて祭られていた。その大石は中央から刀で切ったように割れており、1608 . . . 本文を読む
最近、いろんな“検定”がブームですよね。
新聞を読んでいるとありました・・・ご当地“奈良検定”
今日は少し紹介したいと思います。
1)聖徳太子生誕の地と伝えられ、境内にニ面石がある寺院はどれか。
ア;子島寺 イ;橘寺 ウ;長岳寺 エ;久米寺
2)薬師寺は平城遷都に伴い藤原京から移転したが、藤原京に残った寺院は何と呼ばれたか。
ア;藤原寺 イ;本元興寺 ウ;本 . . . 本文を読む
子どもたちが小さかった頃、神野山で石がゴロゴロしている不思議な地形の鍋倉渓がお気に入りでよく出かけたものだ。
そしてこの山には天狗伝説が伝わっている。
昔、神野山に大和天狗の大将である鼻高天狗が住んでいた。
ある日、日頃から仲の悪かった、東隣りの伊賀の国の青葉山に住む伊賀天狗の大将から喧嘩を挑まれた。
思案の末、神野山天狗は、谷川から運び上げた八畳敷の巨岩を頭上にさし上げて、相手方をにらみつけ . . . 本文を読む
“饅頭”の発祥の地はお隣の中国。
三国志で知られる諸葛孔明が軍を率いて蜀に帰る時、川の氾濫を鎮めるために、人間の首の代わりに、小麦粉を捏ねた中に牛や羊の肉を入れて人間の頭の形にしたものを川の神に奉ったのが、“饅頭”の原型だとされているそうです。
日本に“饅頭”を伝えたのは、中国から帰化した“林浄因”。1349年、浄因は都である京都の喧噪を避け、仏都であり商工業の座も栄える文化都市、奈良の漢六國神 . . . 本文を読む
鎧岳は、曽爾の谷にあたかも天を摩す鎧を着たような雄々しい岩山であることから名付けられたそうだ。
西行はこの山を
“葛なる鎧が岳にきてみれば そよ吹く風のくさずりの音”
と詠んでいる。(曽爾は伊勢本街道の通る村でもある。)
地質学の専門家の話では、
約1億年ぐらい前(恐竜の時代)、この地方を含む日本列島はアジア大陸の一部だった。約2500万年前、日本列島は大陸から離れ、約1700万年前には、ここ . . . 本文を読む