先日のこと、遠方からの朋と談山神社を参拝した後、多武峰中興の祖増賀上人・念誦崛(ねずき)の墓へ。
「ねずき」って漢字で書きたいのだけど、上手く出て来てくれない。
良慶百三とあった。
正面の石段を上ると増賀上人の墓。
まるで古墳!?
私が探していたお墓は、まだ見つけられない。
何処かに、我が家と同じ苗字のお墓があるはず。
「ねずき」って漢字で書きたいのだけど、上手く出て来てくれない。
どんな意味???
途中(桜井市西口)にあった神社!
途中(桜井市西口)にあった神社!
確か西口は、僅か2戸の集落。
念誦崛不動尊があるようなので降りて探したけど、見つけられず。
昔、私の親父は、家で採れた野菜や米を京都の清水寺に運んでいた。
念誦崛不動尊があるようなので降りて探したけど、見つけられず。
昔、私の親父は、家で採れた野菜や米を京都の清水寺に運んでいた。
当時の清水寺管長は、五つ子の名付け親の大西良慶さん。
その良慶さんは、元々は多武峰の生まれ。
つまり、故郷の谷で採れた野菜や米を食べてもらってた。
生まれたお寺が廃仏毀釈で無くなって、ご苦労されたと聞く。
その良慶さんが親父に、ご先祖さまのお墓参りをしたいと言い出した。
その良慶さんが親父に、ご先祖さまのお墓参りをしたいと言い出した。
(大昔、我が家と大西良慶さん家とは、多武峰寺でご近所やった?)
その時、良慶さんのお歳は百幾つ。
車で来られて、そこから先は親父が背中に背負ってお墓のある山(念誦崛)を登ったとのこと。
親父がよう頑張った写真を見たことがある。
私も念誦崛に到着!?
思ったよりもたくさんのお墓が並ぶ。
その中から大西家のお墓を探した。
車で来られて、そこから先は親父が背中に背負ってお墓のある山(念誦崛)を登ったとのこと。
親父がよう頑張った写真を見たことがある。
私も念誦崛に到着!?
思ったよりもたくさんのお墓が並ぶ。
その中から大西家のお墓を探した。
良慶百三とあった。
正面の石段を上ると増賀上人の墓。
まるで古墳!?
私が探していたお墓は、まだ見つけられない。
何処かに、我が家と同じ苗字のお墓があるはず。
約450年ほど前に我が家と別れ、多武峰に残った人達のお墓。
そして、明治の廃仏毀釈で多武峰を離れた同じ苗字の人達のお墓を探した。
そして、明治の廃仏毀釈で多武峰を離れた同じ苗字の人達のお墓を探した。
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