あの日、私は玄海のイカを求めて海の中道でUターン。
再び志賀島へ。
工事中の金印公園を通過し、右手にあると教えてもらったお店を探していたら、
発見したのは“蒙古塚”やった。
急いでいたけど、車を停めて見学することにした。
@蒙古塚
1274年(文永11年)、文永の役にて撤退する際に座礁した蒙古兵が志賀島で捕虜となり、うち220人ほどが首切塚(蒙古塚)で斬首されたとされる。
1281年(弘安4年)、弘安の役では 志賀島の戦いの舞台となる。博多湾に現れた元軍は、石築地(元寇防塁)からの上陸を避け、陸繋島である志賀島を占領し軍の停泊地とした。
これに対して、日本軍は海上と海の中道の陸路から元軍に総攻撃を行った。
この志賀島の戦いで日本軍は大勝し、元軍は志賀島を放棄して壱岐島へと後退した。
島内に残る火炎塚のある場所では高野山の僧侶によって敵軍退散の祈祷がおこなわれた。
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