今回の朝の連ドラは「マッサン」。
毎日録画して観るようにしている。
ドラマを見ると思い出すのは、イギリス・ケンブリッジのホテルでのこと。
外出から戻るとフロントにウイスキーが置かれてくれていたよなぁ~。
11月のケンブリッジ、寒くって、日没が早くて・・・
冷えた身体に浸みるように暖まって、ほんま美味しかった。
まぁ~当分は海外には行けそうにないので、
次に思い出すのが、大阪にあるサントリー「山崎蒸溜所」を見学に行ったときのこと。
見学前に読んだ本が竹鶴政孝のことを書いた小説やったんや。
@余市蒸溜所 「マッサン」のモデル竹鶴政孝がウイスキーに人生を賭けた場所
「マッサン」の亀山政春のモデル、竹鶴政孝は大阪高等工業学校(現・大阪大学)で醸造学を学びましたが、そこで洋酒にすっかり魅せられてしまいます。
そこで、家業である広島県竹原市の造り酒屋・竹鶴酒造は継がず、大阪の摂津酒造に入社。当時、国産ウイスキー実現の夢を持っていた摂津酒造は、竹鶴をスコッチ・ウィスキーの本場・スコットランドのグラスゴーに単身留学させ、本場のスコッチづくりを学ばせます(1918年)。
帰国後、折りからの不況もあって摂津酒造にウイスキーづくりの夢を追いかける資金的体力は残っていませんでしたが、同じようにウイスキーづくりの夢を抱いていた「寿屋」(サントリーの前身)の鳥井信治郎からオファー(現在の価値で数千万円の年俸を提示された)を受けます。
竹鶴は日本初の本格的なウイスキー蒸溜所「山崎蒸溜所」(1924年完成、大阪府三島郡島本町山崎)でのウイスキーづくりの基礎に大きく関わる事になります。
しかし、やがて日本の高温多湿な気候風土に合った熟成法を主張する鳥井と、あくまでスコットランドと同じく8年寝かせるべきだと主張する竹鶴は決別することになります。
山崎蒸溜所を退所した竹鶴がスコットランドに近い気候風土を追い求めてやってきたのが、北海道・余市の地でした。
ここで竹鶴は大日本果汁株式会社(後のニッカウヰスキー)を設立します(1934年)。