乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

最古の暦、大刀に銘文=「庚寅」、570年か-日本書紀裏付け・福岡  (4枚)

2011-09-22 | 民俗考・伝承・講演



  最古の暦、大刀に銘文=「庚寅」、570年か-日本書紀裏付け・福岡









      


 写真 時事ドットコム様、asahi.com様よりお借りしました▲   時事ドットコムさまより▼

 福岡市教育委員会は21日、同市西区の「元岡古墳群G6号墳」(7世紀中ごろ)から、570年とみられる干支(えと)の「庚寅(こういん)」などと刻まれた象眼大刀(たち)が出土したと発表した。554年に百済から暦がもたらされたとする日本書紀の記述を裏付けるもので、市教委は「暦が実際に使われたことを示す史料では国内最古といえる」としている。
 市教委埋蔵文化財第2課によると、大刀は鉄製で長さ75センチ。表面がさびており、X線撮影で刀身の背の部分に文字が刻まれていたことが分かった。銘文は「大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果■」(■は「練」の可能性)の19文字。「庚寅の年の正月6日に、この刀を作った。12回練り鍛えた」と読める。
 日本書紀によると、日本は553年、百済に暦博士の派遣を招請し、554年に来日した。この時もたらされた暦は、中国・南北朝時代の宋の時代(5世紀)に使われ始め、その後朝鮮半島や日本に伝わった「元嘉(げんか)暦」と考えられている。元嘉暦を基にすると、570年と1月6日の干支は庚寅になるという。
 銘文入り刀剣の出土は全国で7例目だが、文字数としては稲荷山古墳(埼玉県)の国宝鉄剣(115文字)などに次いで4番目。
 6号墳では、古墳時代で国内最大級の銅鈴(全長12センチ)も見つかった。同課は「大きな権力を持つ有力者の墓と考えられる」と説明している。
 坂上康俊九州大教授(日本古代史)は記者会見で、「大刀は大和政権の大王から功績をたたえられて下賜された可能性があり、その場合は対半島政策か磐井の乱後の九州統治のいずれかとの関わりで授与されたとも考えられる」との見解を示した。(2011/09/21-18:48)

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道の辺の いちしの花の いちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻は 「いちしろく」万葉集2480 (3景)

2011-09-22 | ことのは



         道の辺の いちしの花の いちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻は 

                         「いちしろく」





 


    万葉集 巻11 2480  作者不詳

   道の辺の いちしの花の いちしろく 人皆知りぬ 我(あ)が恋妻は


 


 万葉集では曼珠沙華(彼岸花)の歌がひとつあります。

 道の辺の いちしの花の いちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻は



 

「いちしろく」を三省堂の古語辞典でひいてみました。

「いつしろし」はに同じ

「いちしるし」【著し】



「いち」は、はなはだしい意の接頭語。

「いちしるし」は

     はっきりしている

     あきらかである



 と言うことは、何もわざわざ白い曼珠沙華(彼岸花)を載せることはなかったのでしょうか?

 中世以降は 「いつじるし」と濁音化し、シク活用の例が見えると先出の辞書は締めくくっています。

 

「いちしろし」~ホワイトのイメージを感じたわたくしでしたが、むしろ遠くからも目立つ燃え上がるような赤い花の写真を選んだ方がよかったのでしょうか?


 
 
 小学館の『万葉集3』(198ページ)によると、【道の辺のいちしの原の白妙のいちしろくしも我恋ひめやも】という歌では、「いちしの花」は はっきりと分かっておらず、白い花のくさいちごなどがふさわしいと記されています。

 ここには、いちし は ぎしぎし、くさいちご、えごのき、ひがんばな など、諸説があると書かれています。

「いちしろく」は「白」と掛けてある(掛詞)と考えて遊んでも、そんなにまずいことでもなさそうです。 

 よかったよかった  これでおしまい

   
 
 






         参考

        『万葉集3』小学館 日本古典文学全集8
 
        『全訳読解古語辞典』三省堂

        『例解古語辞典』三省堂



 
 




                              
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9月22日 年末まであと100日です☆  グレゴリオ暦で年始から265日目です☆

2011-09-22 | 乱鳥徒然 Rancho's room.



 2011年

 9月22日(くがつにじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から265日目(閏年では266日目)にあたり、年末まであと100日ある。







   今年は残りはあと100日もあります。

   1/3は切りましたが1/4は余裕です。

   ざっと考えても、2400時間。

   1日に自由になる時間が2時間なら おおよそ200時間

   1日4時間あれば 400時間にもなります

   自分の環境に合わせて、満足の行く時間を過ごしたいものですね。








 グレゴリオ暦(グレゴリオれき 伊: Calendario gregoriano)とは   ウィキペディアより ▼

 1582年にローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦を改良して制定した暦である。現行の太陽暦として世界各国で用いられている。単に新暦(ラテン語: Ornatus)と呼ばれる場合もある。現在使われている西暦はグレゴリオ暦である。
 1年を365日とするが、400年間に97回の閏年を置いてその年を366日とする。これによって、400年間における1年の平均日数を365.2425日とすることがグレゴリオ暦の本質である。
 日本では明治5年(1872年)に採用され、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日(グレゴリオ暦の1873年1月1日)とした。







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九月松竹大歌舞伎 昼の部『御摂勧進帳』『男女道成寺』『人情噺文七元結』(18景)

2011-09-22 | 歌舞伎




   新歌舞伎座 新開場一周年記念 九月松竹大歌舞伎 昼の部


            

  
 新歌舞伎座劇場内は撮影禁止だそうで、上はそれを知る前に撮ったたった三枚の写真でございます。



            

 

         

  

            
 
  


 もう随分前のことだが、9月7日 新歌舞伎座 新開場一周年記念 九月松竹大歌舞伎の昼の部を見た。

 演目が次の通り

    

   昼の部『御摂勧進帳』『男女道成寺』『人情噺文七元結』




   


   『御摂勧進帳』

      

     九月松竹大歌舞伎の昼の部の『御摂勧進帳』がすこぶるよかった。

     テレビで見る『御摂勧進帳』弁慶の橋之助丈よりも数倍見得がカッコいい。

    『霧太郎天狗酒盛』の時には最前列かぶり付きで観劇し、その魅力に参ってしまったが、今回も素晴らしい舞台で満足した。

    『御摂勧進帳』という演目は十代から気になっていたもので、何度見ても嬉しい。

     舞台を見たという満足感が大きく、今年見た中でもかなりよい舞台のひとつだと感じた。



     ただいつもの橋之助丈と少し違う部分は、言葉を分かりやすく話しておられた点だろうか。

     おそらく新歌舞伎座という劇場に合わされたのだと感じた。

     あとで出てくる『人情噺文七元結』↓

     少々ドタバタ加熱気味の勘三郎さんにおいても同じ理由だと考えているが、思い過ごしかもしれない。





   『男女道成寺』

       

     何度も楽しんでいる『男女道成寺』だが、今回の七之助さんも舞いが丁寧で美しかった。

     手まりの場面で勘太郎さんがソフトボールくらいの所作になったのは少し残念だったが、全体のおいて満足のいく舞台だった。




      
   『人情噺文七元結』

      

     今回の『人情噺文七元結』は役者さん全体で、音楽でいうと前に前にと勧められていたような気がする。

     アップテンポでキレがいいが、何かいつ元ようすが違った。

     舞台では扇雀さんの頭を何度もたたいたりで思わぬ方向に加熱されていたようだ。

     隣関のご婦人は、「カンザさん、完全に治られてよかったですね。」とにこやかであった。

     若干わたくしとしては感じる部分があったが、ここでは省略。

     わたくしも勘三郎さんが舞台に立たれたことにおいて、純粋に喜んでいる。

 

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