殺生石で造られた 鎌倉地蔵尊 「鎌倉地蔵尊縁起」 真如堂
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前回は能楽『殺生石』を記録した。
平成二十三年十二月 春日若宮御祭礼式能楽 後宴之式能 『殺生石』1(写真だけ 10)
平成二十三年十二月 春日若宮御祭礼式能楽 後宴之式能 『殺生石』2(写真だけ 12)
殺生石つながりで 鎌倉地蔵尊を記録したい。
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先日、京都吉田神楽丘の真如堂を訪れた際、殺生石で造られた鎌倉地蔵尊を拝ませていただいた。
殺生石の興味深い話があった。
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むかしむかし、中国にある金毛の狐がいた。
狐は才色兼備の女性に化けて皇帝を騙して虜にした。
しかし正体を見破られ、日本へのがれる。
狐は美女の玉藻前に変身。鳥羽上皇の御前に現れる。
玉藻前(たまものまえ、玉藻の前、玉藻御前と紹介されることもある)とは ウィキペディアより ▼
平安時代末期、鳥羽上皇に仕えた白面金毛九尾の狐が化けた伝説上の絶世の美女。
鳥羽上皇が院政を行った1129年から1156年の間に活躍したといわれる。
20歳前後の若い女性(少女とも)でありながら、大変な博識と美貌の持ち主であり、天下一の美女とも、国一番の賢女とも謳われた。
また、化生の前(けしょうのまえ)とも云われている。
安倍晴明の弟子・安倍泰親が不信に思い、祈祷。狐は正体を現わし、下総国へ…。
鳥羽上皇は直ちに退治を命じ、狐は退治された。
だが、後もその魂は「殺生石」となって、近寄る生き物を殺し続ける。
見かねた玄翁(げんのう)禅師は、「殺生石」を杖で割って成仏させる。
さらに禅師は、殺生石のかけらで地蔵菩薩を彫り、鎌倉の小さなお堂に祀る。
慶長年間(1596~1615)、大工の棟梁・甲良豊後守の夢に鎌倉地蔵が出現。
地蔵尊が「自分を真如堂に移しなさい」と告げる。
甲良豊後守はお告げのとおり地蔵を真如堂に移し、真如堂に祀られた。
鎌倉で祀られていた地蔵ということで、今も「鎌倉地蔵」と呼ばれる。
「鎌倉地蔵」は次のように信じられている。
無実の罪を晴らす
心の病に効く
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それにしても 殺生石っていろいろな伝説が各地に残っているものですね…。