乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

まとめ; 矢田丘陵を歩き、僧坊谷池、白石畑村へ。昔の通学路をくだって東三里の安明寺叶堂跡に到着。

2011-08-22 | お出かけ



 

 




  矢田丘陵を歩き、僧坊谷池、白畑谷村へ。昔の通学路をくだって東三里の安明寺叶堂跡に到着。


近鉄萩の台駅から閑静な住宅街を通り抜け、矢田丘陵を歩く。  (12景)

近鉄電車の萩の台という駅から僧坊谷池に向う。  (13景)

矢田丘陵の僧坊谷池から白畑谷村へ向う。  (11景)

白石畑はこころの扉を開くの村です。  (11景)

白石畑近くの近畿自然歩道から昔の通学路を歩いて平群町東三里村にくだる。(16景)

十七夜の集まりに遭遇した、板の鳥居が迎えてくれる安明寺叶堂跡「叶堂」でお話を聞く(14景)



     
    
    
    
    
    
    
    





 おつきあい下さいまして、ありがとうございます☆




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白石畑村近くの近畿自然歩道から昔の通学路を歩いて平群町東三里村にくだる。(16景)

2011-08-22 | お出かけ



      白石畑村近くの近畿自然歩道から昔の通学路を歩いて平群町東三里村にくだる。







    ↓



 近鉄電車の萩の台という駅から矢田丘陵に入り、僧坊谷池から白石畑村に向いました。

 小さな集落の白石畑村にある安楽寺(公民館)を抜けた「近畿自然歩道」沿すぐ右手には、「平群駅」と「近畿自然歩道」と書かれた道標があります。

           



 薄暗い竹薮すぐ左脇の細い道が、平群に通じる今はほとんど使われたない平群の町道です。

 近畿自然歩道の地元のご年配の男性と、平群町三里の叶堂にいらっしゃった女性に、この道は昔、小学生の通学路であったことを教えていただきました。

 近畿自然歩道で出会ったおじいさんは、坂がきつく、岩がごろごろしているので、気をつけるようにと年を押された。

 私たちはここから平群の東三里に向って歩くことにしました。

 初めは美しい田畑を左手になだらかな山道を楽しんだ。

 途中、道は獣道のように荒れ果て、倒木。

 急な坂ミリ。

 ゴツゴツとした石というには大きすぎる落石。

 蜂と蚊の大群に歓迎を受け、どこまでも親切丁寧に見送ってくれる。

 この先、道はあるのだろうか……。

 ルートから外れたような恐怖心を覚えながら、わたくしたちは一歩また一歩と前に進んだ。


 
 あまりの怖さに、シャッターを押すことを忘れた。

 私は何かさっきを感じるこの山道を、いっときでも早く抜け出したかったのだ。



 ここからは説明なしの写真だけで、何度かにわけて記録したいと思います。

 見ていただけましたら、嬉しいです。

















 初めは上のようになだらかな道がつづく。

 景色も美しく悦に浸っていた。

 

 途中の写真は一切抜け落ちている。

 御稚児とした石や岩や倒木が急な坂道を塞ぐ。

 昔、この道を毎朝毎夕小学生が通学路として歩いていたのかと思うと、驚くばかリ。

 今現在はそれだけこの道が利用されることが少なく荒れ果てているという証拠かもしれない。




 上は山道をほとんど折りて東三里に近づいてきた頃の写真。

        右 まつの尾



 しっかりとした橋



 船山神社   と書かれているが、それらしきものは見つからなかった。



 ここには野仏もいらっしゃらず、色花も添えられてない。

 僧坊谷池から白石畑へ向う途中に見た野仏に添えられた花筒と同じように竹筒をさしてあるが、この辺特有か、或は全国的なものなのかは私は知らない。

  






 この後、三里村の安明寺叶堂跡(叶堂)に向う。

 これで近鉄萩の台駅から矢田丘陵を歩き、僧坊谷池から白石畑をへて近畿自然歩道から山道を通って東三里の安明寺叶堂跡におりた記録は終わりです。

 みなさま、おつきあい下さいましてありがとうございました。











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白石畑村はこころの扉を開くの村です。  (11景)

2011-08-22 | お出かけ



      矢田丘陵の僧坊谷池から白石畑村へ向う。







 

 近鉄電車の萩の台という駅から矢田丘陵に入り、僧坊谷池から白石畑村へ向い、いよいよ白石畑村に入ります。

 ここからは説明なしの写真だけで、何度かにわけて記録したいと思います。

 見ていただけましたら、嬉しいです。




 前回に載せた写真です。

 個々を左に見ると、野仏。  

 広いコンクリート道を真っすぐに進むと、白石畑村



 大と村の境界にそびえ立つ、御神木…でしょうか…。







 白石畑村の安楽寺には石仏や石がありました。

 安楽寺は今現在、村の公民館としても使用されているようです。

 古い寺跡はありませんでした。

 安楽寺の裏手には竹薮が広がっていました。


 白石畑村は二十六軒くらいの小さな村です。

 これといった店は無く、村は静まり返っています。

 犬の鳴き声も無く、ただセミが夏を告げていました。

 軒下には玉葱が吊るされ、時間の流れが緩やかな美しい村でした。

 白石畑村に自分の体内に流れるなつかしい思いが芽生え、また訪れたいと言う気持ちは生じてるるのはわかりません。

 白石畑村はこころの扉を開くの村です。



 左 松尾 ?
 
 右 法隆寺




 美しい村と田園風景に心が高鳴り、カメラを向けるのを忘れてしまいました。







                      つづく







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矢田丘陵の僧坊谷池から白石畑村へ向う。  (11景)

2011-08-22 | お出かけ



      矢田丘陵の僧坊谷池から白石畑村へ向う。







 

 近鉄電車の萩の台という駅から矢田丘陵に入り、僧坊谷池から白石畑村へ向います。

 ここからは説明なしの写真だけで、何度かにわけて記録したいと思います。

 見ていただけましたら、嬉しいです。



 また、キノコがありました。

 ついでにさっきのキノコも載せておきましょう。





 クサギ……でしょか?
 
 きれいに咲いていました。

 白石畑村はそこまで近づいています。









 白石畑村に入るごく手前です。

 白石畑村をそれ山道方向を見ると、野仏がいっぱいおられます。







 なにかしらん?意味ありげな石もありました。






                      つづく







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近鉄電車の萩の台という駅から僧坊谷池に向う。  (13景)

2011-08-22 | お出かけ



      近鉄電車の萩の台という駅から僧坊谷池に向う。



 「近鉄萩の台駅から閑静な住宅街を通り抜け、矢田丘陵を歩く。」の続きです。

 近鉄電車の萩の台という駅から矢田丘陵に入り、僧坊谷池へ向います。

 弘法大師の井戸とされる近くでは水が出ていましたので、お顔を拭い、清涼感を味わいました。


 ここからは説明なしの写真だけで、何度かにわけて記録したいと思います。

 見ていただけましたら、嬉しいです。
























 左 いこま

 右 やださん



 矢田丘陵にも石仏が多くいらっしゃいました。



 野仏には色花が添えられていました。

 色花は感謝の気持ちや供養の気持ちに加えて、神様から目につきやすいとされています。





           つづく







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近鉄萩の台駅から閑静な住宅街を通り抜け、矢田丘陵を歩く。  (12景)

2011-08-22 | お出かけ





        近鉄萩の台駅から閑静な住宅街を通り抜け、矢田丘陵を歩く。






 先日、近鉄電車の萩の台という駅から矢田丘陵に入り、ぶらぶら歩いてきました。

 矢田寺や松尾寺によるでもなく、白石畑村と言う飛び地(法隆寺40番地)が目標でした。

 矢田丘陵や松尾寺の辺は歴史関係の先輩方に連れていただき、歩いたことがあります氏、自分でも原付バイクで度々訪れています。

 白石畑村の後、平群に抜けましょうということになりましたが、生憎コンクリートの大通り。

 がっかりしておりますと竹薮方向に平群駅と記された小さな石の道標がありました。

 一抹の不安があったのですが、地元男性に尋ねますと、昔は小学生の通学路だったそうで、石がゴロゴロして道は悪いが進めないことも無いということでした。

 通学路だったという話は先日記録しました十七夜の日に出会った90歳になられると言うYさんからも、下山後にお聞きしました。

 ここからは説明なしの写真だけで、何度かにわけて記録したいと思います。

 見ていただけましたら、嬉しいです。









 砂が多い地質  森のようす



 砂が多い地質のため化、舗装された道路に倒木が多い。

 この日は測量し、朽ちて倒れそうになった木を折り、道路脇に投げて森を安全に保って下さる方々が複数人おられた。



 お世話さまでございます。ありがとうございます。
 


 野仏



 近鉄萩の台駅から閑静な住宅街を通り抜け、矢田丘陵に入って初めての休憩所。

 個々からいよいよコンクリートで舗装されてない道に入ります。(嬉)







 右 松尾



 歩き込まれたなだらかなこの道です。




           つづく







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映画三昧;「伽や子のために」小栗康平監督 李恢成原作 1984年 呉昇一 南果歩 / 「東京島」

2011-08-22 | 映画



「伽や子のために」

監督・脚本:小栗康平
原作:李恢成
脚本:太田省吾
出演:呉昇一 南果歩 浜村純 園佳也子 加藤武 川谷拓三
1984年
劇団ひまわり
118分
カラー
在日韓国人二世の林相俊は、北海道に父の親友を訪問。日本名で松本と名乗るその男は、日本人の妻と戦後の混乱期に日本人の両親に棄てられた伽ヤ子と3人で暮らしていたが…。在日韓国人二世の青年と日本人少女の愛と別離を描く感動作。 ジョルジュ・サドゥール賞(フランス) ベルリン映画祭「国際アートシアター連盟賞」




 とても良かった☆

 小栗康平監督はたまにしか作品を作らないが、手がけると素晴らしく出来がいい。

 この監督作品は何度でも見たくなる好きな映画が多い。

 月末にもう一度だけ放映予定なので、録画して見てみよう…






「東京島」

監督:篠崎誠
原作:桐野夏生
脚本:相沢友子
出演:木村多江 窪塚洋介 福士誠治 柄本佑 木村了 染谷将太
2010年
「東京島」フィルムパートナーズ
129分
カラー
助けに来ない無人島に、男23人とたった一人の女。 無人島で一人の女性をめぐり欲を剥き出しにした人間たちの極限状態を描いた 桐野夏生のベストセラー小説の映画化。太平洋戦争末期のマリアナ諸島で起きた事件がモデルとなっている。撮影は奄美諸島・沖永良部島と徳之島の2島で40日以上にわたり行われた。主演は木村多恵、共演には窪塚洋介、福士誠治ら若手演技派俳優が顔を揃える。



 女優の木村多江さんも俳優さんたちも良いのに、あらすじがちんぷでどうしようもない。

 個々の演技には見とれる部分があったになぁ…。


 あまりにも矛盾が多く無理があり、ある意味半端な喜劇か…。

 こういった映画は一番前で筋書きをおわず、かぶり付きで役者だけを見たい。






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八月の公開講座    武藤先生、大宮先生、鍵◯先生、水野先生、河上先生(日付順)

2011-08-22 | 民俗考・伝承・講演











 金土日と三日連続で古文書「百人一首」、万葉集、聖徳太子のお話を拝聴させていただく。

 八月は武藤先生、大宮先生、美人の鍵◯先生、水野先生のお話を聞くととができた。




 武藤先生はお守りや厄よけを含めた民俗学関係のお話で、わたしにとっては嬉しいものだった。

 古文書で「百人一首」三種は五パターン。興味深い描かれ方。慈母の起こし方が理解できた。

 万葉集では暦を軸とした大伴家持の話。こういった読み方ができるのだと、歌の深さに驚く。

 聖徳太子は基本的なことを目一杯はなされ、アウトラインがつかめた。



 河上先生は先月二度お話を聞いた。いよいよ 八月下旬に催される公開講座 河上先生のお話も心待ちだ。

 最近は専門家の先生方のお話を聞くのが楽しみのひとつ。

 






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「勧進帳」「極付幡随長兵衛」吉右衛門 仁左衛門 芝翫「鎌倉三代記~絹川村閑居の場」幸四郎「鷺娘」玉三郎

2011-08-21 | TVで 歌舞伎・能楽



「勧進帳」


出演:市川團十郎 中村歌右衛門 中村富十郎 初世尾上辰之助 中村福助(現・梅玉) 三世河原崎権十郎 二世尾上松緑
1985年(全4話)
81分
カラー
現在建替え中の歌舞伎座にて、昭和60年4月から三か月に渡って行われた『十二代目市川團十郎襲名披露』の舞台より「勧進帳」をお届けする。十一代目以来「團十郎」という大名跡が約20年ぶりに復活するとあって、大きな話題を呼び歌舞伎界の一大イベントとなった。弁慶に團十郎、義経に歌右衛門、富樫に二世松緑というまたとない大顔合わせの名舞台が甦る。 (1985年/昭和60年5月・歌舞伎座)




 高麗屋さんの弁慶は、実在弁慶に見えるが、本家本元の弁慶はアニメのようで、それはそれで魅力的。

 摺り足の部分はスケートのよう!に滑って移動されていた…………。(笑み)

 中村歌右衛門さんの冨樫が気品漂い、とても魅力的だった。






「極付幡随長兵衛」

出演:中村吉右衛門 片岡仁左衛門 中村芝翫
2009年(全3話)
96分
カラー
出演:中村吉右衛門、片岡仁左衛門、中村歌昇、中村福助、市川染五郎、尾上松緑、中村松江、市川男女蔵、坂東亀寿、中村亀鶴、中村種太郎、中村玉太郎、中村児太郎、澤村由次郎、市村家橘、大谷友右衛門、中村歌六、中村東蔵、中村梅玉、中村芝翫 町奴と旗本奴の姿を生き生きと描いた黙阿弥の名作。 江戸村山座の舞台。芝居が佳境にさしかかるところ、旗本奴の水野十郎左衛門の家来が騒ぐので、町奴の幡随院長兵衛がこれを打ち据える。一触即発となる水野の白柄組と長兵衛の子分たちだが、長兵衛がその場を収める。後日、長兵衛は水野邸の宴に招かれるが、子分たちは何かの策略だと言って行く手を阻む。しかし女房や息子に別れを告げ、長兵衛はひとり水野のもとへ向かうのだった。吉右衛門の幡随院長兵衛、仁左衛門の水野十郎左衛門、梅玉の唐犬権兵衛、芝翫の女房お時ほかの出演で歌舞伎座さよなら公演から。 (2009年/平成21年6月・歌舞伎座)



 最近続けざまに何度か見ている「極付幡随長兵衛」

 台詞を結構覚えてきたよ。

 この芝居、何度見てもいいな。







「鎌倉三代記~絹川村閑居の場」

出演:中村雀右衛門 中村梅玉 坂東彦三郎 中村松江(現・中村魁春) 中村歌江 澤村鐵之助 中村又五郎 松本幸四郎
1999年
89分
カラー
「近江源氏先陣館」の続編にあたり、時代設定は鎌倉時代ですが大坂夏の陣を暗示している時代物です。佐々木高綱(真田幸村)や和田兵衛(後藤又兵衛)等、大坂方の武士の活躍を中心に描かれており、時姫は敵味方となってしまった許嫁と、父の間で板ばさみになる悲劇の姫です。雪姫(金閣寺)・八重垣姫(廿四孝)と並ぶ難しい姫役「三姫」の一つになっている時姫を雀右衛門が演じ、安達藤三郎実は佐々木高綱に幸四郎、時姫の許嫁三浦之助義村に梅玉、母長門に又五郎ほかの顔ぶれでご覧ください。 (1999年/平成11年6月・歌舞伎座)



 佐々木高綱の早変わり!!思わず声が出る。

「かっこいい~~。」

 家で見る醍醐味。




「鷺娘」

出演:坂東玉三郎
2009年
歌舞伎座
31分
カラー
白銀の世界に美しく舞う鷺の精。しなやかで美しい風姿と玉三郎の芸術性が余すところなく表現された一幕。 幕が開き舞台が明らむと、玉三郎独特の幻想美に溢れた世界が繰り広げられ、長唄の名曲にのせて鷺の精が美しく舞う。衣裳が一瞬にして変わる視覚的な見せ場など華やかな演出が続き、クライマックスの責めに苛まれる場面では、絶え間なく降りしきる雪の美しさと、美しい娘が苦しみで息絶え絶えになってゆく姿とが絡み合い美の極致が表現される。 (2009年/平成21年1月・歌舞伎座)



 玉三郎さんの「鷺娘」は舞台でも何度も楽しませてただいているよ。

 二年ばかり前七之助さんの「鷺娘」を見て、透き通るような美しさに息を飲んだことを覚えている。

 七之助さんの「鷺娘」は死にゆく悲しみや切なさを見事にあらわされていた。

 今回テレビで玉三郎さんの「鷺娘」を見て、死の責め苦に直面した迫力ある堪え難き苦痛と、美しさに圧倒された。

 自分では瞬きさえ惜しんで画面を眺めていた。










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映画三昧;「田園に死す」寺山修司 1974年/「わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語」「時をかける少女」

2011-08-21 | 映画




「田園に死す」 

ウィキペディアより ▼

監督 寺山修司
脚本 寺山修司
製作 九条映子
ユミ・ゴヴァーズ
寺山修司
出演者 菅貫太郎
高野浩幸
音楽 J・A・シーザー
撮影 鈴木達夫
編集 山路早智子
大坪隆平
浅井弘
配給 日本アート・シアター・ギルド
公開 1974年12月28日
上映時間 102分


私:菅貫太郎
少年時代の私:高野浩幸
人妻:八千草薫
空気女:春川ますみ
股引き:斉藤正治
草衣:新高恵子
せむしの少女:蘭妖子
大男:大前均
イタコ:原泉
牛:三上寛
批評家:木村功
詩人:粟津潔
嵐:原田芳雄

『田園に死す』(でんえんにしす)は1974年公開の日本映画。寺山修司監督、脚本。
「恐山」「母殺し」「家出」など寺山特有のテーマが多く取り上げられており、自伝的要素が見られるが、劇中劇が用いられるなど虚構の性格が強い作品である。なお、先行して1965年に同名の歌集が刊行されており、映画の中でも同書からの短歌が朗読される。 菅貫太郎唯一の映画主演作である。ラストシーンは『幕末太陽傳』から影響を受けたと言われる。

父親のいない中学生の私は、恐山の麓の村で母と二人で暮らしている。唯一の楽しみといえば、イタコに父親の霊を呼び出させて会話をすることだった。私の家の隣には他所から嫁入りした若い人妻が住んでおり、それが意中の人である。ある日、村にやって来たサーカスへ遊びに行った私は、団員から外の世界の事を聞かされ、憧れを抱くようになった。今の生活に嫌気がさした私は家出をすることを決心し、同じように生活が嫌になった隣の人妻と共に村を離れる約束をした。駅で待ち合わせをして線路を歩く二人・・・
実はここまでは、映画監督となった現在の私が制作した自伝映画の一部である。試写会に来ていた人々は映画の出来を褒め、私を称えた。その後、評論家と一緒にスナックへと入った私は、「もし、君がタイムマシーンに乗って数百年をさかのぼり、君の三代前のおばあさんを殺したとしたら、現在の君はいなくなると思うか」と尋ねられた。質問の意味を深く考えていた私は、少年時代の自分自身に出会う。少年の私は、映画で描かれた少年時代は脚色されており、真実ではないと言い放つ。そして、本当の少年時代がどの様なものであったかが語られる。
村に住む人々はみな狂気じみており、サーカス団も実は変質者の集まりだった。人妻からは家出の計画を本気にしていなかったことを告げられ、目の前で愛人の男と心中されてしまう。そんな中、少年は現在の私と出くわした。現在の私は、過去の私が母親を殺せば自分がどうなるのかを知るためにやって来た。二人で話をするうちに、少年は母親を捨てて上京することを決意する。しかし、出発の準備を整える中、東京からの出戻り女によって童貞を奪われてしまう。たまらなくなった少年は電車に乗り、故郷を離れていった。結局母殺しは起きなかった。それでも私は少年を待ち続ける。しかし、何も変わりはしなかった。今、現在の私は20年前の母親と向き合い、黙って食事をしている。やがて家の壁が崩壊すると、そこは新宿駅前の交差点だった。その周囲を沢山の人間が行きかっている。それでも私と母は黙って飯を食っている・・・




「田園に死す」は好きな映画のひとつで、DVDでだが、今までにも何度か見たことがある。

 今回は食事をかね、気楽に楽しむ。

 昔、大阪の某映画館ではこういった映画が多く上映され、家族はかなり多く見たと言う。

 私はまだ、このような映画を見る年齢には達していなかった。

 こういった映画から時代がずれている私にはテレビで放映あされるのはとてもありがたい。

「田園に死す」は以前シアターテレビジョンを契約していた頃に 録画しておいたもの。

 久々にブルーレイ録画リストを整理し、お宝を発見したと言う感じ。

 昔に何度か見た時と葉随分印象が違ったが、満足した時間を過ごすことができた。



 ところで、三上寛さんは三上博史さんとは違ったのね^^;;

 三上寛さんの歌って、知らなかった……


 三上寛 青森県北津軽郡東京村
 
 三上寛   五所川原の日々
 






「わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語」

監督:大森一樹
脚本:那須真知子
出演:緒形直人 渡哲也 水野真紀 袴田吉彦 星由里子
1996年
112分
カラー
作家・宮沢賢治の半生を描いた伝記ドラマ 宮沢賢治生誕100年を記念して製作された本作品は、芸術・科学・宗教・農業にと多彩に活動する賢治の姿を、家族や友人たちとの交流を交えながら描いた愛と感動の物語。 映画は、賢治の童話から喚起される豊かなイメージをアニメーションとCGで魅せながら、病弱ながらも破天荒な夢想家で活動家だった賢治37年の生涯を斬新な手法で描いていく



 割合に満足した。

 ラストの 渡哲也さんの【雨にも負けず…】の一言にとこと噛み締めるような朗読が、心にしみ込んだ。

 これは小学校の教室で生徒全員が超えたからかに朗読し、宮沢賢治きらいな人間を多く作り出す教育とは真逆の読みだった。

 宮沢賢治の生き方や健康状態や精神的なものをしっかりと見据えた映画「わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語」だと感じた。






大林SP「時をかける少女」

監督:大林宣彦
原作:筒井康隆
脚本:剣持亘
出演:原田知世 高柳良一 尾美としのり 津田ゆかり 岸部一徳 根岸季衣 上原謙
1983年(全2話)
角川映画
180分
カラー
土曜日の放課後、掃除当番に残っていた和子は実験室の物音に様子を見に行き、ラベンダーの香りの中で気を失ってしまう。それ以来、彼女には時間と空間を越えるタイムトラベラーの能力が・・・。筒井康隆のSF小説を大林宣彦が映像化、切ないラストが印象的なラブ・ロマンスに仕上げた。



 まぁ、面白かった………。

 好みにもよるだろうが、この映画を見て、男性は原田知世チャマがかわいいと感じる方が多いと思うし、実際 きゃぴきゃぴしておられた。



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「元祖竹本義太夫生誕地」石碑 (天王寺区茶臼山町)   (2景)

2011-08-21 | 舞台・音楽 雑感メモ







 大阪の天王寺から四天王寺に向う途中の堀越神社の近くに、「元祖竹本義太夫生誕地」と刻まれた石碑がたっていました。

 この辺は駐車禁止の三角マークが置いてありましたが、駐車違反の車がありました(^^)




 竹本座跡石碑(道頓堀)記録  2006年06月09日

 


                        大阪 天王寺区茶臼山町にて





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ラッキー(^^)v   (2景)

2011-08-21 | 乱鳥徒然 Rancho's room.





 8月19日

 夜中から朝にかけて、大雨が降りました☆

 この日は奈良情報図書館古文書講習の日。

 お弁当を作り奈良駅に行こうとしましたが、JRは奈良大阪行き共に運行不通。

 仕方が無いので近鉄電車に乗り、新大宮駅に向いました。



 行きも帰りも、大雨の後の増水した佐保川沿いを歩きます。

 緑が歌っているようで、きれい~なんて、ひとりではしゃいでいました^^

 写真は夕方五時頃の佐保川です。



 奈良から一転してこちらは大阪の天王寺の空です。

 奈良情報図書館の帰り、お食事のために家族と待ち合わせです☆

 この日もよく歩き、万歩計を見ると、15000歩を超えていました。

 ラッキー






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十七夜の集まりに遭遇した、板の鳥居が迎えてくれる安明寺叶堂跡「叶堂」でお話を聞く(14景)

2011-08-19 | 民俗考・伝承・講演





 先日、萩の台から矢田丘陵を歩き、平群の方向に降りてきました。

 今回は私が歩いた逆まわりになりますが、近鉄平群駅の近くの 安明寺叶堂跡「叶堂」を記録したいと思います。

ココ;奈良県生駒郡平群町三里 安明寺叶堂跡「叶堂」(図 平群町教育委員会 参考)

 以下 安明寺叶堂跡「叶堂」を叶堂



 近鉄平群疫の近くには 次のように掘られた常夜灯があります。

      叶堂道

      東へ三一?

 まずは叶堂に行ってみましょう…。



 叶堂には木の板で作った鳥居があります。

 私はこういった形の鳥居は、大阪の民族博物館などを含む博物館の他では見かけたことがありません。

 素朴な鳥居に、村人の厚い信仰真を感じるのでした。



 鳥居には消えかかった叶堂と言う文字が書かれています。



 鳥居を挟んだ建物は比較的あたらしいようですが、中にはたいそう立派な観音様がいらっしゃるそうです。

 この日は多くの村の女性が集まっておられ、観音様を見て下さいと何度もおっしゃって下さったのです。

 しかしハイキングのほこりと汗で汚してはいけないと思い、ご辞退申し上げました。

 

 次々の村人が集まってこられます。

 その日は「じゅうしちや」のお参りだったそうです。

 時計を見ますとお昼の二時過ぎ。お昼まっただ中です。

 私が、
「じゅうしちや は十七夜と書くのですか?」
と尋ねますと、夜でよいそうです。

 毎月17日には叶堂に集まり。ご住職さんに来ていただき、手を合わせるのだそうです。

 

 大辞泉によると じゅうしち‐や【十七夜】とは次のように出てきます。

  1 陰暦17日の夜。
  2 陰暦8月17日の月。立ち待ち月。




 また、日本国語大辞典では次のようにあります。

  1 じゅうしち‐や[ジフシチ:]【十七夜】-日本国語大辞典
  〔名〕陰暦の毎月一七日の夜。陰暦八月一七日の月。
   立待月(たちまちづき)。
  《季・秋》*俳諧・犬子集〔1633〕九・秋「立て見居て見待は苦しき 十七夜十八夜とて月遅み〈重頼〉」

  2 じゅうしちや‐だいまち[ジフシチヤ:]【十七夜代待】-日本国語大辞典
  〔名〕陰暦十七夜の月待ちの時に、米銭をもらって神社に代参する山伏、行者。
   また、のちには一種の乞食をいった。
  *家忠日記‐天正一九年〔1591〕五月一七日「十七夜代待のけん蔵主」*浮世草子・好色五人女

  3 じゅうしちや‐まち[ジフシチヤ:]【十七夜待】-日本国語大辞典
  〔名〕陰暦八月一七日の夜、月の出を待って祈願すること。
  *俳諧・滑稽雑談〔1713〕八月
  「和俗、又月待を行ふ、先は三箇月待初光を拝し、次に十三夜待、扨は十七夜待より廿三夜までを、七夜待と称し、是を七観音という




 わたくしがお話を聴かせていただいた女性は 90歳だそうですが、お若くいらしてどのように見ても70代のお元気な方でした。

 昔は学校の先生をされていたらしく、まじめで気丈な印象を受ける方です。
 
 仮にYさんとでも呼ばせていただきましょう。



 Yさんは三里と白畑谷村にある小学校のとを結ぶ山道や平群だにのお話を聞かせて下さいました。

 昔は小学生の通学路だったと言う険しい山道はちょうどこの日、私たち夫婦がゴロゴロと岩が道をはばかり、倒木が道を塞ぐ坂道。蜂に追われながら、下山した道でした。

 今は小学校が増え、この道は使わなくなったことを、眼を潤ませながらなつかしそうに教えて下さいました。



 叶堂は古くから疫病の神として、地域に信仰されてきたと教えていただきました。

 Yさんは
「観音様がいらっしゃるので、疫病も流行らず、こうして無事に生活できるのです。信仰することは大切です。毎日手を合わせています。」
などとおっしゃっていました。



 民俗学関係の本には疫病や牛頭天皇(ごず)や朱色で描いた鍾馗さまの話が度々出てきますが、そんなこまごまとしたことは関係ないのでしょう。

 叶堂に立派な観音様がいらっしゃって、毎月の十七夜と日々感謝の心を持って拝まれているのでしょう。

 素晴らしいお心と信仰心だと感じました。



 先ほどから見ていただいていますように、叶堂には多くの石仏や灯籠や石が置かれています。

 そして写真上の用に、古い石段もあります。



 上には柱跡らしいものがあり、縄で囲んで神域をあらわされています。

 Yさんに尋ねますと、火事跡のようです。

 そして、火事が起ったようすを色々と教えて下さいました。
 
 ただ、いつ頃の話かは、抜け落ちていました。 

 お堂は焼け落ちてしまいましたが、地域の方に愛され親しまれている観音様はご健在だと喜んでおられました。



 叶堂は独特の雰囲気を持った信仰心の厚い方々に大切にされている神域で舌。

 写真上は下山してすぐに目のあたりにする神秘的にさえ感じる叶堂です。

 独自の時の流れを持つのではないかと思わせる素晴らしい叶堂でしたが、それと同じくらい魅力的なYさんが貴重な話の数々を教えて下さり、楽しいひとときを過ごすことができました。

 Yさんは出会いを喜んで下さり、家や名も告げ、何度も何度も別れを惜しんで下さいました。

 ありがとうございました☆いつまでもいつまでもお元気で健やかにお暮らし下さいと心から祈願しております。

 






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矢田丘陵にある僧坊谷池の近くで、野生のホオズキと出会う。   (2景)

2011-08-18 | お出かけ




  



 矢田丘陵にある僧坊谷池の近くに、赤く色づき始めたホオズキがなっていました。

 あたりにはホオズキの枝が10株程群生しています。

 どなたかが、或は鳥が種をこぼしたのでしょうか?

 それとも、野生のホオズキでしょうか?

 私たちが知っている三角のホオズキのガクよりも形は短く、ころころとしたかわいらしいものでした。



 Wikipediaでは次のように説明されていました。

【日本の仏教習俗であるお盆では、ガクに包まれたホオズキの果実を死者の霊を導く提灯に見立て、枝付きで精霊棚(盆棚)に飾る。】

 どおりでこのところ花屋さんでは、枝付きの美しいホオズキがう売られているはずです。

 また、お供え物の中にも蓮に見立てた砂糖菓子とともにホオズキが加えられている場合もあります。

 いずれにせよこの季節にホオズキの群生にお目にかかることができたのは、何か良いことが起るきざしなのではないかと感じています☆ラッキー

 

  




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邪宗門 空に真っ赤な  白秋全集 詩集1よりうつす  (夕日4景+1枚)

2011-08-18 | ことのは




   







   



   空に真っ赤な   北原白秋


 そらに真赤な雲のいろ。
 玻璃に真赤な酒のいろ。
 なんでこの身が悲しかろ。
 空に真っ赤な雲の色。

    




 一部 白秋全集をスキャンさせて頂いています。



 白秋全集 詩集1  

 657ページ

 岩波書店 (1984/12)





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