乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

道教「道」について   『中国の吉祥文化と道教  祝祭から知る中国民衆の心』奈良行博著 明石書店

2019年09月20日 | 読書全般(古典など以外の一般書)

  



  道教「道」について   『中国の吉祥文化と道教  祝祭から知る中国民衆の心』奈良行博著 明石書店


 

 奈良行博著『中国の吉祥文化と道教  祝祭から知る中国民衆の心』には次のような興味深い内容が記されていたので、書き写すことにしました。


 


『老子』四十二章に「道生一、一生二、二生三、三生万物」という語があります。これは宇宙に存在するものすべてのもの、つまり「万物」は「道」から生まれてきたのだと説明しています。(『中国の吉祥文化と道教』P.125)
 云々


 今一度、「道」の説明をするために、ガラスのコップを持って海底に潜ってみます。海底で砂を救って、コップの口いっぱいにまで満たします。それを海水中で倒して、砂を海底に流し出します。すると砂の代わりに海水がコップの中に入ります。次に、コップを立てて海面に上がり、陸地でコップを倒します。すると、コップの海水は砂浜に流れ落ちて、コップの中には空気が入ります。ここまでは我々の通常の感覚で理解できて、それ以上の追求をしません。ところが、空気が満たされているコップを持って、遥か上空に上がり大気圏外に出ます。するとそこは宇宙空間で、空間はありますが空気はありません。その空気のないところで、持ってきたコップの口を開いて、ゆるゆると空気を真空世界に流します。その時、コップの中に入ったものは何なのでしょうか。真空は空気がないことではありますが、そのことがつまり空間がゼロというわけではありません。その真空空間に存在するものが、すなわち仮に名付けると「真空物質」というものであって、「存在のないモノ」ではないのです。私(『中国の吉祥文化と道教』著者 奈良行博)はこの真空物質こそが「道」ではないかと推測します。  (『中国の吉祥文化と道教』P.127)



 「道」は万物の祖と言われる様に、万物は全て「道」に由来し、全て道でできているのです。しかしは、道の本来の姿のまま人間が感知できるものではなく、何も存在しないかのごとく感じられます。しかしそれは、人間の感覚で感じられるだけの話で、もっと微妙で鋭敏な感覚を持った他の生物や他の感知手段でなら感じることができるかもしれません。もしも宇宙空間に出て手を振ってみたとき、空気中で手団扇を振った時に感じる様な風の揺らぎを感じられるのであれば、おそらくその人は「道」の存在を感じることができるでしょう。   (『中国の吉祥文化と道教』P.129ー130)



 



【道教 】  (大辞泉)
 中国、古代の民間信仰を基盤とし、不老長生・現世利益を主たる目的として自然発生的に生まれた宗教。
 のち、仏教への対抗上、神仙説など道家の思想、および仏教の教理儀礼が取り入れられた。
 5世紀前半、北魏の寇謙之(こうけんし)が教祖を黄帝・老子とし、張道陵を開祖として道教教団を形成した例もあるが、多くは民間信仰として発展。

【道教 】  (世界大百科事典 第2版)
 道教とは何か――この問題に対しては研究者のあいだで見解がまだ一致していない。
 ここでは以下に述べる2点から検討考察を加える。
 その第1点は,中国の思想史とくに古代,中世の思想史において,一般的に〈道教〉という言葉が実際にどのような思想概念として用いられてきているか,また,それは中国土着の民族宗教としての〈道教〉の概念とどのようなかかわりを持っているかであり,第2点は,中国において民族宗教としての道教が,その神学教理もしくは思想哲学を一応整備完成するにいたる唐・五代・宋初の時期において,道教の教団内部の学者たちがその教をどのような宗教として自覚し,規定し,ないしは神学教理の整備体系化を行っているかである。

    

    

    

 

 

 

 

 

 

 
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『三國志』と『三國志演義』の違い

2019年09月20日 | ことのは
 写真は横浜中華街にて
 ここは中華飯店ですが、芝居を見たいなと思いつつ、通り過ぎました。


 


  『三國志』と『三國志演義』の違い



 三国志とは、中国の後漢・三国時代(184~280)に中国統一をめざし群雄割拠していた歴史をまとめた書物の名称になります。
 大きく分けて、『三國志』と『三國志演義』とがあります。

 

『三國志』と『三国志演義』のちがいについて
『三國志』は、蜀・魏・晋に仕えた陳寿(ちんじゅ)により三国時代の歴史がまとめられたもの。
 史実を忠実に簡潔にまとめている。
 史実の忠実を重視したため噂や信憑性の薄い情報は排除したため読みやすいが面白みに欠けています。
「三国志」は事実を後世に残すための歴史書になります。ただし、蜀・魏・晋に都合の悪いことは、記述されなかったとの事。
 三国志演技と区別するために『正史(せいし)』と呼ぶ。


『三国志演義』は、中国の明時代に羅貫中(らかんちゅう)により『三國志(正史)』をベースに各地で語り伝えられた神話・伝説・民話など盛り込んだもの
 一般大衆が楽しめるようにフィクションを交えて作られた娯楽性の高い歴史小説
 特徴は、蜀(しょく)の劉備(りゅうび)や諸葛亮(しょかつりょう)と言った人物がメインとなり物語が進んでいきます。


『三國志』は史実の歴史書、『三国志演義』はフィクションの歴史小説。



 

 以下、ウィキペディア引用 ▼
『三國志』とは、中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃 - 280年頃)の興亡史である。

『三国志演義』(さんごくしえんぎ、 繁体字: 三國演義; 簡体字: 三国演义)は、中国の明代に書かれた、後漢末・三国時代(魏、蜀、呉)を舞台とする時代小説・通俗歴史小説である。
 四大奇書の一つに数えられる。書名については下記。
 著者は定説をみず、施耐庵あるいは羅貫中の手によるものと伝えられている。
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横浜中華街で、舞楽「陵 王」のおみくじを見ました。

2019年09月19日 | お出かけ





 横浜中華街で、舞楽「陵 王」のおみくじを見ました。

 







 
 2019宮島厳島神社・元始祭 舞楽 「陵 王」
 慶剛様からお借りしました。ありがとうございます。

 
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映画『人魚の眠る家』4,8★ 東野 圭吾著 監督:堤幸彦 脚本:篠崎絵里子 篠原涼子 西島秀俊 松坂慶子/『娼年』3★ 東野 圭著 監督:三浦大輔 石田衣良 松坂桃李

2019年09月19日 | 映画
 蘇州のライブハウス
 頼んだのは、緑茶。





 映画『人魚の眠る家』4,8★東野圭吾著 監督:堤幸彦 脚本:篠崎絵里子 篠原涼子 西島秀俊 松坂慶子
 映画『娼年』3★石田衣良著 監督:三浦大輔 石田衣良著 松坂桃李



 映画『人魚の眠る家』 4,8★  監督:堤幸彦 脚本:篠崎絵里子  篠原涼子 西島秀俊 松坂慶子 坂口健太郎 


 大変興味深く、大泣きに泣きながら見ていた。

 この映画は好きだ。


 以下はwowow公式HP
 東野圭吾のベストセラー小説を、篠原涼子主演で映画化したミステリー。プールで溺れて意識不明となった娘。奇跡を信じる両親が取った究極の選択が運命の歯車を狂わせる。

 2015年に「天空の蜂」を映画化した堤幸彦監督が、再び東野作品の映像化に挑戦。娘に奇跡が起きるかもしれないという期待から、その愛の強さゆえに狂気をはらんでいく母親役の篠原が、渾身の演技で第43回報知映画賞主演女優賞ほか、多くの映画賞で受賞。彼女と映画初共演となった西島秀俊のほか、坂口健太郎、川栄李奈など、若手からベテランまで、幅広い世代の役者たちのぶつかり合いは見応え十分。そして、感動を盛り上げるのが子役たちの好演。その達者な演技が見ている者の胸をえぐらずにはいられない。

 スタッフ
監督
堤幸彦
脚本
篠崎絵里子
撮影
相馬大輔
音楽
アレクシス・フレンチ


 役名 役者名
播磨薫子 篠原涼子
播磨和昌 西島秀俊
星野祐也 坂口健太郎
川嶋真緒 川栄李奈
美晴 山口紗弥加
進藤 田中哲司
播磨多津朗 田中泯
千鶴子 松坂慶子


 映画『娼年』 監督:三浦大輔 石田衣良作 松坂桃李 3★

 松坂桃李さんが体当たりで挑まれていた。

 大笑いしながら見てしまったのは、申し訳ない。


 

 監督:三浦大輔

 松坂桃李

 石田衣良の小説を、舞台でも組んだ三浦大輔監督と松坂桃李のコンビで映画化した衝撃作。退屈な生活を送っていた主人公が男娼(しょう)となり、成長していく過程を描く。性描写に一切の妥協をしなかったという三浦監督のもと、『不能犯』などの松坂が体当たりの芝居を披露している。

 あらすじ
 大学生のリョウこと森中領(松坂桃李)は、バーのアルバイトに精を出していた。ある晩、ホストクラブで働いている中学時代のクラスメートの田島進也が、客の御堂静香を連れてリョウがいるバーを訪れる。
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断捨離  自分にとって居心地の良い空間や立ち位置を保つのが、断捨離だと考えている。

2019年09月19日 | 乱鳥徒然 Rancho's room.


 断捨離


 このブログでなんも取り上げている断捨離だが、戦時ちは思い切って押し入れに眠っているものを処分した。

 今日は私だけが使用しているふた部屋。

 パソコンとストレッチの部屋&、机とオーディオのある部屋。

 この二室を今一度整理し、1/20の細々としたものを減らしたい。

 
 相互に意識して生活しているためだろうか。

 不要な物を擦れるととウエストの数字が減っていく。

 自分にとって居心地の良い空間や立ち位置を保つのが、断捨離だと考えている。
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『バタイユ 呪われた思想家』 江澤 健一郎 著 河出ブックス, 065) 河出書房新社, また途中で見失う。悔しいが、絵巻物を読むことにする。

2019年09月19日 | 読書全般(古典など以外の一般書)

   『バタイユ 呪われた思想家』 江澤 健一郎 著 河出ブックス, 065) 河出書房新社, また途中で見失う。悔しいが、絵巻物を読むことにする。
          (P.7〜P.197まで)

 

 江澤 健一郎 著『バタイユ 呪われた思想家』は二、三年前にもいとど挑戦している。

 前回は/5くらいで、内容を見失ってしまい断念。

 齢を重ねて再挑戦して見たが、今度は2/3までで断念した。

 

 身体の一部がもたらす意味や洞窟壁画についての意味が、バタイユ独自の感覚(?)で説明されており、興味深い。

 しかし、文そのものの意味が見えてこない。

 一日中私から考えれば意味不明の書物と格闘している家族曰く、
「難しいの読んでるね。もうここまできたの?」
と笑う。

 

 労いかもと思ったが、二人の友人に相談をこうと、一人は、
「これは無理だわ。専門的喃語が連られられており、一文が見えてこない。」
といい、あと一人は、
「これ、翻訳がまずいんじゃない?!難しい専門用語ばっかりで、私たち、わからないよ。」
 私が
「はじめに1/3くらいまでは割合に読者を意識して書かれてるんだけど(と、自分の力足らずのアホさ加減をさらけ出す。)」
 しかし後者の友人が言うには、
「訳者が噛み砕いてかけないんじゃない?多分。」
で話は千木の話題に移った。

 

 ススキ囁く秋のひとひであった。

 




『バタイユ 呪われた思想家』
 江澤 健一郎 著

 河出ブックス, 065)
 河出書房新社,

 いか、河出書房新社公式HPより
「呪われた思想家」バタイユの核心と可能性は芸術論における「裂け目」にある。傷口から思想家の全体を透視して、全く新たなバタイユ像によって現代を震撼させる気鋭の挑発。

 われわれの目の前で裂け目が開く、われわれはあるときは恍惚として歓喜し、笑い、あるときは拒絶し、激高する。歓喜、笑い、拒絶、激高、それらもまたわれわれを引き裂く裂け目の効果である。こうして目の前で口を開ける傷口、この壊れた、対象ならぬ対象、芸術とはその典型ではないだろうか。芸術がわれわれに恍惚をもたらすとすれば、われわれがそこで見つめるのは裂け目であり、内的体験の視覚的対象である。バタイユは、少なからぬ芸術論を執筆した。われわれはこれから、彼が芸術に見いだした多様な裂傷について考察し、その傷口から彼の思想を透視する。(本書より)
 
 江澤 健一郎 (エザワ ケンイチロウ)
 フランス文学専攻。著書『バタイユ 呪われた思想家』『ジョルジュ・バタイユの《不定形》の美学』、訳書にバタイユ『ドキュマン』、ディディ=ユベルマン『イメージの前で』他。
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映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』 5,8★/5★(満点以上) 蜷川実花監督  小栗旬 宮沢りえ 沢尻エリカ 二階堂ふみ 美術:Enzo 照明:藤井勇 2019

2019年09月18日 | 映画




 映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』 5,8★/5★(満点以上) 蜷川実花監督  小栗旬 宮沢りえ 沢尻エリカ 二階堂ふみ 美術:Enzo 照明:藤井勇 2019



 

 2019年9月13日

 映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』の封切り日に、家族と二人で楽しむ。

 結露から言おう。今回の蜷川実花監督作品も、素晴らしい出来栄えであり、映画が終わってもしばらくはまともに歩く事ができないほど感動した。

 私は芝居や映画を見て腰が抜けたような状態というのか、感動のあまり立てなくなった作品というのは、片岡仁左衛門丈で二回、そして今回の映画プラス「α」くらいのものである。


 ここから下はしばらく私自身が印象深かったり、感動したり、涙を流した場面を記録したい。

 しかし、これから見ようと思われていらっしゃる方が多いので、ネタバレにならないように、箇条書きで記すことにした。

 

 [歌舞伎]
 随所随所に芝居が効果的に取り入れられている^^
 映画には『曽根崎心中』のような赤いリボンで結ばれた場面が二回、また、ちょうど中泥すぎで、おそらく三社祭りか神田祭だと思うが、『夏祭浪花鑑』の場面を思わせるような歌舞伎をふんだんに取り入れたれた素晴らしい映画であった。

 

 [色]
 色彩が美しい。

 一見モノクロームに近い色に見えるが、色という魔物の中にも多くの色が息を潜め、豊かで味わい深い。

 蜷川実花監督らしい色を散りばめたべやから、物静かに見えるが意思の強い色彩豊かな一見単色の色に移りゆき、その一見単色の豊かな色彩は、品の良い上質な小説を読むように話が展開する。

 
 赤はいつもどこかにい、時には小さく時には大きく、そして 時には大胆鮮やかに描かれている。

 その赤は、この作品の意思を引き継がせるようで、作品自体に流れが生じている。


 最後の紫の花の使い方も効果的だ。

 二人の女には、紫の花を使用。

 一人の女には思い出という名の作品の印税。この英開き方もうまい。

 
 
 [印象的な場面(登場順)]

 妻の
「お父さんはこれから傑作を生み出すのよ(要約)」
という言葉に、切なさを感じた。
 この言葉は、印象深い。

 カフェの二回を貸した壇蜜さんの、もの悲しい表情。

 心中相手の女性と花火の下での接吻中に、子供と妻が通りがかり、
「お父さんは傑作を生み出しているの?(要約)」
に家族の姿に築いた太宰が、追いかけ、子供達の後ろ姿を見て、臍を噬む臍を噬むような表情を浮かべた時。
 小栗旬さんはこの他にもたいそう素晴らしい表情を演じられていた。

 雪の真っ赤な血を吐かれ、白と赤のコントラストに、心中物の緊張感を感じた。

 心中し、水中で、こんなはずではなかったともが枯れた顔をなさった場面。

 沢尻エリカさんの自分の名が載った本をて看取り、ほくそ笑まれた時。

 幼いご病気を抱えられたあどけないご長男が墨をこぼし、ある程度物事のわかっていつ長女が徒党とと一緒になってこのれた墨で自分自身(長女)の涙を笑いに変えた。
 そんな二人を見た喪服姿の妻が、子供達と一緒になって、墨で涙を笑いに変えた。
 この時私の金銭はきれ、大泣きに泣いたのです。

 ラストの宮沢りえさんの
「これで(やっと?)終わったわ(要約)」
と言い、青空の元選択を広げ、記者たち(世間)が帰って行った時。

 
[シビアな映画なのに楽しい]
 作家仲間とのやり取りに心がワクワクした。
 な近しい名前がいっぱい。
 好きな作家もなだけでてきたり。
 私の心は小学生まで遡る。

 あまりに懐かしく嬉しくって、映画を見ている途中、
「ふふっ。」
と息が漏れる。

 翌日昼寝をして、小学生や中学生の頃に見ていた懐かしい夢うを久々に見た。
 それは、とある小説家の作品の本の一場面であった。
 この映画には出てこなかった作家だが、こういった若かりし頃の今は見ぬ夢を見させてくれると行った点でも、素晴らしい映画であった。


 

 [キャスト]
 これ以上は考えにくいであろう役柄に合った役者が出演されていた。

 この映画の主役である小栗旬さん。
 もし、彼ではない役者をとなると、体操難しい。

 太宰治という人物に合わせた顔や雰囲気を作り出せる役者でなければならない。
 この場合、丸顔はいただけないし、信解異質さを出せる役者でなければならない。
 何より、演技力。
 そして、ふっ!と力を抜いた時の、笑顔。(これをができる役者は数少ない)
 小栗旬さん以外に考えて見たが、いずれも少しご年齢が植えすぎた。
 よって、この役は彼のために作られたと行っても過言ではない映画とも感じた。


 また女優がそれぞれに良い。
 作家、坂口安吾や三島由紀夫も、印象深かった。


 

 [無題]
 感銘を受けた歌舞伎などの舞台や映画に触れると、それに関する元本を読みたくなる。
 この映画でも折を見て太宰作品(再読も含む)に触れたい気持ちが大きい。
 そのことを考えてもこの映画は素晴らしいと、私は思う。
 私の場合は、もう一度劇場で、見る席を変えて見てみたいと思う映画の一つであった。

 好みや感じ方は人それぞれなので、上に書いたことは、あくまでも私の感じ方です。
 よろしくお願いいたします。
 
     


 『人間失格 太宰治と3人の女たち』(にんげんしっかく だざいおさむとさんにんのおんなたち)とは、2019年9月13日に公開された日本映画。
 監督は蜷川実花、主演は小栗旬。
 太宰治の小説『人間失格』を原作としたものではなく、太宰治と3人の女性との関係における実話を基に描いたフィクション作品となっている。(ウィキペディア)

 

 スタッフ (ウィキペディア)
 監督:蜷川実花
 プロデューサー:池田史嗣
 脚本:早船歌江子
 音楽:三宅純
 主題歌:東京スカパラダイスオーケストラ「カナリヤ鳴く空 feat.チバユウスケ」(cutting edge / JUSTA RECORD)[5]
 製作総指揮:大角正、佐野真之
 製作代表:高橋敏弘、豊島雅郎、木下直哉、三宅容介、山本将綱、藤田浩幸、金谷英剛、宮崎伸夫
 エグゼクティブ・プロデューサー:吉田繁暁
 企画・プロデュース:池田史嗣
 プロデューサー:秋田周平、宇田充
 ラインプロデューサー:阿部智大
 撮影:近藤龍人
 美術:Enzo
 照明:藤井勇

 録音:松本昇和
 スタイリスト:長瀬哲朗
 ヘアメイクディレクション:稲垣亮弐

 編集:森下博昭
 VFXスーパーバイザー:オダイッセイ
 装飾:前田陽
 衣装:青木茂
 ヘアメイク:HAMA

 音響効果:伊藤瑞樹
 音楽プロデューサー:高石真美
 宣伝プロデューサー:笹部優子
 アソシエイトプロデューサー:秋吉朝子
 アシスタントプロデューサー:松田裕佑
 記録:松村陽子
 制作主任:後藤一郎
 制作担当:木村広志
 助監督:吉田亮
 ラインプロデューサー補:山田智也
 配給:松竹、アスミック・エース
 制作プロダクション:松竹撮影所
 制作協力:松竹映像センター
 ・制作:松竹
 :「人間失格」製作委員会(松竹、アスミック・エース、木下グループ、ポニーキャニオン、トライストーン・エンタテイメント、電通、ラッキースター、朝日新聞社)

 キャスト   (ウィキペディア)
 太宰治:小栗旬
 津島美知子:宮沢りえ
 太田静子 : 沢尻エリカ
 山崎富栄 : 二階堂ふみ

 来泉
 山谷花純
 片山友希
 宮下かな子
 山本浩司
 壇蜜
 木下隆行(TKO)
 近藤芳正
 佐倉潤一 : 成田凌
 太田薫 : 千葉雄大
 伊馬春部 : 瀬戸康史
 三島由紀夫 : 高良健吾
 坂口安吾 : 藤原竜也


    


 気分がいいので能楽『船弁慶』 2013年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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『太宰治全集 10 小説8』より「人間失格」p.367~514     筑摩書房

2019年09月16日 | 読書全般(古典など以外の一般書)




 『太宰治全集 10 小説8』より「人間失格」p.367~514 筑摩書房


 
 はしがき

 私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹いとこたちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴はかまをはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、
「可愛い坊ちゃんですね」
 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空からお世辞に聞えないくらいの、謂いわば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、
「なんて、いやな子供だ」
 と頗すこぶる不快そうに呟つぶやき、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。


 

 上は「はしがき」の出だしである。

「可愛い坊ちゃんですね」
といい加減なお世辞を言っても、
「なんて、いやな子供だ」
と頗すこぶる不快そうに呟つぶやき、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。
 この性格ともいうべき感覚は、子供の頃から入水して没するまでの間続き、自分でもうちなるところで悩みながらも大きな顔をして大堂を歩くふりをする。

 

「人間失格」は十代に読んだことがある。
 その後も読んだかどうかは覚えていないが、節々覚えている言い回しが複数箇所あった。

 

「人間失格」を読んでいる最中に、居眠りをしたことがあった。
 後生丁寧に分厚い思い全集本を左手で、大切そうに胸の上に立てかけて持ったまま、眠っていた。
 太宰を読んでいる途中だったせいか、夢を見た。
 昔、十代の頃時々みた懐かしい夢であった。
 目を冷ました私は
『小中高校生の頃は、こんんあ夢も見ていたんだ。』
と、フロイトでいうならば希望に満ち溢れた夢にはじかみながらほくそ笑む。
 その夢は、某作家の某作品のとある場面であった。
 夫に話すと、あまりにも有名なその場面を聞いて、一言で題名を言い当てた。
  
 

 太宰治作品は2011年頃に何作品か読み直したことがある。
 そして今回は「人間失格」
 蜷川実花監督の映画『人間失格 太宰治と三人の女たち』を見るにあたって、読んでおきたかったためだ。
 実際に「人間失格」は読了し、映画の封切りの9月13日に夫とともに劇場に向かい、泣きに泣いた。

 

 映画作品は最高の部類に値する素晴らしい内容であったので、映画に出てきた小説から中心に、草稿も照らし合わせながらイマイチと読んで見たい太宰作品が多くあった。
 また映画では、その周辺の作家とのやり取りや作家との関係も興味深くふふっと笑ってしまった。
 懐かしい小説家の名を連ねられ、私は刺激される。
 そのあたりの作家作品も再読し、十代の頃の感覚を読む戻したいと言った思いと、今齢を重ねた私が読めばどのようにかん地方が変わっているかも覗き見待機がする。
 小中高校に通っていた頃には好んで小説を読みに読んだが、今一度少しは時間を見つけて小説にも時間をとって見たいと思う。
 そんな風に感じる蜷川実花監督の映画であり、太宰の原作であった。

 

 映画の感想は次回続けたいと思います。

 


 

 

 
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 延年(えんねん)、延年舞(えんねんまい)について   安田次郎著の『自社と芸能の中世』(日本史リブレット 80)より

2019年09月15日 | 読書全般(古典など以外の一般書)



  延年(えんねん)、延年舞(えんねんまい)について   安田次郎著の『自社と芸能の中世』(日本史リブレット 80)より




 延年(えんねん)とは  (ブリタニカ国際大百科事典 引用)
 平安時代中期から室町時代にかけて,興福寺や東大寺,長谷寺,延暦寺,園城寺など畿内の大寺院で,法会のあとや貴族接待などに行なわれた遊宴歌舞
 長寿を意味する遐齢延年(かれいえんねん)から名づけられたともいわれる。
 その担い手は,のちに僧兵とも呼ばれるようになる寺院内新興勢力の衆徒で,武力蜂起の際と同様の作法で延年を催すことも多かった。
 その芸能には,滑稽なことばで一山をほめ,仏をたたえて開会を告げる開口(かいこう),やはり滑稽なことばのやりとりで機知を競う答弁(とうべん),稚児による白拍子,若音(わかね),糸綸(いとより),舞楽などの歌舞や,僧による夫催(ぶもよおし),大衆舞,倶舎(ぐしゃ),連事,風流,猿楽,田楽などの演劇的所作がある。
 これらの芸能は,同時代に流行していた猿楽の芸を取り入れたと考えられているが,寺院の声明などの影響も認められる。
 室町時代後期以降,畿内の寺院ではしだいに行なわれなくなったが,地方寺院において,正月の修正会の行事として延年の芸能が行なわれるようになった。
 今日でも,岩手県平泉の毛越寺の延年や,栃木県の日光輪王寺,岐阜県の長滝白山神社(→六日祭)などで見ることができる。
 かつての延年の詞章は,多武峰延年(→多武峰)にまとまったものが残っており,興福寺には元文4(1739)年の『興福寺延年舞式』がある。

 延年(えんねん)とは (大辞泉引用)
 1 寿命を延ばすこと。長生きすること。
 2 「延年舞」の略。


 
 延年舞(えんねんまい)とは (大辞泉引用)
 寺院で、法会のあと僧侶・稚児たちが行った遊宴の歌舞。平安中期に起こり、鎌倉・室町時代に盛行。曲目は多彩で、現在は数か所でその面影を伝えるものが行われている。
 延年の舞。

 延年舞(えんねんまい)とは (大辞泉引用)
 寺院芸能の一。平安中期に興り、鎌倉・室町時代に最も栄えた。
 延暦寺・興福寺などの寺院で、大法会のあとの大衆(だいしゆ)の猿楽や稚児の舞などによる遊宴歌舞の総称。

 のちに遊僧と呼ばれる専業者が出現し、中国の故事に題材をとる風流(ふりゆう)や連事(れんじ)などは能楽の形式に影響を与えたといわれる。
 現在も地方の寺院にわずかに残っている。
 延年。

 延年舞(えんねんまい)とは (精選版 日本国語大辞典 引用)
 寺院芸能の一つ。
 僧侶、稚児たちが行なった歌舞。
 平安中期に起こり、鎌倉、室町時代に盛んに行なわれた。
 比叡山の延暦寺、奈良の東大寺・興福寺その他の大寺で、大法会(だいほうえ)のあとの遊宴の席で、余興として演じられたもの。
 伴奏楽器は銅鈸子(どうばっし)、鼓など。その種類は多く、のちには遊僧(ゆそう)という専門家も現われた。
 能楽中にもとり入れられている。延年。延年の舞。〔随筆・遠碧軒記(1675)〕



『天狗草子』という絵巻物があり、このブログでも何度か紹介させていただいているが、その中に、延年舞(えんねんまい)の場面が出てくる。

 僧兵たちが延年舞を円になって取り囲み、見てとなし無様子が細やかに描かれている。

『天狗草子』も好きな絵巻物の一つなので、その場面は覚えている。

 蔵書の絵巻物大成(上)の中には生憎『天狗草子』はないので、写真を載せられないのが残念。


 延年の後半には風流(ふりゆう)が行われたと、安田次郎著の『自社と芸能の中世』には記されている。


 維摩会の延年は、興福寺最大の法会の、藤原氏の祖である鎌足の忌日に合わせて十月の行われていた。

 こちらの様子はやはり馴染みのある絵巻物『春日権現験記絵巻』の維摩会の場面で絵が出てくる。


 延年の面子の問題などにも注目したい。


     当門跡に限り、代々に延年これあり。一乗院当職にはこれなし。
     (興福寺十二大会のししゅうえ(興福寺の法会のひとつ) 尋尊)
     (文明十五年十二月五日条)



 この跡、猿楽などに移るが、延年について調べたかったので記録はここにとどめたい。

 


 


 
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菅原道眞29 天神信仰はなぜ全国に広まったか。その理由理由にはまだ確信が持てない。今後の課題として茶を濁す。

2019年09月15日 | 菅原道眞


 


  菅原道眞29 天神信仰はなぜ全国に広まったか。その理由理由にはまだ確信が持てない。今後の課題として茶を濁す。


 天神信仰の広まった理由  (ウィキペディアより引用)
 天神信仰(てんじんしんこう)は、日本における天神(雷神)に対する信仰のことである。特に菅原道真を「天神様」として畏怖・祈願の対象とする神道の信仰のことをいう。
 本来、天神とは国津神に対する天津神のことであり特定の神の名ではなかったが、道真が没後すぐに、天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)という神格で祀られ、つづいて、清涼殿落雷事件を契機に、道真の怨霊が北野の地に祀られていた火雷神と結び付けて考えられ火雷天神(からいてんじん)と呼ばるようになり、後に火雷神は眷属として取り込まれ新たに日本太政威徳天(にほんだいじょういとくてん / にほんだじょういとくてん)などの神号が確立することにより、さらには、実道権現(じつどうごんげん)[1]などとも呼ばれ、『渡唐天神』『妙法天神経』『天神経』など仏教でもあつい崇敬をうけ、道真の神霊に対する信仰が天神信仰として広まった。

 

 天神信仰の発祥の地   (ウィキペディアより引用)
 北野天満宮と太宰府天満宮はそれぞれ独立に創建されたものであり、どちらかがどちらかから勧請を受けたというものではない。
 そのため、北野天満宮では「総本社」、太宰府天満宮では「総本宮」と呼称し、「天神信仰発祥の地」という言い方をしている。
 また、防府天満宮や與喜天満神社など最古の信仰発祥の地を称するところも複数ある。
 ただし「日本三大天神」などと称する場合には、太宰府天満宮を外して北野天満宮を残す例がある。

 

 各地の天神信仰   (ウィキペディアより引用)
 城の守護神として本壇に天神さまを祀っている松山城天神櫓(愛媛県)

 大名前田氏の家紋・加賀梅鉢
 北陸
 福井県や富山県では、長男が誕生するとそれ以後の正月、床の間に天神像(木彫や掛軸)を飾る。福井の一部地域では1月25日にカレイを供える風習がある。この掛軸などは、母方の実家から送られる。これは幕末の頃に教育に熱心であった福井藩藩主松平春嶽が領民に天神画を飾るよう推奨し、それを富山の薬売りが広めたという説がある。また、富山藩や加賀藩(石川県)など前田氏の他の支配地域や隣接地域でも同様の風習があった。金沢市には正月に天神と複数の従者の木像を飾る風習が昭和30年代まで見られた。前田家は菅原氏の出を称しており、その領内には天神社・天満宮が他地域に比べて大変多い。前田家の家紋が天神の神紋と同じ梅鉢紋であるのも、先祖が菅原氏であるためとされる。ちなみに前田家の家紋は「剣梅鉢」(加賀梅鉢)と呼ばれている。

 その他の地域の例
 広島県北部
 子供の初節句に、天神像等の人形を贈る。三次人形を参照。
 東京板橋区
 関東最古の天神信仰である。梅木の霊力で疫病が退散し梅木を祭祀し天神信仰が始まった。

 

 天神信仰はなぜこれほどまでに広まったのでしょうか? (Yahoo知恵袋 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12184326462)
 ↓
 ベストアンサー
 
 天神信仰は怨霊信仰から徐々に農耕神、学問神、訴訟に勝つ神や正直な神、仏教守護神と変化します

 菅原道真は「天満大自在天神(てんまんだじざいてんじん)」という神号が授けられますが、「天満」は「天魔」、「大自在天」はインド神話に登場する破壊と再生を司る神シヴァの漢訳名です
 天魔とは仏教修行を妨げる他化自在天界に住む天人のことで、第六天魔ともいいます
 他化自在天界に住む天人は自分より下層に住む天人や人間の快楽を、自分の快楽として受ける能力があるために、そこで快楽が減るの止めさせようと、修行者を妨げるとされます
 大自在天と他化自在天は本来は別の存在ですが漢訳仏典では混同され、道真の畏怖と落雷という実害から、「天満(テンマン=”あまみつる”)」と「天魔(テンマ)」が掛けて「大自在天神」となります
 またシヴァ(大自在天)の守護獣は牛なので、天神と牛は密接にかかわります
( 今もインドが牛を神聖視するのはシヴァとの関係からですね)

 で、落雷から天候を司る、また牛は農作業にかかわるので農耕神として信仰されます

 学問神としては和歌との関わりであり、中世日本では和歌は神仏の心に通じる神聖なものとされ、寺院や神社で盛んに奉納されます
 そこで和歌の神として道真が信仰されます
 特に室町時代には臨済宗の禅僧が好んで道真を禅画(禅の心を画いた絵)の題材とし、特に道真が唐に渡って禅の教えを受けたという「渡唐天神」という伝承までが生まれ、禅の隆盛も天神信仰の拡大に寄与します

 道真は藤原氏の讒言で左遷されたことから、正直を尊ぶ神であり冤罪を晴らす神として信仰され、領主や武士にもその面が好まれ、当時は契約の際には神仏の名を列記して違約しないことを誓いましたが、天神はそこには必ずといっていいほど書かれます

 仏教守護神としては道真は生前に比叡山と近い関係があり、生前に第三代天台座主、円仁(慈覚大師)の『顕揚大戒論』の序文を書いています
 天神伝説には、天台僧の尊意の前に道真の怨霊が現れて、藤原氏を守護する祈祷を引き受けないように願い出るという話があり、また大峰の金峰山(天台系修験が主力です)には天神が大峰の守護神の一つであり、また地獄の高官として醍醐天皇に懲罰を与えているという伝承があります
 道真は生前に観音を深く信仰していたので、十一面観音の化身としても信仰されて、そこから極楽浄土へ導く神ともされます

 また藤原氏も比叡山とも深く関係があったので、その面でも道真を恐れる気持ちから天神信仰と天台宗との関係性を一層に強める方向に進んでいったと思います
 そして藤原氏との姻戚関係などもあって、中世の地方氏族は藤原氏との関係から建立する寺院は天台系が多くなったことも、天神信仰の拡大に寄与したと思います
 また天台だけでなく真言宗側でも、道真は弘法大師の生まれ変わりという信仰が生まれ、このように仏教守護神として宗派の拡大と共に信仰が広まります

 さらに強力な怨霊神ですから他の怨霊を降す力も期待され、非業の死を遂げた人がいる土地に、あえて天神を祀って怨霊を封じるということもあります

 つまり他の怨霊信仰にはない、道真という人には個人の能力だけでなく、政治的・社会的・時代状況的関係性があったことで、他の怨霊信仰にはない様々な神格が生まれたんですね

      ということらしいですが、まだ調べていません。

 

 天神信仰はなぜこれほどまでに広まったのでしょうか?(Yahoo知恵袋)という質問に対して、さらに、こういうのがありました!!!

 ZXさん   (Yahoo知恵袋 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12184326462)
 祟りの内容が凄いほど、神として祀れば凄いご利益があると思われたから。

 現世利益と御霊信仰。


 


 菅原道眞 (道真)
 菅原道眞1 東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ
 
 菅原道眞2 秀才道真、業平と親交が深かったか…

 菅原道眞3 東風吹かば… 春を忘るな・(春な忘れそ) 『大鏡』『拾遺和歌集』

 菅原道眞4 メモ

 菅原道眞 5 大宰権帥に左遷。「日本三代実録葉」完成を報告したのは、時平と大蔵善行(901年)

 菅原道眞6 菅原道真は ろ号券 五圓紙幣にも登場していた。

 菅原道眞7 手向山八幡宮 このたびはぬさもとりあへずたむけ山 紅葉の錦神のまにまに

 菅原道眞8 北野天満宮 梅花祭(御祭神菅公の祥月命日に行われる祭典) 2月28日

 菅原道眞9 北野神社 2014年2月28日 北野梅園 梅!只今五分咲きです。(4景)

 菅原道眞10『北野天神縁起(光信本)』(北野天神 宝物殿)と、 絵馬堂の絵馬 

 菅原道真11 『北野天神縁起(光信本)』(北野天神 宝物殿)「牛が動かなくなった場面」や「雷となった道真さんから歌を教えられる場面」など

 菅原道眞12 北野天満宮 2014年2月 宝物殿 『北野天神縁起(光信本)』「長谷川等伯の大型絵馬」

 菅原道眞13 神戸 北野天満宮神社では展望台では異人館「風見鶏の館」と神戸港を見る事ができます。

 菅原道眞14 八坂神社・石見神楽『天神』 東風吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ

 菅原道眞 15 天神祭  花火と船能 『翁』『羽衣』『土蜘蛛』観世流   2014年7月15日

 菅原道眞 16  菅原道真 16 名がわからない天満宮と、「菅原道真公」の絵馬  「稲葉そよびて秋風のふく」  (5景)

 菅原道眞 17 太宰府「梅ヶ枝餅」 元は梅の枝に栗餅を巻き付けて道真公に差し入れたらしい。 (5景)

 菅原道眞 18 仁左衛門が太宰府天満宮で「三月大歌舞伎」(歌舞伎座)成功祈願

 菅原道眞 19 仁左衛門丈が菅丞相 通し狂言『菅原伝授手習鑑』 三月歌舞伎座 チラシあり

 菅原道眞20 『決定版 番付集成』より「日本國中 天満宮鎮座」 青木美智男編 柏書房

 菅原道眞21 京都観世会9月例会〈其のニ〉 (能) 雷電 替装束 橋本忠樹

 菅原道眞22 『観世流謡曲続百番集』『雷電』(らいでん)  445頁から454頁(10枚)

 菅原道眞23(道真)菅原伝授手習鑑- 菅丞相 役も当たり役の十五世片岡仁左衛門丈が2018年、文化功労者賞を受賞

 菅原道眞24 北野天満宮所蔵『北野天神縁起絵巻〈承久本〉』「平成記録本」全9巻 京都文化博物館 京の至宝と文化 を御観覧いただいた方が昨日だけで70名を超えておりましたので、再度記録いたします。

 菅原道眞25 一月一日の初詣は散歩がてら。家から程なく近い天満宮家から程なく近い村の鎮守の天満宮に参り、菅原道眞様に祈願する。(4景)

 菅原道眞26 丹念に予習した漢文は断念っする羽目になったが、夫の配慮で京都文化博物館『北野天満宮 信仰と名宝 ―天神さんの源流―』に行くことができ、満足した。展示内容は後日記録したい。

 菅原道眞27 『北野天満宮 信仰と名宝 ―天神さんの源流―』 京都文化会館 2019年2月〜4月

 菅原道眞28 御霊信仰は私の好きな菅丞相(菅原道真)が関係有り。又、御霊会に関係部会田楽について

 菅原道眞29 天神信仰はなぜ全国に広まったか。その理由理由にはまだ確信が持てない。今後の課題として茶を濁す。



   ☆ ☆ ☆
 北野天満宮所蔵『北野天神縁起絵巻〈承久本〉』「平成記録本」全9巻 京都文化博物館 京の至宝と文化

 乱読記録2012年97:『日本絵巻大成21 北野天神縁起「承久本」』解説/ 岩波古典『菅原文草 菅家後集』

 『天神縁起の系譜』「北野天神絵巻」(承久本)から巻一、巻二 須賀みほ編




北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻1


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻2


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻3


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻4


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻5


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻6


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻7


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻8


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻9 白描

  

『日本絵巻大成21 北野天神縁起「承久本」』解説/ 岩波古典『菅原文草 菅家後集』(7枚)

 日本絵巻大成 21 昭和54年 中央公論社より ▼



 


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Georges Albert Maurice Victor Bataille   ジョルジュ・バタイユ

2019年09月14日 | 読書全般(古典など以外の一般書)

 Georges Albert Maurice Victor Bataille   ジョルジュ・バタイユ



 ジョルジュ・バタイユ。正確には、ジョルジュ・アルベール・モリス・ヴィクトール・バタイユ(Georges Albert Maurice Victor Bataille)

 ジョルジュ・アルベール・モリス・ヴィクトール・バタイユ(Georges Albert Maurice Victor Bataille、1897年9月10日 - 1962年7月8日)は、フランスの哲学者、思想家、作家。フリードリヒ・ニーチェから強い影響を受けた思想家であり、後のモーリス・ブランショ、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダなどに影響を及ぼし、ポスト構造主義に影響を与えた。  (ウィキペディア)

 

 両親は無宗教であったが、本人の意志でカトリックに入信。
 敬虔なクリスチャンとして過ごす。
 その頃から神秘主義的な素養が芽生え始めている。
 その後フリードリヒ・ニーチェの読書体験を通して1920年代の始めまでには無神論者となった。

 

「死」と「エロス」を根源的なテーマとして、経済学・社会学・人類学・文学・芸術・思想・文化・宗教・政治など多岐の方面にわたって執筆。
 発表方法も批評や論文・評論、対談集から詩・小説・哲学書まで様々な形態をとる。1922年に名門グランゼコールの一つである国立古文書学校を卒業後、パリ国立図書館に勤務していた。

 

 哲学的には、レオン・シェストフから基礎をおっている[1]。シェストフとは、フョードル・ドストエフスキーとニーチェから出発して哲学の出発をした哲学者であり、バタイユはシェストフの本を共訳でロシア語から訳してもいる(1924年)。
 
 

 この頃から、シュルレアリストたちと行動を共にし始める。
 精神的に変調をきたし始め、アドリアン・ボレルの精神分析の治療を始める(1925年から26年まで)。
 一年で打ち切られるが、ボレルがバタイユに書くように励まし勇気づけたことで、その結果『眼球譚』という作品が生まれる。

 

 1929年から雑誌『ドキュマン』の編集に携わり、グラヴィアを交えながら様々な論を展開する。

 

 アレクサンドル・コジェーヴのヘーゲルに関する講義に、衝撃を受け、打ちのめされる。

 

 ロード・オーシュ名義で発表された処女作「眼球譚」をはじめとして、トロップマン(『空の青』の登場人物名。Henri Troppmann。また、1869年頃に暗躍した大量殺人鬼の名前でもある。Jean-Baptiste Troppmann)、ルイ三十世、ピエール・アンジェリック等の様々な筆名を使ったことでも有名。

『眼球譚』 "Histoire de l'œil"が有名


   

『自社と芸能の中世』(日本史ルブレット80)を読了ご、江澤健一郎著のバタイユの解説書を読んで楽しんでいる。

 本日はなんとなく、ジョルジュ・バタイユ気分。

   




 
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菅原道眞28 御霊信仰は私の好きな菅丞相(菅原道真)が関係有り。又、御霊会に関係部会田楽について

2019年09月14日 | 菅原道眞



    菅原道眞28 御霊信仰は私の好きな菅丞相(菅原道真)が関係有り。又、御霊会に関係部会田楽について



 御霊会とは


『自社と芸能の中世』(安田次郎著 日本史ルブレット80 山川出版社)によれば、御霊信仰は平安時代始め頃から見られるようになったとの事。

 有名なのは菅原道真の天神信仰という。

 御霊は道真のように政治的に非業の死を遂げた特別の人物だけではない。

 祇園社の牛頭天王や稲荷社の髪もそのタイプだという。

 この事は水分昔にも調べておそらくブログにも書いたような気がする。

『自社と芸能の中世』自体読むのはこれで二度目である。

 菅原道真や祇園社や稲荷社などは京都出身の私にも親しみを覚える人物や内容である。

 田楽では、

   この十日余日間、京都の雑人田楽鵜をなし、互いに以って遊興。云々

 とある。

 祇園御霊会を前にして、京都では一般の市民や院宮に仕える下級職員によって昼夜を問わず、田楽が盛んに行われていたという。

 田楽は道を塞ぎ、その演奏は喧しい(かまびすしい)ものであった。

 妖言、つまり気味の悪い流言が原因かとも、宗忠は書いている。


 田楽をめぐる熱狂の影響は、白川条項や堀河天皇の周囲にまで及んだ。

   巳の時ばかり参内。始終祇候(しこう)、今日祇園会の間、禁中無人。
   仍って始終御前に候ず。(『中右記』永長元年六月十四日条)

 宮中には一日中人がいなかったので宗忠は天皇につきそう。

  「田楽五十村ばかり」

 つまり一日中かけて田楽五十組ほどが構成されて演じられたようだ。

 五十村ばかりと言うのだから、各村々から田楽を演じるものが出演し披露したのであろう。

「田楽五十村ばかり」と言う表現は伝統芸能が好きな私には興味深い。


 
 御霊信仰は私の好きな菅丞相(菅原道真)が関係しているので、記録することにした。


 菅原道眞 (道真)
 菅原道眞1 東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ
 
 菅原道眞2 秀才道真、業平と親交が深かったか…

 菅原道眞3 東風吹かば… 春を忘るな・(春な忘れそ) 『大鏡』『拾遺和歌集』

 菅原道眞4 メモ

 菅原道眞 5 大宰権帥に左遷。「日本三代実録葉」完成を報告したのは、時平と大蔵善行(901年)

 菅原道眞6 菅原道真は ろ号券 五圓紙幣にも登場していた。

 菅原道眞7 手向山八幡宮 このたびはぬさもとりあへずたむけ山 紅葉の錦神のまにまに

 菅原道眞8 北野天満宮 梅花祭(御祭神菅公の祥月命日に行われる祭典) 2月28日

 菅原道眞9 北野神社 2014年2月28日 北野梅園 梅!只今五分咲きです。(4景)

 菅原道眞10『北野天神縁起(光信本)』(北野天神 宝物殿)と、 絵馬堂の絵馬 

 菅原道真11 『北野天神縁起(光信本)』(北野天神 宝物殿)「牛が動かなくなった場面」や「雷となった道真さんから歌を教えられる場面」など

 菅原道眞12 北野天満宮 2014年2月 宝物殿 『北野天神縁起(光信本)』「長谷川等伯の大型絵馬」

 菅原道眞13 神戸 北野天満宮神社では展望台では異人館「風見鶏の館」と神戸港を見る事ができます。

 菅原道眞14 八坂神社・石見神楽『天神』 東風吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ

 菅原道眞 15 天神祭  花火と船能 『翁』『羽衣』『土蜘蛛』観世流   2014年7月15日

 菅原道眞 16  菅原道真 16 名がわからない天満宮と、「菅原道真公」の絵馬  「稲葉そよびて秋風のふく」  (5景)

 菅原道眞 17 太宰府「梅ヶ枝餅」 元は梅の枝に栗餅を巻き付けて道真公に差し入れたらしい。 (5景)

 菅原道眞 18 仁左衛門が太宰府天満宮で「三月大歌舞伎」(歌舞伎座)成功祈願

 菅原道眞 19 仁左衛門丈が菅丞相 通し狂言『菅原伝授手習鑑』 三月歌舞伎座 チラシあり

 菅原道眞20 『決定版 番付集成』より「日本國中 天満宮鎮座」 青木美智男編 柏書房

 菅原道眞21 京都観世会9月例会〈其のニ〉 (能) 雷電 替装束 橋本忠樹

 菅原道眞22 『観世流謡曲続百番集』『雷電』(らいでん)  445頁から454頁(10枚)

 菅原道眞23(道真)菅原伝授手習鑑- 菅丞相 役も当たり役の十五世片岡仁左衛門丈が2018年、文化功労者賞を受賞

 菅原道眞24 北野天満宮所蔵『北野天神縁起絵巻〈承久本〉』「平成記録本」全9巻 京都文化博物館 京の至宝と文化 を御観覧いただいた方が昨日だけで70名を超えておりましたので、再度記録いたします。

 菅原道眞25 一月一日の初詣は散歩がてら。家から程なく近い天満宮家から程なく近い村の鎮守の天満宮に参り、菅原道眞様に祈願する。(4景)

 菅原道眞26 丹念に予習した漢文は断念っする羽目になったが、夫の配慮で京都文化博物館『北野天満宮 信仰と名宝 ―天神さんの源流―』に行くことができ、満足した。展示内容は後日記録したい。

 菅原道眞27 『北野天満宮 信仰と名宝 ―天神さんの源流―』 京都文化会館 2019年2月〜4月

 菅原道眞28 御霊信仰は私の好きな菅丞相(菅原道真)が関係有り。又、御霊会に関係部会田楽について



   ☆ ☆ ☆
 北野天満宮所蔵『北野天神縁起絵巻〈承久本〉』「平成記録本」全9巻 京都文化博物館 京の至宝と文化

 乱読記録2012年97:『日本絵巻大成21 北野天神縁起「承久本」』解説/ 岩波古典『菅原文草 菅家後集』

 『天神縁起の系譜』「北野天神絵巻」(承久本)から巻一、巻二 須賀みほ編




北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻1


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻2


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻3


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻4


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻5


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻6


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻7


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻8


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻9 白描

  

『日本絵巻大成21 北野天神縁起「承久本」』解説/ 岩波古典『菅原文草 菅家後集』(7枚)

 日本絵巻大成 21 昭和54年 中央公論社より ▼



 




 

 
   



 御霊会とは
 ウィキペディアによると、御霊会(ごりょうえ)とは、思いがけない死を迎えた者の御霊(ごりょう)による祟りを防ぐための、鎮魂のための儀礼であり、御霊祭とも呼ばれている。
 御霊自体は本来はミタマの意であった。
 平安時代、不慮の死を遂げた者の死霊(しりょう)=怨霊(おんりょう)へと意味が転化する。そして、天変地異はすべて御霊の所業と考えられ、御霊に対する信仰が出来上がった。
 また、平安時代には、863年(貞観5年)5月20日、神泉苑において御霊会が行われた。

『金光明経』・『般若心経』と言った仏教経典の読経とともに、歌舞音曲や民衆参加の踊りなども行われた。
 これはこの行事が神道的な祟の除去を目的としたことや民衆の参加を許すことで政治への不満や社会への不安から目を逸らさせる効果があったからだと考えられている。
 後に各地の寺社で同様の行事が開催されて神輿渡御などの行列や風流・田楽と呼ばれる踊りなども加えられ、時期も疫病が多発する旧暦の5月から8月にかけてに集中するようになった、との事。

 宗忠神社
 宗忠神社(むねただじんじゃ)は、黒住教の教祖である黒住宗忠を祀る神社である。京都および、黒住宗忠の生地で黒住教の本部のある岡山にある。

 黒住教 黒住宗忠
 
 ひゝ家内心得之事     http://kurozumikyo.com/dogmaより

 京都の宗忠神社
 京都府京都市左京区吉田下大路町63
 黒住宗忠は嘉永3年(1850年)に歿し、安永3年(1856年)に朝廷から「宗忠大明神」の神号が与えられた。
 文久2年(1862年)、宗忠の門人の赤木忠春らが、吉田神社より社地の一部を譲り受けて宗忠を祀る神社を創建した。
 慶応元年(1865年)には朝廷の勅願所とされ、皇室や公家から篤い崇敬を受けた。明治時代には県社に列格した。

 岡山の宗忠神社との区別のため、鎮座地名から「神楽岡宗忠神社」とも呼ばれる。
 流造の本殿は明治45年(1912年)に改築されたものである。本殿の北には、二条家より遷された天照大神を祀る神明宮がある。
 他に、白山比咩大神を祀る白山社、赤木忠春(赤木忠春神)を祀る忠春社がある。


 田楽とは
 田楽(でんがく)は、平安時代中期に成立した日本の伝統芸能。
 楽と躍りなどから成る。
「田植えの前に豊作を祈る田遊びから発達した」「渡来のものである」などの説があり、その由来には未解明の部分が多い。

 もともと耕田儀礼の伴奏と舞踊だったものが仏教や鼓吹と結びついて一定の格式を整え、芸能として洗練されていった。
 やがて専門家集団化した田楽座は在地領主とも結びつき、神社での流鏑馬や相撲、王の舞などとともに神事渡物の演目に組み入れられた。

 中世以来、各地に伝わる民俗芸能の田楽をまとめると、共通する要素は次のようになる[2]。
 びんざさらを用いる
 腰鼓など特徴的な太鼓を用いるが、楽器としてはあまり有効には使わない
 風流笠など、華美・異形な被り物を着用する
 踊り手の編隊が対向、円陣、入れ違いなどを見せる舞踊である
 単純な緩慢な踊り、音曲である
 神事であっても、行道のプロセスが重視される
 王の舞、獅子舞など、一連の祭礼の一部を構成するものが多い



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Tokyo 6 俳優座 音楽劇『人形の家』俳優座劇場プロデュースNo.108 作:イプセン 翻訳:原千代海 演出:西川信廣

2019年09月13日 | 舞台・芝居





  



Tokyo 6 俳優座 音楽劇『人形の家』

 俳優座劇場プロデュースNo.108
 2019年9月3日(火)~7日(土)



 作 ヘンリック・イプセン
 翻訳 原 千代海
 演出 西川 信廣
 作曲・音楽 上田 亨
 作詞 宮原 芽映

 出演 土居裕子/大場泰正/畠中 洋/古坂るみ子
     進藤 忠/長浜奈津子
     川口大地/本田玲央/納田洸太/樋山雄作
     仙崎貴子/竹本瞳子/宮田佳奈


 

 俳優座 音楽劇『人形の家』を見るにあたって、あらかじめ岩波文庫『人形の家』を読んでおいた。

 子供の頃から考えると今回読んだのは 5回目くらいであった。

 彼女の意思の強さ(幼子と彼女の行動から考えた身勝手さとも受け取れないわけでもない)から考え、ノーラのことは以下、日本語ではあえて「ノラ」と強調して表記させていただきたい。

 

 ここからは少し有名な役者が多くいらっしゃった俳優座やしない自体についても触れたい。


 音楽劇『人形の家』を見るにあたって、原作をいかに編集してあるのか、どこを膨らませてあるのかといった演出構成がされているかが楽しみであった。

 実際の舞台は、「愛」(現に会場前の舞台でも、また途中でも、クリムトのパネルが使用されていた。)を期待する部分が膨らませてあった。

 しかし、ほぼ岩波の原作の言葉のままで 7割りを演じ、芝居は進められた。

 


 初めから中場過ぎ頃(5/7位)までは三拍子で、あまりにも長い字余り。

 少し歌の部分を少なくされてもいいのかなと素人心でさえ感じた。だが、原作の翻訳の言葉に頼って、そこにこだわりを持っておられたのであろう。


 だが、はじめ部分の子供が母親であるノラにまとわりつき、
「今はダメ、あっちで待っててね(要約)」
と云った部分を省いてしまうと、ノラ自身の本質的人間性が見えてこないのでは!と脚本家に不満を覚えた。



 全体としては実際の舞台は、割合に重厚で興味深かったとも言える。

 不安定な三拍子は、ノラの心の揺れ動きや不安定さを表現されているのだろうかと思うと勝手に解釈して楽しむことにした。

 

 主役脇役中心になるの歌や言葉に合わせて、数人から八人の俳優女優たちが、内なる心の囁きの技法(?)で演じられる場面が多々あった。

 多々あったというより俳優座の養成的要素も含まれ、多用する必要があったかしらんと疑問を持った。



 こういった技法(?)は私が大学時代から多く見たことがある。

 このように描かれた舞台の表現法は、安部公房スタジオにも見られ、懐かしく感じた。

 10代後半の若かりし頃の私の微々たる感性が、私の体表面から息をこらし、少しほくそ笑む。

 
 
 後半のクライマックスの部分では4拍子に変わる。

 4拍子は力強く、安定。ノラの心の決断であったのだろうかと納得した。



 勝手な解釈で楽しむ、これぞ、素人趣味の醍醐味かもしれない。

 

 私は10代から本書のノラの生き方が嫌いである。何度読んでも、年を経ても、彼女の生き方に納得できない。

 今回、ノラに対しての拒絶的感覚は音楽劇を見て変わるのか、或いは変わらず嫌いなのかといった実験的鑑賞でもあった。


 だが結果はこうだ。

 舞台のノラを見てでさえ、過去5回ほど歳を変えて読んだ戯曲(小説)の中のノラに感じた時と同様。

 私の場合はノラの生き方自体に釈然とせず、また言い訳にしか聞こえず、原作のノラに腹がたった。

 腹がたち悶々とした気分が続き、朝までほぼ一睡もできなかった。


 結果一晩腹を立てて眠れるほど、ノラに反感を持っていた。

 そういったことを考えると、俳優座の役者さんたちや演出は大変上質でうまく、また良いお舞台であったと考える。

 ノラ役の女優さんも、医者役の俳優さんも表情や表現や間の取り方ががうまかった。

 夫が誘ってくれた俳優座であったが、見てよかったと思える舞台ではあった。何事も経験である。

 ただ、気がつけば10月には神戸があるとのこと。わざわざ東京で見なくても良かったのではないか?といった多少の動揺がちらほら、いらぬことは考えるが良きかなで心の内にしまっておこう。

 また、加藤剛さんなどの舞台を見て見たかったよ欲望は尽きない。

 

 俳優座劇場は客席から舞台がとても見やすく、良い劇場であった。


 周りを見渡すと、関係者や常連の観客の方々がかなり多かったような感じがした。

 おそらく以前は女優さんであったのでかしらんといったおしゃれな装いに身を包まれたご婦人や殿方もいらっしゃった。

 だが、梨園のお内儀の装いとはまるで違う。

 仁左衛門丈のお内儀様の装いなどを見慣れているため、カラフルなターバンなどを巻いた方々を見て、絵本『ナイルのワニくん(喰われたパリジャンヌの衣装)』を思い出してしまったのは、申し訳ない。

 私はお金持ちである方でコート(京都弁で、シック とか落ち着いた、品のあるというくらいの意味合い)からかけ離れた派手めのファッションにとんと疎い。

 

 俳優座のお舞台では、一幕が終わったあとや感動に値する役者さんの歌い終わりでさえ、拍手は全くない。



    しーん しずかだー

    おーい 誰もいないのかー        (谷川俊太郎)状態であった。


 それもそのはず、私は後方席であったが、周りには眠っておられる方々が多くいらっしゃる。


 気になったのは前方席中央席の客すら、誰一人として拍手がなかったこと。

 また、カテコも二度で盛り上がりはなかく、立ち上がるほど感激された方もいらっしゃらなかったようだ。

 無論、感動の言葉や役者名も飛び交わない。会場はお行儀よく、終わりのライトが照らされ帰りを急がされる。

  

 終わってからスタッフ(おそらく、役者さん。話す途中に、雰囲気を醸し出しておられた。)に質問させて頂いた。

 スタッフからは俳優座はいつもこんな状態だと教えて頂く。

「俳優座からはお客さんに、拍手をして下さいとも、しないで下さいともいってない状態です。俳優座はこれまで大体こんな感じです。商業演劇ではないので…」
とおっしゃる。

 舞台鑑賞にあたり、基本は拍手せよとかしてはいけないとかそういった決め事はなく、劇団や興行者からの指図はない。

 確かに俳優座からはお客さんに、拍手をして下さいともしないで下さいともい言ってない状態であるのは、一部を除けば俳優座に限らず理解できる。


 一部歌舞伎役者のようにうまい大向こうには食事を奢ったといったエピソードや、お現在でも大向こうの回まで発足されていることを考えると、例外もある。拍手をしない意味では能楽もまたしかり。


 能楽ですら、すり足の音が聞こえなくなるというのに、橋掛りを戻っていかれる途中でさえ爆発されていらっしゃる観客を見かける。

 逆に言えば、能楽で感激しすぎると、拍手がないという事実もあるのだが。その話はまた別の内容なのでここでは割愛したい。


 私は基本能楽は終了後あまり拍手はしないが、芝居やミュージカルやコンサートは商業演劇や小劇場の演劇に限らず感動すれば拍手をしてしまう。

 観客は心の内なる感動を無意識(あるいは惰性で)拍手という形を借りて役者に答え届けているのだとばかりに思っていた。

 現に小劇場でも、自主公演のような舞台であっても、わかりやすいところでは1970年代に三度ばかり見ただけの安部公房スタジオでも、拍手の渦が巻き起こっていた。

 スタッフのおっしゃる、商業演劇ではないのですから、拍手はないと言った馬鹿げた言葉は他の劇団では当てはまらないような気がするのだが、私は単なる素人観客なので実のところはわからない。

 

 東京ではお上品なのかと思い、ノリが悪いのだろうかと思っても見たが、翌日新橋演舞場のミュージカル『ペテン師と詐欺師』を見ると、関西よりもノリが良かった。

 私は音楽劇『人形の家』を見て、一夜安部公房先生は関西を馬鹿にされていたのではないかと疑ったのだが、ミュージカル『ペテン師と詐欺師』を見て
『これが安部公房先生のおっしゃっていた、関西はノリが悪いと言うことか。』
と、改めて納得したのであるが、東京の俳優座はそういった意味で、もっとノリが悪かった。

 いや、眠りながらも拍手も忘れるくらいに感動なさっておられお上品な観客が多かったのであろう事にしておこう(笑)

 

 お能のように(とはいえ、私は『観世流百番集・続百番集』を用意する程度は、能楽好きである)お行儀よく見たおられた俳優座のおなじみらしい関係者やファンの観客。

 私がスタッフに質問し納得もできずに話し終え、ロビーの夫の元へ戻ると、




       驚いた。


 出入り口近くのロビーいっぱいには多くの役者が出ておられ、お目当の役者さんたちを取り各務観客で大にぎわいであった。

 舞台作品の余韻を楽しみたいと言う感じは受け取れなかった。

 舞台では盛り上がらずの客が、送り出しあるいは交流会(?)で大盛り上がるとは、演劇も世の末と心が滅入る。

 私から見て、俳優座は不思議な劇団と観客と云った構図であった。

 芝居時代は体操内容が深く、いいお舞台であるのに、もったいないなと心底思った!!

 

 宝塚にもファンクラブがあり、親衛隊のような取り巻きがあるが、そういった感じでもない。

 舞台中は眠ったりお行儀よく見ている観客は、くらいロビーの中にごった返し、俳優と戯れておられた。

 

 小芝居をする旅役者の送り出しよりも派手であった。

 各役者への取り巻きの渦はロビーいっぱいを占領し、下品な世界もあるものだとその場を去った。

 小芝居の役者の送り出しなら各観客を一列に並ばせ、握手や写真程度で一定の秩序があり、私のようにそれがいやな客はわきから逃れられる。

 ピアノコンサートでCD購入者に一般客に邪魔にならぬように横の方で一列に並ばせて握手されるので邪魔にはならないし、逆に微笑ましい。

 
 だが、俳優座は狭い出入り口のロビーである。

 出入り口で関所状態は一般客には辛い。


 俳優座は初手から馴染みの客だけをニコニコと相手にし肩に手をかけ、接触し、満面の笑みで写真を撮らせる。

 一般客が俳優の前を通り俳優を見ると睨まれ、そっぽを向かれる。

 まぁ、所詮こういった役者なのかと、打倒の役者に今も呆れ果てる。


 上にも書いた宝塚は、会場も庭も広く、一般人の邪魔にならないところでファンを楽しませておられ、それは関所にもならず、帰っていい光景であると目を和ませられる状態なのである。

 やるなら、一般客の邪魔にならないところで楽しんでくださいと、内心叱りたいほどの、一般観客から見れば非常識な劇団であった。(笑)

 

 舞台を全うされていらっしゃるのだから、舞台で勝負されるだけでいいのではないか、あるいは、公の場ではご贔屓の方にだけ接すればいいのではないかと思ったのだ。

 舞台中は居眠りし、芝居ごに役者とフィーバすると言ったちぐはぐで後味の悪い公演を見たものだと、後悔をした。

 俳優座の先人大役者さんたちや指導なさっておられる有名大役者やスターはこの事実を知っておられるのだろうかとも疑問に感じた。

 芝居が好きで余韻を楽しみたい客向きではない本公演には唖然とした気持ちで会場を後にした。

 

 所詮、貧乏人のたわごとであると聞き流していただきたい^^


       身内は楽しんでおられたことだし
       役者も自己満足されていらっしゃったようだし
       私もある意味東京らしい舞台興行を見ることができ、
       楽しきゃそれでいいんじゃない!!^^ わっはっは


 初日は半額(歌舞伎の初日はチケット1枚で1日見られたような時代を思い出す。)
 例に見た事がないような安価な舞台といった意味が理解できた。
 確か初日はハーフといって、一枚2500円くらい?)。二日目以降でも5000円といった破格値に安い舞台のお値段であった。
 私は旅役者の小芝居ほどのお値段ですものねねと、諦め、同時に、そりゃ、この値段だわ!と納得した。


       すこーん すこーん
       こめだんご

 
 






 ノルウェーの作家イプセンは社会劇の創始者と言われ、特に1879年に発表された「人形の家」は新しい女性像を世に示し、近代劇の出発点となった作品と評されています。その「人形の家」を演出の西川信廣、作曲・音楽の上田亨、作詞の宮原芽映と共に音楽劇として2017年に上演、高い評価を戴きました。
ノーラを演じるのは、その美しく透きとおる歌声で客席を魅了する土居裕子。夫ヘルメルには大場泰正、運命の鍵を握るクロクスタに畠中洋、親友リンデ夫人に古坂るみ子。進藤忠、長浜奈津子の実力派と、オリジナル戯曲には無いアンサンブルを登場させ劇世界を拡げます。


 
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明日は映画に行きたいと思いながら、あれこれ御託を並べる。時にはこんな私があっても、いいんじゃないかぇ?

2019年09月12日 | 乱鳥徒然 Rancho's room.
 三番叟    天神祭に 帝国ホテル前 船能


 

 明日から蜷川実花監督の『人間失格 太宰治と3人の女たち』が上映される。

 只今『太宰治全集 小説9』の中から昔読んだ「人間失格」を再読しているが、あと十余頁というところで止まっている。

 同じく『太宰治全集 草稿』にも「人間失格」が載っているので、こちらも読んでから映画に挑もうと思っていたが、おそらく時間切れ。

 蜷川実花監督のお話だと、三人の女性たちもエッセイか何かを書かれていらっしゃるようなので、そこまでたどり着きたかったが、とにかく、明日は何があれ、是非封切りの『人間失格 太宰治と3人の女たち』を見たいと意気込んでいる。

 
 
 さて、小説「人間失格」だが、なんとなく懐かしい描写が思い出され、小説を読んでいて眠ると、中学生の頃よく見た夢を久しぶりに見た。

 それは、某作家の小説の一場面であった。

 夫に夢の一部を話すと、見事に小説家と作品名を言い当てた。

 小・中学生の頃は小説にはまり、有名な小説は全部読んでやるぞと息巻いていた。

 一日中ほんと格闘し、一日で新潮文庫3,4冊を読むことも何度かあった。

 今ではそこまで読む気力はないのだが、昔読んで感動したものや、逆に嫌いだった作品を読み返して、齢を重ねた今の私ならどう感じるのか探って見たい気がする。

 

 時間が欲しい!

 時間の使い方が悪いのか、やりたいことが多すぎるのか、毎日が不完全燃焼気味である。

 映画も見たい、芝居も見たい。

 美しいものを見たい。そして本を読み、芸術と戯れたい。

 

 どういうわけか、本と古典と芝居と芸術が一筋の道に繋がりを見せ始め、何を見ていても読んでいてもその関連性に気づき、楽しい思いをしている。

 先月は『日本書紀』を読み進めていて、あれも、これも芝居になってるよねって、一人で納得してほくそ笑んでいた。

『古事記』は完読したことがあるが、『日本書紀』を読んでないことにコンプレックスを感じていた私。

 またほんの一部を読んだだげだが、『日本書紀』って結構面白いねと感じた。

 奈良の歴史はとんと疎い私だが、芝居と本や古典と美術と音楽を繋げて楽しむアホさ加減だけは負けないよと、自分をかばう。

 集合体の問題で、今私は落ちこぼれてるのか知らんとほくそ笑む。

 
 
 大阪歴博の講演や奈良の大和川の三講師の講義では古い資料に基づき大阪から肥料、奈良からは綿を大和川で運搬していたとお聞きしたことがあるが、それに寄れば、肥料と載っていた。

 某氏寄れば、大阪からは味などの魚の肥料であり油粕ではないとおっしゃった。歴史には自信がないので、その場で自分の言葉を持たないのが残念である。

 大阪伏見区呉服町で大文字屋 を始めた三田氏が干鯵(ほしか)や油粕の肥料商や柏原船の船仲間や地主として栄えたと伝えられているので、油粕も奈良に船で運搬されたことは否定できないであろう。

 大阪歴博では肥料や米相場の話を聞く機会が多かったなと、懐かしむ。

 

 ネットで調べてみるとほんの3,4年前、NHKの朝のドラマ(?)ではこれに近い話が取り上げられていたようだ。

 私はNHKの朝ドラ(?)と大河ドラマを見たことがないので知らなかったのだが、大阪からはにしん(?)が大和川を伝って奈良に運ばれたという場面があったらしい。

 

 奈良でも菜種油などをとっていたり、東大寺など独占権を持っており、闇で安価な油を売ると僧兵が火をつけたと言った資料が残っている。

 奈良でも油粕は採れたに違いないが、戦国時代においては京都の大山崎の大山崎油座があまりにも有名であることも忘れてはならない。なので、ここでも油粕は大量に採れたと想像できる。

 奈良は至る所に田畑があるちゅ高菜土地だが、私は奈良の油粕も多く採れたに違いないが、大阪からの肥料が運搬されていたことを考えると、奈良油粕高はどれくらいであったのかと想像するが、本日読んだ資料の趣旨からかけ離れている内容なので、歴史嫌いの私にはもうどうでもよくなってきた。

 それより御託鵜を並べてないで、明日の映画に備え、体力温存のために眠るかあるいは太宰の小説の続きを読むか、はっきりしなさいと自分を叱りたい。

 陽はまた登る。

 




 
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『無愛想のススメ 人間関係が劇的に改善する唯一の方法』 2016年 池田 潤 (著)

2019年09月12日 | 読書全般(古典など以外の一般書)
 革製のトンパ文字の書物   中国 雲南省にある博物館にて




 『無愛想のススメ 人間関係が劇的に改善する唯一の方法』 2016年 池田 潤 (著)


 
 今月3,4,5,6日と日曜日を除いては、毎日お垢たら動かし教室に通っている。

 黙々と体を動かす作業をしていると、心の疲れは覗かれているような気がする。

 体の疲労感は、肩にのしかかっているように感じるが…。


 水が流れるべくして流れる方向に向かう。

 人間、生きてりゃ、なんとかなるものさ!






 以下はデーターベースより ▼

 無愛想になってみると、面白いことが起こる。試しに、次に挙げることをやってみてほしい。
・軽く扱われたときは、不機嫌になる
・返信する気がしないメッセージは遠慮なく既読スルーする
・相手の話が面白くないときは笑わない
・相手のご機嫌をとるようなことは言わない
・相手の期待に応えない
・行きたくないところには行かない
・「相手に悪いから」という理由でやっていたことを、やめる
・じつは言いたかったことを言う
・遠慮なく、やりたかったことをやる
・他人から否定されても、それでもやる
・媚びない、ペコペコしない、下手に出ない
これらは「やり方」だが、大事なのはこれらが「内面に変化を起こすアプローチ」であると知っておくことだ。これをやっているうちに次第に「自分は自分を大切にできる人間だ」「普通にしていていいんだ」「自分の思ったことをやっていいんだ」という内面感覚が生まれるようになる。
現実に変化を起こすためには、自分の内面の自己認識を変えなくてはいけない。なので、内面の変化を起こすために現実的な行動を変化させていくのだ。
コメント (2)
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