<iframe marginwidth="0" marginheight="0" src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=officedanke-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000C5PNV4&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000ff&bc1=000000&bg1=ffffff&f=ifr" frameborder="0" scrolling="no" style="WIDTH: 120px; HEIGHT: 240px"> </iframe> | 「博士の愛した数式」を、週末、見に行った。美しい日本映画が、1本送り出され、観客となった幸せをかみしめた1時間57分だった。公式サイトは、ココ 博士の愛した数式 小川洋子の原作小説を読んだとき、簡潔で、りりしい文体で紡がれる物語を、映像化するのは、予想がつかなかったところがある。主人公の博士同様、彼が愛した数式それ自体が重要な役割を担うからである。数式が持っている完成美を、原作者は、言葉を尽くして表現しようとしたが、小泉堯史(たかし)監督は、それを、どう映像で、表現していくのか? 事故で、記憶を80分しか保持できない数学者に、円熟の寺尾聰を配し、彼の世話をするため派遣された家政婦の杏子に、深津絵里、息子のルートに、10歳の斎藤隆成と、小泉監督が、望みうる万全のキャスティング。 |
キャスティングの重要性については、クリエイターズステーションの小泉監督のインタビューに詳しい。監督の寺尾さんへの絶大な信頼があって、この映画は出発している。完成した映画は、博士を、寺尾聰以外に演じることは考えられないと誰もが思うものになった 小泉監督は、映像化の難関であった数式や数学の魅力を伝える難しさを、成長したルートが、数学の先生となり、黒板を使って、授業で学生に教えるという演出プランを思いついた。先生は、吉岡秀隆が演じた。カンペキだ(笑)この映画的手法は、見事に成功している。 ルート先生は、学生に、楽しげに、わかりやすく数学の説明をしながら、過去の自分たち母子と博士の物語の語り手になる。博士と母と3人で過ごしたかけがえのない時間の映像が、組み込まれ、その過去と現在の絡み、配分が、絶妙だった。 「時は流れず」と、ルート先生は、最後のほうで、黒板に書く。博士と過ごした過去の時間は、ルート先生自身には、現在に引き継がれ、永遠の時を刻んでいる。 博士の人物像が、秀逸である。記憶障害があり、数学のことしか頭にない浮世離れした人物。経済面では、義姉の援助に頼り、およそ「実生活」というものが営めない。 そのぶん競争や、見返りといったものから、無縁。あくせくした現実社会と遊離した存在であるからこそ、無垢でもある。そんな彼が、無条件に、子供をいたわり、可愛がり、慈しむ。 ルートの母親役に挑戦した深津絵里の清々しい演技が光った。数学の美しさを、博士に教えられ、きらきらした瞳で見返すところや、博士が、自分の記憶が80分しか持たず役立たずだと自嘲するとき、精一杯慰める演技も良かったが、息子のルートが、博士に頭をくしゃくしゃになでられて抱擁されるさまを、息をつめて見守る姿が、何より記憶に残った。今までにない新境地だと思う。 映画では、浅丘ルリ子が演じた義姉と博士が、原作以上に、はっきりと、ただならぬ関係であったことが示される。義姉が、妊娠した子供を中絶したことまで匂わせている。博士と家政婦とルート少年の3人の団欒を嫉妬し、家政婦を解雇、そして親子を受容するところまで、一連の義姉の過程を入れたことが、生々すぎると拒絶する派と、受け入れる派と評価が分かれるようだ。 カッチイは、能のシーンを挿入し、博士に、そのような痛ましい過去があり、その過去までは、博士の記憶が残っているという設定にしたのは、博士のキャラクターに、より深みと悲しみが出てよかったと思う。 映画で、3人が池の前で手をつないで、ぽつんと石が投げられ、水の輪が広がっていくのを見つめる後ろ姿が映し出される。輪は、ゼロで、○であり、完全である。それを、不完全であり、無関係の3人が、確かな絆で結び合って、見つめる。 最後は、博士の笑顔のストップモーションで終わる。寺尾聰の穏やかで、慈愛に満ちたイノセントな微笑みを、小泉監督は、撮れて、この映画は完成したという実感を持ったことだろう。人の表情ほど、雄弁に物語るものはない。 残念なことに、杏子やルートが、どれだけ博士を敬愛しても、その想いは、博士の記憶に残らない。それでも、あの博士の微笑みを見れば、無償の愛というものの本質を、私たちは、教えられるのだ。自分の愛が報われることを期待しない。ただ、その人が存在してくれることを「感謝」する。成長したルートが、海辺で博士に、頭(こうべ)をたれて一礼した姿は、それを体現していた。 美しい日本の自然を映しこんで、小泉監督は、ぶれない確固たる信念をもって、この映画を作り上げた。日本映画ならではと思ってしまう詩情と、慎ましい端正さに満ちている。 この映画のよさを、しみじみ堪能できる自分であって嬉しい。 |