昨日は、一昨日の荒天とうってかわって
秋晴れの1日。
陽射しがまぶしく、真夏のような気温でした。
そんな中、従弟の葬儀告別式。
弔問に訪れた時は、しっかりとしていた
叔父と叔母でしたが、最後のお別れの時とあって
泣き崩れてしまい、何と言葉を掛けてよいのやら
困りました。
親よりも先に逝ってしまうということ。
叔父が最後の挨拶の中で話ていましたが、
親不幸だったのだと思います。
でも、楽しい思い出もたくさんできたのだと。
きっと、長くて辛い闘病期間だったのでしょうが、
闘病をしていなかったら、親子の親密な時間は
とれなかったのかな。。。(勝手に解釈しました)
実父が病気になったときも、確かにそんなことを
感じました。
でもね、健康体であるときに、その時間を共有したいよね。
叔父・伯母(叔母)が90代、80代、70代となり
いつどうなるかわからない年代になりました。
従兄弟たちが多数集まったこともあり、従弟会のLINEを
組んできました。
血のつながりがあるからこそ、幼少の頃遊んだ記憶があるからこそ
切ない時間でした。
親よりも長生きしないと。。。
秋晴れの1日。
陽射しがまぶしく、真夏のような気温でした。
そんな中、従弟の葬儀告別式。
弔問に訪れた時は、しっかりとしていた
叔父と叔母でしたが、最後のお別れの時とあって
泣き崩れてしまい、何と言葉を掛けてよいのやら
困りました。
親よりも先に逝ってしまうということ。
叔父が最後の挨拶の中で話ていましたが、
親不幸だったのだと思います。
でも、楽しい思い出もたくさんできたのだと。
きっと、長くて辛い闘病期間だったのでしょうが、
闘病をしていなかったら、親子の親密な時間は
とれなかったのかな。。。(勝手に解釈しました)
実父が病気になったときも、確かにそんなことを
感じました。
でもね、健康体であるときに、その時間を共有したいよね。
叔父・伯母(叔母)が90代、80代、70代となり
いつどうなるかわからない年代になりました。
従兄弟たちが多数集まったこともあり、従弟会のLINEを
組んできました。
血のつながりがあるからこそ、幼少の頃遊んだ記憶があるからこそ
切ない時間でした。
親よりも長生きしないと。。。