12日の天皇陛下御在位20年記念式典をテレビで見ていて、懐かしいお顔を見かけました。一瞬誰のこと、名前が浮かびませんでした。まさか、でも……。もう一度画面にお顔が出たときに、思い出しました。ペシャワール会の中村哲医師でした。新潟地震で復興に務められた泉田裕彦・新潟県知事らと共に各界の代表として、両陛下と同じ壇上に座っておられました。
天皇陛下の御意志なのでしょうか。それとも鳩山総理が式典の重責ですから、政府の意向なのでしょうか。アフガニスタン戦争の当事者・オバマ大統領を迎えるに当たっての、日本国の意思の表明です。これは明確な日本国の対アフガニスタン政策の意思表示です。
昨日の寄稿に続いて、「 神の絶対的な意思 」 と人間の自由についての考察をすすめたいと思います。まだそれほど 『 ヨシュア記 』 を読みこんだわけではありませんので、誤解しているのかも知れません。ただあまりに何度も、なんども、根絶やしの殺戮の話を読まされてしまいますと、この神の恐ろしさに戦慄します。ついつい、イラクや、アフガニスタンの現状と二重写しに考えてしまいます。「同時多発テロの犯人・アルカイダの支援国」あるいは「大量破壊兵器を隠し持っている」このフレーズは、異教徒へのメッセージであり、自分たちにしてみれば、「絶対的な神の意志」を信じさえすればよい。この事に尽きると思われてしまうのですが、如何でしょう。選ばれた民は、神が与えたもうた其の町を、神の命ずるままに、例えば神の声を聞くヨシュアが『ときの声をあげよ。主はあなたたちにこの町をあたえられた。町とそのなかにあるものはことごとく滅ぼしつくして主にささげよ。』と命ずれば、< 城壁が崩れ落ち、民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した。彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼしつくした。>と記される様なおぞましい行いを遣ってのけることが出来るのです。
日本人の歴史に於いて見てきた戦というものは、そうとう違った様相をしています。
平家物語の熊谷次郎直実と平の公達・敦盛の話はあまりにも有名です。
「小次郎が薄手負うたるをだにも、直実は心苦しく思ふに、この殿の父、討たれ給ひぬと聞き給ひて、さこそは嘆き悲しみ給はんずらめ 」
敵将を組み伏せて、いざ首落とさんと顔をあらため見れば、自分の息子の小次郎と同じほど、年若の貴げな武者。心情に於いては逃がさんとするも、後ろから追いつく身方の手前もあり、仕方なく首級をあげてしまった。この顛末に悩み苦しみ、ついには出家する。
日本の場合はどうも、戦争をするのは人間で、
神は加護はするが殺せと命じたりはしない。
ヨシュア記は昔のお話し。現代の戦いは、それよりもっと悲惨なものとなっている。
ダイナマイトが発明され爆弾や火器は飛躍的な 「 発展? 」を見せた。自動車・車両、船舶と航空機、これらの発達は戦争を世界規模にしました。我が帝のお言葉にもあるように先の大戦での死者は 3,100,000人。ヨシュア記の世界の比ではありませんでした。
軍での銃乱射事件、「いつどこで起きてもおかしくない」 市民団体が警告
クリントン、ブッシュそしてオバマが引き継いだアメリカは現代の大きな戦争の殆どに関与してきました。いま我邦を訪れている米大統領も『敵を殺せ』と命じざるを得ません。イラク・サマワに派遣された自衛隊員。現代の絶対神は政府権力です。我が自衛隊の20余名はこの神の意志により死地に赴き還ることはありませんでした。その実態は国民の目には見えません。ベトナム戦争の死者は200万人を越えると言う人もいます。今回のイラク戦争の死者も、万は超えます。十万単位と語る人もいます。
日本国憲法は紛争解決の手段としての戦争を禁じています。戦力の保持も禁じています。替わりにアメリカ軍が平和を守ると「日米安保」があります。言い方を替えれば、明治憲法を廃止させ、米軍の威圧で日本国憲法を押しつけ、日本人の自衛の権利を鎮圧するために米軍の基地を配備しています。イラクで起こったことが日本でもあったのです。
日本人の心の紐帯はこの、敦盛と直実の心情を呼び覚ますことにあるのでしょう。
昨晩の両国首脳の記者会見において、鳩山総理の自信に満ちたスピーチの陰で、オバマ大統領は心なしか終始うつむき加減でした。彼の本来の任務は、現代の宗教戦争を終わらせることにあります。十年、二十年かけて壊したアメリカの心の紐帯を再構築するには、何年もかかるのでしょう。今年の初めに任に着いたオバマ氏の試練はまだこれからです。精神科軍医・大佐による乱射事件は、アメリカ軍の内部崩壊を語って、余りあります。
人間の絶対的自由 その1
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