久しぶりにはれるかな~
とか、とにかく信じて、足尾に撮影に
行ってきました。
昨日のことです。
いま豊洲市場の汚染対策にかんして、様々な疑問が噴出しています。
足尾銅山の煙突から排出される、有毒ガス等によってご覧のようなはげ山になってしまいました。外国から安い銅が輸入されはじめて、足尾銅山はついには閉山となりました。1977年ごろにはもう採鉱は終わっており、外国製の鉱石を製錬する事業が少し行われていた。1989年には是も廃止された。
緑化事業が開始されて、もう 60年余になります。
上の画像は、昭和52年当時ははげ山だった、足尾砂防堰堤の右奥にある久蔵川です。
もう完璧に自然が回復しています。
上の絵は半月山駐車場からみた足尾松木沢の様子です。
松木沢最上流部の観測監視区域が、赤茶色の荒れた山肌を今でもさらしたままです。
緑化区域との比較検証の為なのでしょうか、あるいは他の地域での植林が終われば、この地区も緑化されるのでしょうか。この岩盤むき出しの山が、もとの鬱蒼とした森に戻るのには、あと 50年はかかりそうですね。
豊洲市場建設では、本当に都民への説明どおりに盛り土が為されていませんでした。
建物のない部分には盛り土がなされたと、マスコミ報道ではイメージされていますね。でもホントはどうなのか、実際に掘って調査せねば判りません。
汚染土を除去した上に、清浄な土壌を 4.5㍍盛り土すれば、たとえ僅かに取り残された、汚染土からの汚染物質上昇は、ほとんど抑えられたことでしょう。そして水は天からもらい水。雨は盛り土に沁みて、下から上昇してきた汚染物を浄化してくれます。普通の土壌の中には、様々な菌糸やバクテリアがいて、様々な化学物質さえも分解して浄化してしまう。ところが、この盛り土のない建物下の空間には、(汚染された) 盛り土の中の、ヒ素だとかシアンが溶けて流れ出してきて溜りだした。
わが郷・左近尉の考えるに、土建屋の脳みそには湯田菌が蔓延していた。都職員にもその毒が廻っていた。そして言いづらい事だが、我が敬愛すべき石原慎太郎・元知事にも菌糸が伸びていた。豊洲移転を決定したのは、石原当時都知事だった。
足尾鉱毒で
枯死した
森を再生した。
その手始めには、ヘリコプターだとか、あるいは初期の頃は、人力で土壌を岩山、はげ山に担ぎ上げた。
其処に草だとか低木の種を蒔いた。
こうして少しづつ、土と雨によって、森が甦りはじめた。
さて、土建屋さんだとか、接待などを受けたであろう都職員の、その頭の中に清浄な森が甦るのは、何時のことなのだろう。
湯田菌の毒素は 強毒であった。 ポチっ とお願いします。
(当ブログでは記事内容の重複を避けて、投稿記事をシンプルにするために、紺色 の文字で書かれた部分は、その関連記事にリンクするようになっています。クリックすれば、その記事が開きます。画像もクリックすれば、関連記事が開きます。開かない映像もあります。それはまだ、準備中ということで、なるべく早く整備したいと思っています。本日の記事に帰る場合には、一番下にある、HOME の部分をクリックすれば、戻ってこられます。)
宜しかったら、この辺りで ポチっ とお願いします。
本日の話題の記事
東京都尖閣諸島寄附金 受付状況 は、
こちら にサイトが設けてあります。