報いられる時が来た。
与論島全部をくまなく歩いてみようと思ったのは何時のことだったろうか。
学生時代にミカンコミバエ防除のアルバイトで
島内を200メートル升目に区切り
薬剤の注入されたテック板をつりさげて回った。
畑の周りはあぜ道を渡り
手ごろな木の枝にくくりつけて回る。
断層の崖のところは、
怖いところや危険な箇所も多くあり
適当につりさげることにした。
ひと夏の経験だったが、
与論島の地形に詳しくなったのは確かだった。
4年生の春休みと夏休みは
観光協会でアルバイトしながら、
卒業論文の資料を集めた。
観光ブームににわかに沸いた与論島の将来がどうなるだろうかを考えたかった。
ヨロンパナウル王国ができたてのころ、
港にごった返す客の誘導案内係だった。
「離島観光ブームと与論島の将来」書き上げて提出したのは12月のはじめごろだったろうか。
役場への就職は内定していた。
臨時職員の期間が必要なのですぐに戻れと、
父から連絡があり
アパートを引き払って島に帰ってきたら、
観光課に