現物をみせてもらい、
見つかった場所(畑)をみせてもらい、
拾った本人から話を聞くことができた。
洞窟の探検案内をする場所の近くで石斧が見つかったことは
記録で知っていた。
町誌の追録原稿にも出てきているので、
現物をこの目で見たいとの希望が叶ったと同時に、
拾った本人からその時の現場の様子を聞き出すことができた。
遺物調査は予想を通り越して
とんとん拍子に成果が出てきた。
呉屋先生の見込みの場所を案内するたびに
成果が上がるので
驚きの連続である。
私が未だ確認していないジシを案内されて、
興奮のあまり
頭を洞窟の岩にぶっつけてしまい、
血まで流してしまった。
先生のめぼしを付けた箇所をほぼ回りつくしたら5時前になっていた。
またもや予定を変更して調査を続けるとのこと。
結果報告を土曜日に受けることにして
家まで送ってもらった。
呉屋先生と私の出会いが
与論考古学の新ページを開くきっかけになるだろう。
与論島」・琉球の原風景が残る島、
続編は
泡盛窪の神がかりで」雑記・で
書き出そう。
ちぬまんだいのブログで一年後を
お楽しみに。