第四部 Generalist in 古都編

Generalist大学教員.湘南、城東、マヒドン、出雲、Harvard、Michiganを経て現在古都で奮闘中

「せつい」に注意。大学にきて2年経ちました。

2018-10-04 16:09:33 | 総合診療

   

みなさまこんにちは、島根にきてはや2年経ちました。

カルテも使えない、「せつい*」という言葉もわからない。まるで研修医と同じような気持ちで過ごしてきました。

教育と研究に関しては目標が低いので自己評価100点満点です。今日は本学の若手研究支援助成金も採択いただけました。

自分がやりたいことも、周囲の教授達にもご協力いただけるし、教育に関しても文献で調べて次はこの教育活動をやってみようとトライアルをすぐにさせてもらえる本学の自由な風土も好きです。 

やっぱり人と上司に恵まれています。Onigata先生ありがとうございます。

色々なことを任せてもらえて大学にきて本当に良かったなぁと思う反面、恵まれ過ぎているのと、検査も何もかも便利すぎて申し訳ないとも思ったり思わなかったり。

毎年春に書いている島根マガジンに原稿を載せますので、こちらにも引用します。

 

今日は昔の話をしましょう。僕は後期研修終了後に約1年間、関東一帯の二次救急告示病院を回りその施設の迷惑や患者の不利益にならない限り「絶対に患者を断らずに受け続ける」当直業務(名付けて戦国無双)をしておりました。(肌もボロボロになるしクマが酷くなったし、今の体力ではもう無理です!)

600床もないのに年間救急搬送件数が13000件を超える病院で研修した自分は夜間のMRIやCT、緊急内視鏡や手術、技師によるエコーだけでなく、他科のコンサルトさえも24時間当たり前だと勘違いしていたと思います。その時は、他の病院や施設からの紹介状を見ては診療が十分なされていないと嘆いていた事もあります。

しかし、ある都心の小さな病院では看護師と2人だけでX線を含む全ての検査を行いながら来院患者を診察しなければならず、ある場所ではCBCと血糖と血ガスのみで勝負しないといけない世界でした。非常勤医師として各病院を連戦し、限られた環境に身を置くことで初めて自覚した事があります。

 

それは、今まで【自分の臨床能力】だと思っていたものは、全く自分の力などではなく実は各科の医師、検査の体制、入院施設など他の要素で護られていただけに過ぎないという事実です。全く持って恥ずかしい【勘違い野郎】でした日本のERの父 寺澤秀一先生は良く講演で「ハンディキャップがある環境の方が医者として鍛えられ、そして知恵がつく」とおっしゃられています。1人で診療を行う環境では、自分の感覚を研ぎ澄まし、患者さんにとってベターな判断をするために病歴聴取と身体所見をフル活用しなければなりません。もしかしたら、そういう環境こそが真の臨床能力を身につけるには絶好の場所なのかもしれないと考えるようになりました。

 

*せつい:苦しい・息苦しいの意味。ちなみに「せつい」ほど診断エラーの原因になる主訴はないですよ!県外から来られた先生は本当にご注意を!「せつい」の空気感に騙されてはいけません。

まだ基礎すら習っていない1年生に臨床推論をスマホとPCを用いて学習効果が高いかみています。

  

これが、まだ基礎を習っていない彼らが医師として学ばなけれならない内容であることを自分たちで見つけて自覚してもらいました。

アンケートでは96%の医学科1年生が1年次から臨床医学と基礎医学を交えながら教育をしてほしいとのことでした。