「澄明さん」澄明の顔を見ると、男はなんだか嬉気に名前を呼んできた。「どうなさいました?」澄明が聞けば「いやあ。宿に泊っておる女子が森羅山に社が無いかとかどうかとか、言い出しましてね。まあ、そりゃいいんですが。なんか事情があるようで、女房の奴がその女子が首を括って、おっちんだらどうするって言出すしまあ、来て見てやってくださいよ。詳しい事は道々話しながら行きますから・・・どうか」拝む手付きをするのであ . . . 本文を読む
帰ってみて、玄関先の草履に気がついた澄明である。「かのとがきておるな」呟きながら入って行くと、やはり草履はかのとの物であった。かのとは居間に顔を覗かせた澄明に気がつくと「ひのえ」立ち上がって澄明の部屋に澄明を押していった。「なんですか?」火鉢の炭を継ぎ足してやりながら澄明が尋ねると「まずは政勝様の事よう判りましたに、ほっとしました。礼を言いにきました」何処か、切り口上である。「それだけでは、無いで . . . 本文を読む
ひのえと白銅の魂が寄り添っている同じ時刻。京の都の一隅の立ち食い蕎麦の屋台に波陀羅はいた。屋台の行灯の薄明るい灯に照らされた椀の底の汁まで飲み干すと波陀羅は立ち上がった。「やだよ。姉さん。もう行くのかい?」人懐っこい顔と物淋し気な顔が奇妙に同居している、波陀羅とはいくつも年の離れた女が声をかけた。「ああ」言葉少ない返事が返って来ると、遠ざかって行く波陀羅に女は呟いていた。「何をしゃかりきになってる . . . 本文を読む
社の中で目覚めた波陀羅は己の横で寝入る一樹の顔を見詰ていた。双神が波陀羅を社に引き入れた目的がこれであったかと思うと無念の思いに胸が張り裂けそうであった。が、まだしも何処の誰かも判らない女の相手をさせられる事を思えば一縷の慰めが有った。ましてや、波陀羅も双神に逢う事がそれ故に達せられるのであれば致し方ない事であるというしかなかった。一樹を起こさぬ様に傍らを離れると波陀羅は双神のいる奥の間に歩んで行 . . . 本文を読む
社の外の日差しは明るく、社の傍らの柔かなにこげに包まれた猫柳が膨らむのを見守る様に日の光が新芽を包んでいた。『政勝というたな』政勝を探す事は造作ない事であったが、波陀羅はその前に伽羅に逢いたかった。波陀羅が伽羅の元へ行くと、波陀羅の姿に気が付いた伽羅の方から尋ねてきた「双神におうたのか?」伽羅の言葉に波陀羅が軽く頷くだけで、やはり波陀羅の望みはらちない事に終ったのだと伽羅は考えていた。「比佐乃は御 . . . 本文を読む
伽羅に教わった屋敷を波陀羅は覗き込んでいたが、人の出てくる気配にずいと下がると、隠れる場所を探してそこから様子を窺っていた。遅番になった事もあって政勝は今朝はゆっくりと起きだすと登城の用意をし始め、かのとに送られて門まで出て来たのである。もう、二歳たとうかというのに相変わらず仲睦まじいのであるが、夫婦の二人住まいである事に加えまだ子のないせいでかのとも他に手を取られる事も無いので政勝をゆっくり送る . . . 本文を読む
政勝を社の外に放り出し、政勝の目の前から社の存在を掻き消してしまうと、双神はもう次の手立てを考えならなければならなくなっていた。今一歩の所の失敗に社の中では腹立ちを押さえ切れず怒鳴り声を上げているいなづちがいた。そのいなづちを見ながらなみづちも腕を組んで考え込んでいたのである。「波陀羅。わしは御前の化身振り見事であったと思うておる」なみづちが考え込みながら出した言葉にいなづちが食って掛った。「なら . . . 本文を読む
天空界では黒龍の憤怒が納まらないままであったが。「な、なん・・じやあ?」うとうと、黒龍の傍らで遅寝を決めこんでいた八代神は、またもやの黒龍の叫び声に目を覚まさせられていた。「あの、女鬼。あろう事か、かのとに化身しおった」忌々しそうに黒龍が言う。「か、かのとに・・・なんでまた?」「政勝を牛耳る気じゃったのじゃろう」「はあーーーん」「八代。もう、みぬ振りをするな。もう、許せんわ。あの女鬼が魂を握り潰し . . . 本文を読む
じりじりと後退りをしていたかのとを押さえつけ今、まさに波陀羅はその首を締上げていたのである。そのかのとの傍に降り立った黒龍は念を身体の中に振り湧きたたせると懇親の力を込めて波陀羅を突飛ばした。「何者?」波陀羅の双神への懇願を、成就を、邪魔する男が政勝でないのを見て取った波陀羅は大声で叫んだ。が、波陀羅の焦りが相手が何者かを見定める事を忘れさせてしまい、黒龍に挑みかかる事を恐れなくさせていた。突然現 . . . 本文を読む
かのとが目覚るまで、見届けるという黒龍を捨て置くと八代神は波陀羅の手を引いて外に歩みだした。「やれやれ・・・朝から仏様を拝まんですんだ」庭先に出ると八代神は波陀羅を振り返った。「八代神。我はこの先どうすればよい?」「そうじゃの。伽羅にも言われておったろう?比佐乃に母親の思いを伝うる者はお前しかおるまい?」「双神が所にいっても、比佐乃の、一樹の、魂はもう、元には戻らんのか?」「一樹はどの道死ぬる。魂 . . . 本文を読む
白銅と澄明は、まだ黙したまま座っていた。一切の外からの思念を阻んでいるのであればかのとに何があったか知る事もないのは無理の無い事である。やがて澄明の方が先に膝を崩しだした。白銅の方はそれを待っていたかのように「浮んだか?」「白銅の方は?」「わしは、どう言うわけか、主膳殿が浮かんで来て。・・・どうにも判らぬ」「何か、あるのでしょう?この事で髪揃えの儀式も先延ばしにしてあるし、勢姫の事にしろ、主膳殿の . . . 本文を読む
食事を終え腹をはらした白銅を玄関先まで送出すと、澄明は再び鏑木の部屋に入っていた。澄明は座り込むと宿根神の言った事と白銅の言った事とを考えていた。宿根神の言った双を成した神とは誰の事なのか、どう言う経緯かで、双をなしたかという事は、城に上がった白銅が主膳から聞かされる話で当て所がついていく事になる。さらに、澄明は白銅の言った魂が一つになっているという言葉にひかかる物があった。宿根神の言葉から双神が . . . 本文を読む
城へ上がった白銅は待たされる事もなく主膳の前に額ずいていた。それも道理でいい加減、まだか、まだかと尋ねても、「まだです」の一言で済ますと、後は何も言わぬ善嬉に拉致が開かぬと澄明を呼び正そうかと考えていた所に折りよく白銅が現れたのである。「一体、どうなっておる?髪揃えの儀式は運気が悪い!?一体、何時まで運気が悪い?」じりじりと先延ばしにされて行くのは、まだしも禊なぞと称して善嬉が一穂にへばりつかねば . . . 本文を読む
主膳の若かりし頃、今は亡き妻であるかなえを娶る前の話である。伊勢の父の元の姫君であったかなえであるが、そのかなえ恋しさに都度都度伊勢に参られた主膳であった。姫君に会うには色々な口実が必要でもあり、また将を射んと欲すれば馬を欲っすの喩えそのままではないが、姫君の父に目を止めて貰いたくもある主膳は、弓の名手で知られる姫の父君の気を引く為にも多少なりとも弓の事に精通しておきたく、まずは弓矢の腕に磨きをか . . . 本文を読む
「そうですか」が、澄明の顔色は暗い。「どうした?」「あ、いえ。せっかく双神を救う手立てが見つかったというものの、一体どうやって元に戻してやればよいか」元に戻れるのなら双神とて、とっくに戻っていよう。戻る方法もなく、生き長らえる為に餓えを満たして来た双神なのである。だが運命は、刻一刻と双神の潰える時に向かって動きだしている。神の望むさにわが双神の一方を一樹の身体の中に閉じ込める事であると、澄明も悟っ . . . 本文を読む